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SEVEN~警視庁特務課~  作者: 桂木 京
第6話:人間の可能性

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北条の捜査

それから、特務課による執念の捜査が始まった。

彼らはもはや独立した部署としての枠を超え、捜査一課とも密に連携し、ここ三件の猟奇事件を徹底的に洗い直した。


被害者たちに用いられた高度な薬品、保存液。それらは一体どこで精製され、どこから仕入れられたものなのか。

販売元、搬送経路、在庫管理データ……。

悠真がハッキングに近い速度でネットワークを駆け巡り、志乃が膨大な帳簿を精査する。

だが、依然として有益な情報は、網の目から砂が零れ落ちるように消えていく。


「どうしてこれほど痕跡が見つからないんだ……」


「ええ……入手経路がこれほどまでに不明となると、犯人がすでに、その薬品を『持っていた』としか考えられません」


「あんな劇薬、一般人が端から持ってるわけねぇだろ。普通はよ」


疲弊した悠真と辰川が言葉を交わす。

その会話を背後で聞き、一人の男が深い思考の海に沈んでいた。


(薬品を……最初から『持っていた』……?)


手帳に綴られた断片的な情報を追っていた北条の指先が、ある一箇所で止まる。


「志乃ちゃん。……それはファインプレーかもしれないよ」


「え……?」


志乃が驚いて顔を上げる。

北条は手帳を閉じ、眼鏡の奥の瞳を鋭く光らせた。


「事件前後の販売履歴、搬送記録に痕跡がないのなら、その薬品は犯行のために『用意された』ものではないということだ。つまり、初めからその場所に、あるいは犯人の手の届く範囲に『貯蔵』されていたものを使用したことになる。これほどの薬品を常にストックしている場所、あるいは人物といえば……」


北条の頭の中で、バラバラだったパズルのピースが音を立てて噛み合っていく。


「医療……あるいは化学の専門機関?」


「生物学の研究所という線も濃いっスね」


桜川雪が補足する。司は即座に決断した。


「よし。全員、その線を最優先で洗って。病院、製薬会社、大学の研究施設……。すぐに出て! 次の犠牲者が出る前に!」


司は北条の閃きに、迷うことなく全力を投じる。

天才的なIQと、長年捜査一課で修羅場を潜り抜けてきた北条の経験。

その二つが融合したとき、特務課の捜査は常に真実の喉元を捉えてきた。


「いいのかい、司ちゃん。まだ『なんとなく』そう思っただけだよ?」


「構いません。北条さんの『なんとなく』は、いつだって核心を突いたという宣言ですから」


古い知己である二人の間に、言葉以上の信頼が流れる。


「……それで、北条さんはどちらへ?」


司の問いに、北条はコートを羽織りながら、いつもの柔らかな、けれど冷徹な笑みを浮かべた。


「僕はね、身内でその筋に一番詳しい『仲間』から、じっくり話を聞いてこようと思う。大筋の方針が決まったなら、最前線の専門家に聞くのが近道だからね。じゃあ、行ってくるよ」


そう言い残すと、北条は一度も振り返ることなく、静かな足取りで司令室を後にした。


その向かう先が、絶望に沈む「彼」の元なのか、あるいは更なる闇の奥なのか――。



司令室を出た北条が向かった先は、帝都医科大学。

警視庁からの要請を受け、あらゆる事件で犠牲となった遺体の検死を司る法医たちが、日々「生と死」の境界線で研究に明け暮れる場所だ。


「失礼するよー」


准教授室の一室。使い込まれたドアを北条が軽くノックする。


「……開いてるっスよー!」


中から返ってきたのは、聞き慣れた、けれどどこか世俗を離れた桜川雪の声だった。

彼女はこの若さで数多の論文を発表し、法医学界ではその名を知らぬ者はいない『才女』である。

だが、その素顔は――。


「はいよ、お邪魔します……って、相変わらず散らかってるねぇ。年頃の娘の部屋じゃないよ、ここは」


北条は足元の書類の山を巧みに避けながら、部屋の奥へと踏み込んだ。


「ほっといて欲しいっス。二十代の女が全員、色気付いて結婚したがると思ったら大間違いっス!」


「まぁ、それはそうだけどさ。雪ちゃん、素材がすごく良いんだから、もう少しお洒落とかすれば人生変わると思うな、オジサンは」


「それ、今年に入って二十回は聞いたっス。余計なお世話っス」


北条がこの部屋を訪れる際、決まって始まる挨拶代わりのやり取り。

きっかけはいつも、雪の「部屋の散らかり具合」と「女子力の欠如」だ。


「お茶でも淹れますか?」


「ああ、頼むよ」


「了解っス。良いお茶菓子もあるのでサービスするっス」


雪はうず高く積まれた資料の影から小さなお盆を引きずり出した。

彼女が向かったのはキッチンではなく、実験台。

そこにある三角フラスコに水を満たし、アルコールランプに火を灯す。


「……そういうところ、本当に変わらないよね、雪ちゃん」


「道具にいちいち拘る時間がもったいないだけっス。何を使っても、結果お茶が美味しければ問題ないっスよ」


「ま、そうなんだけどさ。気分的なものがね……」


これもまた、いつもの光景。

桜川雪の部屋には、『茶器』と呼ばれる優雅なものは存在しない。

来客そのものが稀であり、あったとしても彼女は効率を最優先する。


「アールグレイ、ジャスミン、ルイボス……」


「アールグレイで頼むよ」


仕事上の付き合いも長く、北条は雪が単語を並べるだけで、その意図を正確に読み取ることができた。


「はい、どーぞッス」


差し出されたのは、琥珀色の液体が揺れる耐熱ビーカー。

そして、その横には明らかに高価そうなクッキーが添えられていた。


「これ、銀座の有名店のじゃないか」


「なんか、若いお医者さんにもらったっス。この店の場所、あとで教えるって言われたっスけど」


「それ……誘われてるの、気づいた?」


「いいえ。私、クッキーより煎餅派なんで、即答で断ったっス。でも、クッキーだけは置いていってくれたっス」


けらけらと笑いながら答える雪に、北条は深い苦笑いを浮かべた。


「……そのお医者さんの心中、お察しするよ」


ビーカーから立ち上るアールグレイの香りが、殺伐とした大学の空気をわずかに和らげる。

だが、北条の目は笑っていなかった。

世間話の薄氷の下で、彼がここへ持ってきた「本題」が、鋭い牙を隠して出番を待っていた。



「それで、話って?」


准教授室の中央に置かれた、およそ「応接用」とは言い難い資料の山に囲まれたソファ。

そこに腰を下ろし、雪が単刀直入に切り出した。

北条は彼女の正面に座ると、持参した鞄から数枚の分析結果を取り出し、実験台の端へ並べた。


「この薬品と、この薬品、そして……これだね。この三種類が『法医の現場で使用される』可能性はあるかな?」


北条が指し示したのは、ここ数日の惨劇で被害者の体内、あるいは遺体が付着していた液体の成分表だ。


「……もしかして、私を疑ってるっスか?」


雪の視線が、一瞬で温度を失った。

准教授としてのプライドと、友人としての情を天秤にかけるような、鋭い眼差し。


「まさか! こんな物騒な薬について率直に意見を聞けるのは、雪ちゃんしかいないと思って来たんだよ。もしこれが法医の常備薬なら、この医大を起点に洗える。もし違うなら生物学や民間の研究所へ舵を切る。ただ、それだけの話さ」


北条は苦笑い混じりに、だが真剣なトーンで弁解した。

雪はその言葉を反芻するように鼻先を鳴らすと、資料を手に取った。


「そうっスか……。ええと、まずこの一つ目。これはただの麻酔薬っスね。比較的入手も容易だし、これだけで医師や研究者に絞り込むのは早急っス。単なる『道具』としてどこからでも調達できる」


一人目の被害者、あの公園の「生け花」にされた遺体から検出された成分。

強烈な薬物により抵抗する術を奪った、犯行の「序章」の薬だ。


「次に、ホルマリン……。これは毒物劇物取締法の認可が降りている場所でしか買えないっス。犯罪に使うとなると足がつきやすいから、個人で買う可能性は極めて薄いっスね」


奈美が浸されていた、あの淡いピンク色の液体。

それがホルマリンだったことが、雪の口から裏付けられた。


「そもそも、ホルマリンってのはホルムアルデヒドを三七パーセント前後に薄めた水溶液のことっス。長期保存には適してるけど、生体に使うと激しい炎症を起こすし、有害にしかならない。……それをあえて『生きた人間』に使った意図が、私には理解できないっス」


「……ということは、犯人は医療知識のない素人ということかい?」


北条の瞳に、仮説の光が宿る。

だが、雪の答えはさらに残酷なものだった。


「犯行そのものは、医療への敬意も知識も浅い人間の所業っス。でも、これだけの量を揃えられた事実は消えない。……医療関係者と深い面識があるか、あるいはその環境に自在に出入りできるほど親しい『共犯者』が背後にいる可能性が濃厚っス」


「なるほどね……。うん、ありがとう。ところで雪ちゃん……」


北条は、資料の一枚がまだ手付かずであることに気づいた。

二人目の被害者――水族館の「沈む彫刻」から検出された薬品。


「二人目の薬については、どう思う?」


問いかけられた瞬間、雪の視線がカミソリのように鋭く研ぎ澄まされた。


「……クロロホルム。これは、その気になれば誰でも入手できるっスよ。用途を聞かれたら『剥製を作る』とでも答えれば、簡単に売ってもらえる。つまり、この世の誰だって犯人候補に挙げられる……ってことっス。薬品の出所だけで犯人を追い詰めるのは、正直、時期尚早だと思うっス」


雪はビーカーに残った冷めた茶を飲み干し、突き放すように言った。

プロとして、安易な希望を抱かせることはしない。

その冷徹なまでの誠実さが、今は北条の胸に深く刺さった。


「……誰でも、か。それは厄介だね」


北条は資料を鞄に収めながら、窓の外を見遣った。

専門家の見解は「足取りを絞る」ための武器ではなく、むしろ「敵がどこにでも潜める」という警告へと変わった。


「雪ちゃん、助かったよ。……おかげで、もっと泥臭い捜査が必要なことが分かった」


北条の言葉に、雪は何も言わず、ただ新しく沸き始めたフラスコのお湯を見つめていた。

その横顔には、同志として、友として、親友の婚約者を守れなかったという悔しさが、微かに滲んでいるように見えた。



「そっか。今の時点では、まだ犯人を絞り込む決定打には欠ける、ということだね。ありがとう、参考になったよ。やっぱり持つべきものは、話のわかる優秀な仲間だ」


北条はビーカーに残った最後の一滴を飲み干し、ゆっくりと腰を上げた。


「雪ちゃん、また聞きたいことがあったら顔を出してもいいかい?」


「もちろんっス! 特務課さんの手助けができるなんて、私にとっては願ったり叶ったりっスよ!」


満面の笑みで答える雪に、北条も穏やかな笑みを返す。


「ありがとう。その時はよろしく頼むよ。今度、今日のお礼に美味しい店にでも行こう。思いっきりお洒落をして、ね」


「ご飯は嬉しいっスけど、お洒落は御免っス」


最後に軽い冗談を交わし、北条は准教授室を後にした。


「ふぅ……」


重いドアが閉まった瞬間、北条の口から重苦しい溜息が漏れた。

それは、期待していた糸口が霧散してしまったことへの、心底がっかりしたという吐息だった。


歩きながら手帳を開き、これまでの情報を精査する。

赤いペンを取り出し、雪の指摘によって「無意味」となった推論を次々と塗りつぶしていく。


「……結局、肝心な部分はみんな赤ペンになっちゃったな」


手帳は真っ赤な線で埋め尽くされていた。

犯人の足跡は、雪の専門的な知見を持ってしても、未だに「誰でもあり得る」という広大な闇の中に隠れている。


「さて、次の場所へ向かおうか。奴らの『美学』からすれば、しばらく次の犯行は起こらないだろうしね……」


北条は独り言ちると、慣れた足取りで愛車へと向かった。


帝都医科大学から車を走らせること三十分。

北条が戻ったのは、警視庁。

だが特務課ではなく、まずは古巣である「捜査一課」のフロアへ足を向けた。


「稲取く〜ん、いるかい?」


怒号と電話のベルが鳴り響く殺伐としたフロアに、北条の場違いなほど柔らかな声が通る。


「あ! 北条さん!! お疲れ様です!」


その姿を認めるなり、若手刑事たちが一斉に弾かれたように起立し、声を張り上げた。

北条は捜査一課における「生ける伝説」の一人だ。

彼がこのフロアに現れるだけで、空気の密度が変わる。


「はいはい、お疲れ様。稲取くんはどこかな?」


「はい……それが、ちょっと……かなり機嫌が悪くて」


入口近くの刑事が、顔をしかめながらフロアの奥――一課長・稲取のデスクを指差した。


見れば、稲取は机の上にカップラーメンを三つ並べ、一心不乱に麺を啜っていた。

その背中からは、近寄る者を拒絶するような禍々しいオーラが放たれている。


「あらら……相当にご機嫌斜めだね。何かあったのかい?」


「ええ……『神の国』関連の事件がいっこうに解決の兆しを見せないことに、上層部から猛烈な圧力がかかったみたいで」


実行犯は捕らえても、組織の中枢、その「頭脳」には指一本触れられていない。

その苛立ちの矛先が、最前線で指揮を執る稲取に集中したのだ。


「心中お察しするよ。君たちも、頑張ってね」


「はい! ありがとうございます!!」


萎縮する刑事たちに軽く手を振り、北条は迷いのない足取りで稲取のデスクへ突き進む。


「やぁやぁ、相変わらず機嫌が悪いねぇ。話は大体聞いたけれど……」


麺を啜る音が止まった。

稲取が、獲物を屠る直前の獣のような鋭い視線を、北条へと向けた。



「何の用だ、北条さん……。こっちは見ての通り立て込んでる。あんたと言えど、邪魔するなら叩き出すぜ」


稲取が吐き捨てた言葉には、猛獣のような苛立ちが混じっていた。エリートの余裕など微塵もない。


「まあまあ。そんな切羽詰まったオーラを撒き散らしていたら、部下たちの士気に関わるよ。トップなんだから、もっと優雅に構えていなきゃ」


「言ってろ。俺より上の連中が危機感剥き出しなんだ、俺だって平然としてられるかよ」


稲取は三つ目のカップラーメンの汁を乱暴に飲み干すと、空の容器を放り投げるようにして北条に向き直った。


「そういうあんたらこそ、後手に回りっぱなしじゃないか。特務課の『精鋭』様でも、今回のヤマはお手上げか?」


「ああ……それを言われると耳が痛いね。だからこそ、今日は『協定』を結ばないかという提案をしに来たのさ。……まあ、司ちゃんの許可は取ってないから、僕の独断なんだけどね」


北条は事もなげに言うと、手帳の「あるページ」を開き、稲取のデスクへ滑らせた。


「なんだぁ……? 地図か」


「三件の変死事件の発見現場だよ。……僕ね、見つけたんだ。犯人の手がかりを」


「……手がかり?」


稲取の目が、刑事のそれに変わる。

地図には、遺体が発見された地点と、通報があった時刻が緻密に書き込まれていた。


「この時間、この時間、そしてここ……。何か気づくことはないかい?」


「三件目以外……夜の二十二時過ぎだ」


「そう。そして遺体のあの惨状だ。現場へ運び込み、あの『作品』を設営するのには、少なくとも一時間はかかる。それなりの道具も必要だ」


「つまり、運び屋がいる……単独犯じゃないってことか?」


「いいや、たぶん単独犯だ。そうでないと『あのこと』の説明がつかないからね」


「あのこと?」


「おっと、そこはまだ僕の推測だ。……教えないよ」


北条は煙に巻くような笑みを浮かべ、自分の推理を脳内でさらに研ぎ澄ませていく。


「さて、肝心の『協定』の話に戻ろうか」


稲取が十分に手帳の内容を焼き付けたのを確認すると、北条はパタンとそれを閉じ、スーツの内ポケットに仕舞い込んだ。


「ウチは今、期待の若手が離脱中でね。少々人手不足なんだ。実働部隊は僕と彼と、辰川さんしかいない」


「……ああ、あのやんちゃ坊主か。婚約者の件、気の毒だったな」


「うん。でも、僕たちはそこで足を止めるわけにはいかない。犯人を地獄へ送るために全力を尽くしたいんだ。だから、少しだけ『人』を貸してほしい。なあに、指定した時間に、指定した場所に数人配置してくれればそれでいい」


稲取は腕を組み、北条を射抜くように見つめた。


「……何か、確かな当てがあるんだな?」


「うん。そろそろ、犯人を炙り出そうと思うんだ」


北条の目が、一瞬で温度を失った。

その眼光は、狡猾な獲物を追い詰める老練な猟師のそれだった。

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