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SEVEN~警視庁特務課~  作者: 桂木 京
第5話:暗躍する組織

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惨劇への序曲

虎太郎と北条が別行動をとって一時間。

司令室の自動ドアが勢いよく開き、虎太郎が滑り込んだ。


「悠真!!」


「はいはい、了解」


デスクに並ぶ数枚のモニターと格闘していた悠真が、振り返りもせずに応じる。


「あの、『神の国』のサイトを……」


「だから、了解だってば」


「え?」


「何のために無線がついてると思ってるのさ。さっきの北条さんとのやり取り、全部聞いてたよ。もう解析の準備は始めてるから、少し待っててね」


悠真は自前のカスタムノートPCを特務課のメインサーバーに直結させ、目にも止まらぬ速さでコードを打ち込んでいく。


「あれだけの信者を抱えるサイトだ。何重ものプロテクトや、こちらの位置を逆探知する裏コードが仕込まれている可能性がある。不用意に踏み込んで特務課の情報を抜かれたら目も当てられないからね。準備だけは万全にしておきたいんだ」


「……ほう。やっぱりすげぇな、お前。で、どのくらいで落とせそうだ?」


「準備にあと二十分。あとは……相手のサーバーと『直接対決』してみないとわからないかな」


「頼むわ。お前しか、この狂ったサイトをどうにかできる奴はいないんだからな」


「了解。終わったら、高いケーキでも奢ってよ」




一方、北条は独り、冬の寒風が吹き抜ける街角にいた。


「ありがとうございました。心中お察しします。……ですが、これ以上同じような悲劇を繰り返さないためにも、お話が聞けて助かりました」


大学生の自宅を後にし、北条は他の事件の加害者家族のもとを回っていた。 彼らが涙ながらに語った共通点。

それは、一見平穏に見える日常の裏側に潜んでいた、ほんの僅かな「心の隙間」だった。


(やはり、あのサイトか……。入り口はどこにでもある。そこに辿り着いた時点で、彼らはもう選別されていたんだね)


北条は手帳を開き、聞き出した情報を整理する。

勤務先、趣味、行きつけの店、そして直近の悩み。


「おじさんはおじさんらしく、しらみつぶしに行ってみるかね。――さて、行きますか。……ん?」


その時、北条のコートのポケットでスマートフォンが激しく震えた。

表示された名前は、捜査一課長・稲取。


「もしもし、北条です」


『あ、北条さん! 今どこだ!?』


「今は赤羽付近だけど……どうかしたかい?」


『すぐに台東区へ向かってくれ! 至急だ!』


常に沈着冷静な稲取が、声を荒らげ、取り乱している。


「台東区……? 何が起きたんだい」


『高層ビルの屋上……立ち入り禁止区域に、民間人が、それも大勢集まっている。様子がおかしいんだ。全員がうわ言のように同じ言葉を繰り返しながら、空を見つめている……!』


稲取の報告を聞きながら、北条の背筋に冷たい戦慄が走った。

いよいよ、蠍の毒が全身に回る時間が来たのだ。


「……すぐに向かうよ、稲取くん。虎太郎にも連絡を入れておく。司ちゃん! 聞いてたね、台東区だ!」


北条はタクシーを拾うべく、車道へと駆け出した。



台東区。

北条が息を切らして現場に辿り着いた時、そこには正気を疑うような異様な光景が広がっていた。

区内でも指折りの高層ビル。

その最上階、本来なら誰も立ち入れないはずの屋上の縁に、無数の人々が鈴なりになっている。

彼らは互いに手を繋ぎ、ビルの四角い輪郭をなぞるように並んでいた。


「何を……しているんだ、彼らは」


北条が呆然と呟く。


「北条さん!」


人だかりを割って、捜査一課長・稲取が駆け寄ってきた。


「稲取くん、これは一体どういうことだ。あの屋上は立ち入り禁止区域のはずだろう?」


「ええ……。ですが、警備員の制止を力ずくで振り切り、数百人の民間人がゾロゾロと屋上へ向かったらしいんです」


「ゾロゾロって……まさか、あの外階段からかい?」


北条が指差した先には、螺旋状にビルを這う非常階段が伸びていた。

屋上の群衆は皆、憑りつかれたようにその階段を列をなして登っていったという。


「何かの宗教団体か?」


「いや、服装も年齢もバラバラだ。示し合わせた様子すらなかった。まるで、全員が同じ瞬間に同じことを思い立ったかのように……」


稲取の言葉に、北条の脳裏にあの「4322」という数字がよぎり、顔が青ざめていく。

彼は震える手で無線機のスイッチを入れた。


「悠真くん! サイトを壊すまで、あとどのくらいかかるんだい?」


『えー? 今準備が終わって侵入したところだよ。……最短でも五十分、いや、一時間はかかるかな』


「五十分……」


北条の背筋に、凍り付くような悪寒が走る。

ただ立っているだけならいい。

だが、もしこれが「スイッチ」の入った後の行動だとしたら、彼らが次に何をするかは明白だ。


『……もしかしたら、何かを“アピール”する場なのかもしれません』


不意に、志乃の冷静な声が無線から流れた。


「アピール?」


『私の個人的な見解ですが、現在警察が展開している側の壁面には、都内最大級の大型ビジョンが設置されています。もしかしたら、何かを披露するためのエキストラとして集められた可能性も……』


「大型ビジョン……あれか」


ビルの中層、CMが虚しく流れ続ける巨大な液晶。

もしあそこに、あの「洗脳映像」が流されたとしたら、被害は屋上の人々だけでは済まない。

地上で見上げている野次馬たち全員が「同志」に書き換えられてしまう。


「志乃ちゃん、至急ビルのオーナーと放映管理会社に連絡を取って! 今すぐビジョンの電源を落とさせるんだ」


『了解しました!』


「どちらにしても、立ち入り禁止区域にこれだけの人数がいるのは異常事態だ。声をかけて、まずは下に降ろそう」


北条が稲取を促す。


「そうだな。……おい香川、もう現着しているか?」


稲取がトランシーバーを握りしめ、若手の香川を呼び出す。


『はい! 今、現場のパトカー横です!』


「拡声器を使え! 屋上の連中に早く降りろと警告しろ! 急げ!」


香川の怒鳴り声のような返信が響く。

だが、北条は嫌な予感を拭えなかった。

相手は説得が通じる相手ではない。

「神の国」のスイッチが入った、操り人形たちなのだから。


「みなさーーん、下りてくださーーい!! そこは立ち入り禁止区画ですよ~~!!」


地上で香川が拡声器を構え、声を限りに屋上の群衆へ呼びかける。

だが、返ってくるのは冷たい風の音だけだった。

誰一人として香川を見下ろそうとも、眉を動かそうともしない。


「あの音量だ……聞こえていないわけじゃない。どうしてピクリとも動かないんだ……」


「ああ……。まるで、糸の切れた人形のようだな」


少し離れた位置からビルを見上げる北条と稲取が、得体の知れない不気味さに首を傾げる。


『北条さん、現場はどんな感じなんだ?』


無線機越しに、司令室の虎太郎が苛立ちを孕んだ声で尋ねてきた。


「ああ。屋上に人が集まったままでね。今のところ暴動が起きる気配はないんだが……不自然に静かすぎる」


『こっちは悠真がハッキングを仕掛けてる。ただ、相手は相当なやり手らしくて、あの悠真がてこずってるんだ』


「悠真くんが? ……凄腕の技術者があちら側にもいるようだね」


『ああ……ん? なんだこれ、カウントダウンが始まったぞ!』


虎太郎の驚愕した声が響く。

モニターに映し出された『神の国』のサイト右下に、真紅の数字が刻まれ始めていた。


「カウントダウンだって?」


『ああ。あと二十秒……』


北条が自らの腕時計に目を落とす。


「二十秒後……十七時だね」


「十七時に、何が起こるというんだ……?」


稲取が固唾を呑んで見守る中、針が静かに重なり、十七時を指した。その瞬間――。


「北条さん!!」


稲取が叫び、ビルの巨大ビジョンを指差した。

それまで華やかなCMを垂れ流していた画面が、一瞬にしてノイズに包まれ、深淵のような真っ黒な色に染まる。


(十七時ちょうど……。サイトのカウントダウンは、このビジョンのジャックと連動していたのか!)


北条は嫌な予感に突き動かされ、ビルに向かって全力で駆け出した。

パトカーの横で呆然としていた香川から拡声器を引ったくる。


「あっ、北条さん!?」


「ちょっと借りるよ!」


北条はボリュームを最大まで引き上げ、屋上の影たちに向かって絶叫した。


「今すぐにそこから下りるんだ!! 騙されてはいけない! このままでは君たちの身に、取り返しのつかない危険が及ぶ!」


必死の叫びがビルに反響する。

だが、その声を掻き消すように、巨大なスピーカーから重低音の「声」が鳴り響いた。


『――さて、同志諸君。皆、集まったかな?』


真っ暗な画面から、変声機で加工された歪な声が降り注ぐ。

地上にいた野次馬たちも、何事かと足を止め、空を仰いだ。


『同志たちよ、よく集まってくれた。皆、想いは一つのはずだ。私は『神の国』、その頂に君臨する者……』


ついに、姿なき支配者がその牙を剥いた。

北条は拡声器を握り締めたまま、黒い画面を睨み据える。

この演説の後に続くのは、救済か、それとも五千人の「同志」による大粛清か。

特務課の、そして東京の運命を左右する長い一分間が始まろうとしていた。


「皆さん、早く下りて……っ!!」


北条が声を振り絞る。

拡声器を通した声はビル風に散り、屋上の群衆には届かない。

北条の脳内では、警鐘が鳴り止まなかった。

これまでの長い刑事人生で、彼の『悪い予感』が外れたことは、一度としてなかったからだ。


『よく集まってくれた、同志よ。ここに君たちがいるということは、何らかの理由で現代日本に失望し、絶望したからだろう。……そう、私も同じ気持ちだ。今の日本は腐りきっている。「国」として存在することが許されないほどにね』


真っ黒な大画面が、感情を排した声で淡々と語り続ける。


『そこでだ、諸君。この腐りきった国に、我々の存在を賭けて抗議しようではないか。嘆願書、直談判、メール……ここに集まった君たちは、あらゆる手段で国を変えたいと願ったはずだ。それでも、今の日本は何も変わらなかった。……なぜだと思うかね?』


「悠真くん……あと、あとどれくらいかかるんだい……っ!」


北条が、震える声で無線を飛ばす。


『……一生懸命やってるけど、あと三十分はかかる。このページを構築した奴、きっと僕たちと「同類」だよ。防御コードの組み方が尋常じゃない……!』


「マジかよ……。悠真よりパソコンが使える奴が、あっち側にいるっていうのか?」


『負ける気はない。でも、これだけのプロテクトを突破するのは……時間が足りない』


普段は不遜なほど自信家な悠真が、神妙な声を出す。

それが何を意味しているのか、北条は痛いほど理解した。

――物理的に、このサイトを止めるのは間に合わない。


北条は拡声器を隣の稲取に無理やり押し付けた。


「稲取くん、できるだけ根気よく呼びかけを続けてくれ! 止めてはいけないよ!」


「あ、ああ……! 北条さんはどうするんだ?」


「僕は直接上に行く。一人でもいい、力ずくで引きずり下ろす!」


下で見上げているだけではいけない。

そう決意し、一歩踏み出したその時だった。


『今の日本が動かないのは、どこかで我々「訴える者」が本気ではないと高を括っているからだ。だから、私はこの手段を執ることにした。……どうかね? 政府のお歴々。この惨状を、特等席で見届けていただこうか』


声の主は、まるで政府をあざ笑うように高らかに告げる。


『さて、そろそろ実行に移すとしよう。書面も、言葉も、文明の利器も無視された。ならば、残る手段はただ一つ。……我々の“命”をもって、楔を打ち込むことだ』


「!!!」


北条が何かに気づき、劇的な勢いで足を止めた。


「香川くん!! 大至急、消防と救急に連絡! 応援も何でもいい、都内の全救急車をこの場へ回させろ!!」


「え……あ、はい!」


普段の温厚さからは想像もつかない北条の咆哮に、香川は一瞬硬直したが、すぐに携帯を掴んで叫び始めた。


「司令室! 司ちゃん、志乃ちゃん! 大至急、都内全域の三階以上の建物の所有者に通達だ! 屋上に人を上げるな!……要請じゃない、これは特務課の『命令』だと言え!!」


『……は、はい! 了解しました!』


志乃も、北条の異常なまでの緊迫感に、弾かれたようにオペレーションを開始した。

ビルの縁に並ぶ人々。

彼らが「一斉に」その足を一歩踏み出した時、東京は未曾有の惨劇に包まれる。


「人命というものは、尊く、最もメッセージ性があるものだ。浪費こそできないが、ここぞというときにはそれを使うのもまた、一つの手段だろう」


静かに、そして事務的に画面の向こう側の人物は語る。

その声に宿る底冷えするような狂気が、冬の夜風よりも冷たく現場をなでた。


「やめろ……やめるんだ。みんな、頼む……早く……っ!」


北条の顔から血の気が引いていく。

これまでの犯行、被害者たちの背景、そしてこのビルの屋上に揃えられた「4322」という欠片たち。

そのすべてが北条の脳内で最悪のパズルとなって完成していく。


「さて、ここで長々とお喋りをしたところで何も変わるまい。始めようか。……同志よ、神の国のため、その命を――」


「やめるんだぁぁぁ!!!」


北条が、普段の温厚さからは想像もつかない裂帛(れっぱく)の気迫で叫んだ。

喉が潰れんばかりの絶叫。

だが、非情な宣告はそれを飲み込んでいく。


「――神に、捧げよ」


冷たく、低く、重い一言。

その一声が、まるで五千の神経系を繋ぐスイッチとなった。


「神の国のため」


「幸せな国のため」


「大切な人のため……」


「守るべきもののため……」


うわ言のような唱和がビルから降り注ぎ、次の瞬間。

一列に並んでいた人影が、重力にその身を委ね、一歩前へ踏み出した。


「やめろぉぉぉーーーっ!!!」


それは、地獄絵図だった。

夕闇の空を、無数の黒い影が鳥のように、あるいは石ころのように横切っていく。

直後、地上を震撼させたのは、生物が物体へと変わる「ドサッ」「ゴン」という連続した鈍い衝撃音。

雨音のように絶え間なく続くその音が、石畳を血で染め上げていく。


消防隊が、救急車が、到着したときにはもう遅かった。

一分前までそこにいたはずの命は、屋上には一人も残っていなかった。


『さぁ、これがこちらの抗議の形だ。政府の……いや、総理大臣殿の賢明な判断を求める。こちらの要求は書面にして官邸に送ってある。返信は、その書面に記載したアドレスへ頼むよ』


一方的に告げられた声が途絶えると、ビジョンには何事もなかったかのように、軽快なBGMと共に清涼飲料水のCMが流れ始めた。


「……ふざけ、やがって……っ!!」


北条の拳が、怒りで白くなるほど固く握りしめられる。

画面の向こう側の人物は、この凄惨な光景すら、ただの「交渉のテーブル」に過ぎないと言い切った。


「…………」


北条は、色彩を失った瞳で立ち尽くす。

目の前で、大勢の人間が死んだ。

あと数分早ければ。

あと数メートル近ければ。

その「ギリギリの距離」で救えなかった無力感が、北条の心を苛む。

それさえも、敵の計算の内だったのかもしれない。


『――サイトのクラッシュまで、あと七分!!』


無線から、悠真の悲鳴に近い声が響いた。

当初の予定を大幅に繰り上げた、渾身のハッキング。


「……ああ。……でも、もう、間に合わなかったよ……」


北条が呆然と呟く。

その肩が、小さく震えていた。


『しっかりしろよ!! まだやることは山ほどあるだろうが!!』


無線の向こうから、虎太郎の怒鳴り声が飛び込んできた。

その声もまた、激しい怒りと悔しさに震えている。


『今からそっちに向かう! サイトの残党は悠真が完膚なきまでに叩き潰してくれる! 北条さん、まずは亡くなった方の身元特定だ! それと、パソコンの有無! 遺された手がかりを一つも逃すな!』


虎太郎の叫びが、北条の凍りついた思考を打ち砕く。


『見てやがれ……。俺たちの目の前でこれだけのことをして、タダで済むと思うなよ……。絶対に、その引き金を引きやがった野郎の尻尾を、この手で掴んでやる!!』


北条はゆっくりと顔を上げ、手についた血を拭うこともせず、鋭い眼差しをビルに向けた。


「……そうだね、虎太郎くん。おじさんは、少し感傷に浸りすぎたようだ」


北条の瞳に、刑事としての氷のような冷徹な火が灯る。


「司ちゃん、志乃ちゃん。被害者のリストアップを。……悠真くん、今の映像の送信元、一ミリの誤差もなく突き止めて。――『神』の正体を、拝みに行こうじゃないか」

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