絶望
厳重に貼られたガムテープを、虎太郎はどこか訝しげな表情で剥がしていく。
「しっかし、ただの贈り物にしてはデカすぎるし、妙に重いな……。北条さん、本当にこれが犯人からの手がかりなのか?」
「わからない。だが、この執拗な梱包自体が、送り主の異常な執着を感じさせるね」
「うーん、大掛かりなサプライズプレゼントとか?」
悠真が冗談めかして覗き込むが、虎太郎は鼻で笑った。
「俺の誕生日は半年も先だよ」
ようやくガムテープをすべて剥がし終え、虎太郎が外箱を持ち上げる。
「箱の中に、また箱……。マトリョーシカじゃねぇんだからよ」
厚手の段ボールを剥ぎ取った中から現れたのは、鈍い銀光を放つ巨大なジュラルミンケースだった。
「箱……というよりは金庫だな。人が丸ごと一人、すっぽり収まっちまいそうなサイズだ」
「このサイズのジュラルミンケースを特注するとなれば、相当な費用がかかる。愉快犯の悪戯にしては、あまりに手が込みすぎているね」
北条の観察眼が、ケースの四隅に刻まれたわずかな擦過傷すら逃さない。
ケースには頑強なチェーンロックが巻き付けられており、中央には四桁のダイヤル式錠前が鎮座していた。
「暗証番号かよ。そんなの分かるわけねぇだろ。犯人の勝手な思い入れなんて、俺たちが想像できるはずも――」
文句を言いながらダイヤルに指をかけた虎太郎だったが、横から覗き込んでいた志乃が、ケースの天面に刻まれた小さな刻印を見つけた。
「虎太郎くん……ここ。『今日は何の日?』って、手彫りで書いてある」
「今日? ……水曜日だろ」
「そういう意味じゃないわ。虎太郎くん個人に関係のある『特別な日』なんじゃない?」
「特別な日……あ」
虎太郎の指が止まる。 今日、十二月十三日。
それは虎太郎と奈美が付き合い始めた記念日だった。
記念日など無頓着だった虎太郎だったが、毎年この日になると奈美が豪華な手料理を振る舞い、それに報いるために虎太郎が馴染みの花屋で薔薇を贈るのが、いつしか二人の「約束」になっていた。
(今日も仕事が終わったら、あの花屋へ寄るつもりだったのに……)
「……記念日は、これだ」
虎太郎の指が、迷いなくダイヤルを弾く。
四桁の数字が揃った瞬間、静まり返った司令室に「カチリ」と、乾いた解錠の音が響いた。
「よし、開けるぜ……」
虎太郎がケースのラッチに手をかけた、その瞬間だった。
「――待て!!!」
辰川の怒号のような制止が飛ぶ。
「なんか聞こえねぇか? ……これ、何かのタイマーかアラームだぜ」
爆弾処理班出身の辰川が、鋭い目つきでケースに耳を寄せた。
静寂の中、微かに聞こえる規則的な音。
カチ、カチ、カチ……。
「……いや、大丈夫だ。爆弾特有の、機械式タイマーに混じる起爆信号のノイズが聞こえねぇ。ただの時計……あるいは、それによく似た何かの動作音だ」
あらゆる爆弾を解体してきた辰川の言葉には、絶対的な重みがある。
彼は慎重にケースの隙間を確認すると、虎太郎に短く告げた。
「よし。ただし一ミリずつ、慎重に開けろ」
「毒物やバイオハザードの可能性は?」
あさみが特殊部隊時代の経験を総動員し、ケースの継ぎ目や通気孔を凝視する。
「……目視できる範囲に液漏れやガスの流出痕はないわ。けれど、気味の悪い静けさね。……一体何なのよ、この箱」
気づけば、特務課の全員がその「銀色の箱」を囲んでいた。
中心に立つのは、暗証番号を解いた虎太郎。
運命の蓋が、ゆっくりと持ち上げられようとしていた。
「それじゃ、開けるぞ……」
粘着テープも鍵も、もはやその役割を終えて床に転がっている。
虎太郎はジュラルミンケースのラッチを外すと、その重厚な蓋に指をかけた。
「よっ……重いな、これ……」
「俺も手伝うぜ。せーの、だ」
「あ、僕も!」
辰川と悠真が加わり、三人がかりで銀色の蓋を押し上げる。
ズシリとした、単なる金属の重みではない「中身」の質量。
それが抵抗となって手に伝わってくる。
「せーの!」
「こりゃ……相当な重さだぞ!」
「大丈夫、もう少し……!」
歪な摩擦音を立てて、蓋がゆっくりと、だが確実に持ち上がる。
そして、その中に収められていた光景が、司令室の眩い照明の下に晒された。
「…………え」
「……マジかよ」
「う、うわぁぁぁぁ!!」
悠真が悲鳴を上げ、後ずさる。
そこに横たわっていたのは、薄いピンク色の液体に満たされた、女性の「半身」だった。
切断面は出血を最小限に抑えるよう、執拗なまでに精密な処置が施されている。
それが、淡い色の保存液の中で、まるで標本のように揺れていた。
「保存液……か。何かの類だろうね」
北条の表情から一切の血の気が引き、声が冷たく研ぎ澄まされる。
そんな中、遺体を直視し続けていたあさみが、驚愕に目を見開いた。
「まだ……生きてるわ!!」
その叫びに全員の視線が集中する。
そう、女性は生きていた。
下半身を失い、謎の液体に浸され、虫の息ではあったが、彼女の胸元は微かに、絶望的なほど弱々しく上下していた。
「救急車! 大至急手配して!」
「私も応急処置に入るっス! ……でも、一刻を争うっスよ、これじゃ……!」
志乃が震える手で無線を掴み、桜川が即座にケースの脇へ膝をつく。
「傷の封鎖より先に、生命維持を優先するっス!」
雪は手早く女性の口元に酸素マスクを装着し、微弱なバイタルを繋ぎ止めようと必死に処置を始めた。
「おい…………」
その時、虎太郎の思考が完全に停止した。
目の前で起きていることが、網膜を通り抜けて脳に届かない。
「おい……待てよ!! 嘘だろ!!」
喉の奥から絞り出すような絶叫。
何も考えられず、ただ名前のない咆哮を上げる。
その異様な様子に不審を抱いた北条が、改めて女性の顔を覗き込み、眉間を深く、深く刻んだ。
「……っ!!」
「北条さん……?」
珍しく剥き出しの怒りと憎悪を滲ませる北条に、あさみが戸惑いながら声をかける。
「知り合い……なの?」
まさか、という予感が司令室を駆け抜ける。
あさみが見た虎太郎は、幽霊のように真っ白な顔で、ただ一点を見つめていた。
「……奈美ちゃんだ。虎くんの……婚約者だよ」
「……え?」
北条の答えに、その場の時間が凍りついた。
志乃の指が止まり、悠真が息を呑む。
「どういうことだ……なぜ、彼女がこんな目に……!」
北条が拳を血が滲むほど固く握りしめる。
昨日、あんなに幸せそうに笑っていた、美しく若い女性。
その彼女がいま、人としての形を無惨に損なわれ、銀色の箱に詰められている。
そして、その現実という名の断頭台に立たされた男が、一人。
「お前……今朝、言ってたじゃねぇか。今日のご飯は楽しみにしてろって……。俺、これから……花屋に行くつもりだったんだぞ……」
数時間前まで感じていた彼女の温もり、交わした何気ない会話。
それが鋭利な刃となって虎太郎の心臓をズタズタに切り裂く。
「……虎……ちゃ…………」
その時、酸素マスクの奥で、奈美の唇が微かに震えた。
最期の力を振り絞り、彼女は愛する者の名を呼ぼうとした。
「う……うわぁぁぁぁぁぁ!!! 奈美!! 奈美ぃぃぃぃ!!!」
司令室の冷たい壁に、虎太郎の魂を削るような絶叫が反響し続ける。
最強の特務課が直面した、これ以上ない「悪意」の極致。
その夜、彼らの戦いは、もはや公務ではなく、血を吐くような「報復」へと変わった。




