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SEVEN~警視庁特務課~  作者: 桂木 京
第6話:人間の可能性

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アクアリウム

「……ってわけでさ。最近、妙な事件ばっかりだぜ」


その日の夜。

虎太郎は自宅マンションで、婚約者である奈美との穏やかな時間を過ごしていた。

テーブルにはデリバリーのピザと、冷えた酒が並んでいる。


「でも、特務課……だっけ。良い職場なんでしょう?」


「え? なんでわかるんだ?」


「だって……最近の虎ちゃん、なんだか生き生きしてるから」


「生き生き……ねぇ」


虎太郎は苦笑いしながら、グラスを見つめた。

特務課に配属されてからというもの、虎太郎は常に己の実力に疑問を抱いていた。

北条、辰川、あさみ、悠真、志乃、そして司。

自分以外の六人は、文字通りの超人たちだ。

その中で、自分に何ができるのか。ただ振り回されているだけではないのか。


「……ったく、七人しかいねぇ部署なのに、どいつもこいつも超人すぎて困っちまうよ。俺だけ一般人が紛れ込んだみたいだ」


奈美がビールの缶を傾け、虎太郎のグラスを満たしていく。

なみなみと注がれた黄金色の液体を、虎太郎は一気に喉に流し込んだ。

普段、虎太郎は周囲に弱音を吐くタイプではない。

悔しさももどかしさも、すべて心の奥底に押し込んで、それを明日への糧にするのが彼のやり方だ。

けれど、奈美の前でだけは、その鎧を脱ぐことができた。


「きっと、虎ちゃんにも『特殊能力』があるんだよ」


不意に、奈美がいたずらっぽく笑って言った。


「俺に?……みんなみたいな、えげつない能力が?」


「そうそう。だって、そんな人たちの中に配属されたんでしょう?」


奈美はピザを頬張りながら、確信に満ちた声で続ける。


「だったら、虎ちゃんにも他の六人に負けない能力があるに決まってるじゃない。一人だけ普通の人間を放り込んだら、それこそパワハラよ。上層部だって、虎ちゃんにしかできないことがあるって分かってるんだよ」


「……そんなもんか?」


「そんなもんよ。くよくよ考えたって仕方ないじゃない。北条さんだって、いつもお菓子を差し入れてくれるとき、言ってるよ。『虎くんのおかげで今日も解決したよ』って」


「……北条さんが、そんなことを?」


虎太郎が特務課に配属された日、北条は半ば強引に虎太郎の自宅へ上がり込んできた。


『これからバディになるんだ、仲良くしようよ』


そう言って、ちゃっかり奈美とも親交を深めていたのだ。


「うん。大丈夫だよ虎ちゃん。あの北条さんと一緒なら、きっとお仕事、上手くいくよ」


「ずいぶん買ってるんだな、あのオジサンのこと」


「ええ。だって、すごくイケてるオジサマじゃない」


「おいおい……ははっ……」


二人は顔を見合わせ、声を上げて笑い合った。

窓の外には東京の夜景が広がっている。

あの闇のどこかに『神の国』が潜んでいることを、この瞬間だけは忘れることができた。


「ねぇ、虎ちゃん」


奈美が少しだけ真剣な表情になって、虎太郎の目を見た。


「もし私が危ない目に遭ったら、必ず助けてね?」


「ああ……もちろんだ。命に代えても助けてやるよ」


虎太郎は奈美の手を優しく握り返した。

その温もりが、明日からの戦いに挑むための、彼にとっての最大の「特殊能力」であることに、虎太郎自身はまだ気づいていなかった。



「植木の次は、水族館アクアリウムかよ……」


北条と虎太郎が訪れたのは、臨時休館を余儀なくされた都内の水族館だった。 静まり返った館内、一番大きなメイン水槽の中に、被害者は「いた」。


色とりどりの魚が泳ぐ中、花束を抱え、端正なタキシードを纏った男。

彼は水底に真っ直ぐ立ち、まるで誰かの訪れを静かに待っているかのような姿で絶命していた。

やがて急行した鑑識の手によって、その「遺体」はゆっくりと水上へ引き揚げられた。


「これ……間違いなく、殺しだよな?」


理解の追いつかない光景に、虎太郎が隣の北条に問いかける。


「……そうだね。タキシードを着て、水中で花束を持って人を待つなんて、現実の光景じゃない。あまりにも作為的で、狂気に満ちた演出だ」


被害者の身元特定は早かった。

タキシードのポケットに、これ見よがしにマイナンバーカードだけが残されていたのだ。


「カード一枚だけ……。スマホも財布も、私物は何もないのか?」


「……犯人が故意に残したのか。あるいは、着替えの際に奪われたのか。いずれにせよ、身元を早くバラしたかったんだろうね」


状況を詰めれば詰めるほど、犯人の意図的な「物語性」が浮き彫りになる。


「とにかく、被害者の背景を知りたい。ご家族や親族とは連絡がついたのかい?」


北条が近くにいた一課の捜査員に尋ねる。


「いえ……被害者は身寄りのない男性だったようで。あ、ただ……」


捜査員が言葉を継ごうとした、その時だった。


「お願い、通して!! 裕也が死ぬなんて、そんなのありえないわ!!」


一人の女性が、制止する警官を振り切り、必死の形相でこちらへ駆け寄ってくる。


「……あの方は?」


「被害者の、唯一の身内に『なるはずだった』女性です。彼の婚約者だそうで……」


「婚約者、か……」


その言葉が、鋭い棘となって虎太郎の胸に突き刺さった。

昨夜の奈美の笑顔、そして交わした約束。もし今、あそこに横たわっているのが自分だったら――。


(婚約者が、こんな形で死ぬなんて……。辛すぎるだろ……)


「なぁ、通してやってくれないか? 現場保持は俺たちが責任を持つからさ」


虎太郎は、鑑識と一課の捜査員に食い下がった。

その真剣な眼差しに気圧され、二人は渋々と道を空ける。


「衣服には絶対に触れないでください。余計な繊維を残されたら困ります」


「持ち出しも厳禁だ。証拠品ですから」


捜査員の手が離れると、女性は虚ろな瞳で、ブルーシートの上に横たわる「彼」へと歩み寄った。


「裕也……ゆうや……っ」


一歩、また一歩。

現実を受け入れることを拒むように、彼女はその場に膝をついた。


「……すまないが、少しだけ、話を……」


「あぁぁああ!! 裕也ぁぁぁ!!」


虎太郎が声をかけようとした瞬間、彼女は崩れ落ち、獣のような悲鳴を上げて泣き叫んだ。

虎太郎は掛ける言葉を失い、小さく首を振って立ち尽くす。


(……野暮な真似をしちまったな)


虎太郎は女性に背を向けた。

彼女の慟哭が、冷たい水族館の壁に反響し続ける。

この事件の裏側に潜む『神の国』の冷徹な悪意を、虎太郎はかつてないほどの激しい怒りとともに実感していた。




「……落ち着いたか?」


「……はい」


それから三十分後。

虎太郎は、ひとしきり泣き腫らしてようやく静まった彼女の隣に腰を下ろした。

昨夜、奈美と交わした約束が、今の虎太郎の背中を強く押している。

この悲劇を二度と繰り返させないという決意が、その瞳に宿っていた。


「辛いところを済まない。でも、少しキツい言い方になるかもしれないが、俺たちの聴取に応じてほしい。これ以上、あんたたちみたいな悲しい思いをする人間を出さないために」


虎太郎は、婚約者の女性の目を真っ直ぐに見つめて語りかける。


「分かることだけでいい。知っていることだけでいいんだ。教えてくれるか?」


「……はい」


女性は、虎太郎の言葉に宿る熱い誠実さに応えるように、力強く頷いた。


(虎くん……事件を追うたびに成長しているね。うん、頼もしくなったよ)


その様子を少し離れた場所で見守りながら、北条が目を細めて微笑んだ。


「被害者との関係は……来月、式を挙げる予定だったんだね」


「ええ。式場も決まって、衣装も選んで……幸せの絶頂だったんです」


「そうか……。気を悪くしないで聞いてほしい。その準備の中で、何か意見が合わなかったり、喧嘩になったりしたことは?」


「……私を疑っているんですか?」


心を開き始めていた女性が、一転して表情を強張らせる。


「ごめんね、これは刑事としての手順で……」


北条が咄嗟に助け舟を出そうとしたが、虎太郎はそれを手で制し、自分の言葉を続けた。


「悪い。刑事ってのは人を疑うのが仕事なんだ。だが、あんたの答えで潔白を証明してくれれば、俺はそれでいい。……俺だって、本音を言えば『婚約者を疑う』なんて真似は一番したくねぇんだよ」


虎太郎の飾らない、だが真剣な告白に、女性の強張った肩が僅かに緩んだ。


「トラブルや喧嘩の類は……一切ありませんでした。本当に、私たちは仲が良くて……。昨日も一緒に食事をして、今朝だって仲良く部屋を出て、それぞれの仕事に向かったんです……」


絞り出すような彼女の証言を聴き届けた北条は、虎太郎に聞き込みを任せ、自身は再び現場の「違和感」へと意識を向けた。


「それで、被害者の死因は? やはり溺死なのかな」


「いえ、それが……水槽には『死後』入れられたようで」


鑑識の言葉に、北条の眉が跳ね上がる。


「外で殺害されてから、この巨大な水槽に運び込まれたというのか。警備の隙を突いて?」


北条の頭の中に、いくつもの疑問符が浮かぶ。

そんな折だった。


「やっと着いたっス……」


白衣を翻し、桜川雪が現場に到着した。


「今回もおかしな現場だと聞いたっス。ちょっと見せてもらってもいいっスか?」


雪は遺体の側に屈み込むと、即座に法医としての鋭い視線を向けた。

だが、その直後、彼女の表情がこれまでにないほど険しくなった。


「……これは……」


「雪ちゃん、何か分かったかい?」


北条が覗き込むと、雪は信じられないといった様子で呟いた。


「死後硬直が始まってから、水に入れられたっスね。それだけじゃない……。このご遺体、立ったまま息を引き取ってるっス」


「立ったまま……?」


北条と虎太郎が同時に声を上げる。


「そうっス。どこかに寄りかかっていた形跡も、吊るされていた痕跡もない。死ぬ間際まで、自らの意志で直立を維持し……そのまま心臓が止まっている。普通の人間に、そんな芸当は不可能っスよ」


それは、医学の常識を根底から覆すような、あまりに不自然で、あまりに芸術的な「死の固定」だった。



「おいおい、そんなことあるのかよ……」


立ったまま命を奪われ、硬直を待ってから水中へ「展示」される。

その常軌を逸した工程に、虎太郎は背筋が凍るような戦慄を覚えた。


「これを見るっス」


桜川は、遺体を覆うブルーシートの端を捲った。

露わになったのは、被害者の足の裏だ。


「死斑がここに集中してるっス。これは、亡くなった後の血液が重力に従って足の裏……つまり下方へ向かって流れた証拠っス。背中やお腹には死斑が見られない。ということは……」


「なるほど。亡くなった時、この体は地面に対して垂直だった……それで『立ったまま亡くなった』という結論に行き着くわけだね」


北条が納得したように頷く。


「でもさ、どうすれば人は立ったまま死ねるんだ? どこかに吊るされていたっていう可能性はないのか?」


虎太郎が素朴な疑問を投げかけるが、桜川は首を横に振った。


「吊るされた線は薄いっスね。……ほら、ここっス」


桜川が被害者の足の裏、土踏まずに近い部分を指差す。


「少し擦ったような傷があるっス。この傷の隙間に微細な石が入り込んでいたっス。もちろん、この水槽内の砂とは全く別物……『山林の土』に含まれる成分っス。この傷は、遺体を引きずった時につく場所じゃない。自重がかかった状態で、地面に接地しないとつかない場所なんスよ」


「確かに……死んだ後にわざわざその部分にだけ土を擦り込むなんて、不自然すぎるよね……」


北条の眉間に深い皺が寄る。

桜川の分析が精密になればなるほど、事件の異常性は増していく。


「つまりよ……この犯人は、一体何がしたいんだ? 恨みがあるなら一思いに殺せばいい。土に植えたり、殺してからタキシード着せて水に沈めたり……意味が分からねぇ。それも公園や水族館みたいな、わざわざ目立つ場所を選んでだぜ?」


虎太郎が苛立たしげに頭を掻く。

その「見せびらかすような」手口。


「そうだね。犯人の動機が全く見えない。現状では『愉快犯』の線が強そうだけど……それにしては手間がかかりすぎている」


「それに、今回も『神の国』が関わっているのかどうか……」


「断定はできない。けれど、この『人の尊厳を弄ぶような演出』は、奴らのやり口に近い気もする。難しいところだね……」


切り口が見つからない二つの猟奇事件。

犯人の脳内に広がる歪んだ景色に、北条ですら一瞬気圧されそうになる。


その時、桜川が腕時計に目を落とした。


「ここにじっとしていたって、これ以上の進展は望めないっス。一度司令室に戻って、みんなで情報を精査するべきっス」


「……それもそうだね。雪ちゃん、なかなか冴えた判断をするじゃないか」


「いやいや、皆さんの真似っス。行き詰まったら、全員で情報を共有する。そこからいくつもの見えない糸口を見出してきたじゃないっスか、特務課の皆さんは」


雪の真っ直ぐな信頼に、北条と虎太郎は顔を見合わせた。


「ああ、そうだな。ここにいても『神』の尻尾は掴めねぇ」


虎太郎が力強く立ち上がる。

三人は水族館の冷たい静寂を背に、自分たちの戦場である司令室へと引き返すことに決めた。

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