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SEVEN~警視庁特務課~  作者: 桂木 京
第5話:暗躍する組織

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追跡のさなかに

警視庁特務課。

各分野のエキスパートたちが集まった特殊組織である。

その人数は総勢八名と他課に比べれば極端に少ないものの、司令官・司を筆頭に、これまで数多の難事件を闇に葬ってきた。


しかし、特務課結成以来、初となる「未解決」の汚点が、今まさにその歴史に刻まれようとしていた。


大手銀行立てこもり事件。

巧妙な手口で過去の凶悪犯たちの釈放を要求した、主犯・F。

彼はまた、警察の救出劇という心理的盲点を突き、人質の群れに紛れて現場から脱出。忽然と姿を消した。


「……国内にいるのは、間違いないんだよね?」


北条の低い問いに、志乃が手元のモニターを操作して答える。


「ええ。渡航履歴は白。直近の捜索願から全ての失踪者を洗った結果、ついにFの身元が浮上しました。名前は『藤井ふじい 義彦よしひこ』。都内の外資系大手投資銀行で、課長職に就いていた人物です」


「へぇ、良くそこまでわかったねぇ……」


「警察に届けられた捜索願の中から、届けのあった日付を元に絞り込み、さらに対象者の職場などに連絡して確認し精査しました。年齢、そして支店長代理の証言とも完全に一致します」


「ホント……志乃ちゃんの実力には、いつだって頭が下がるよ」


「ぜってー敵に回したくねーな、志乃さんは」


虎太郎が肩をすくめて戦慄する中、特務課独自の捜査は着実に被疑者の輪郭を捉えていた。

司はこの情報を即座に全署へ共有。

警視庁は「藤井義彦」を重要指名手配被疑者として大々的に公開した。


「さて、これからの特務課の捜査方針はどうする?」


北条が、司令席に座る司に視線を向ける。

二名の死者を出したものの主犯は逃走、残りの人質や行員に更なる被害はなかった。

藤井の行方を追うことは警視庁全体の至上命題だが、特務課には特務課のやり方がある。


「私たちは、藤井の足取りを執念深く追跡すると同時に、都内で発生し続ける他の事件の対処も並行して行います」


司が迷いのない口調で断じた。

失態に囚われ、今この瞬間も起きている脅威を蔑ろにすることは、彼女の正義が許さない。


「そうだね。それがいいと思うよ。事件がない時は藤井の自宅や職場へ聞き込みを行い、小さな違和感を拾い集めよう。緊急の事案が起きた際は、必要最小限のメンバーで対処する。――それでいいね、司ちゃん?」


北条が司の方針を噛み砕き、メンバーたちに確認を取る。

一同、異論はない。

彼らの瞳には、逃げた「紳士」を必ず引きずり戻すという静かな闘志が宿っていた。


「……藤井の家族、さっき署に来たらしいっスよ。家庭事情や夫婦仲について、かなり絞られてたみたいだね」


「悠真くん! また取り調べ記録をハッキングして……! そういった情報は、待っていれば正式に共有されるから!」


司令室に志乃の叱咤が響く。

これまでの功績により、警視庁内における特務課の立場は改善されつつある。しかし、そんな「公的な評価」など、彼らにとっては二の次だった。


彼らが求めているのは、ただ一つ。

人質という盾の後ろに隠れ、警察をあざ笑って消えた藤井義彦――その男の喉元に、再び牙を立てることだけだった。



「藤井は、妻と娘一人の三人家族だったみたいだね。男一人に女二人の家庭。しかも娘さんは女子大生だ。次第に家の中でも肩身が狭くなっていったんだろうね。それに加えて、会社ではどんどん部下や後輩が台頭してきて、最近は事実上の窓際族だったらしいよ。名ばかりの役職ってやつかな? とにかく、公私ともに『居場所』がなかった感じだね……」


北条が自らの手帳を捲りながら、藤井の背景を淡々と説明する。


「……ってか、北条さんもうそこまで知ってたのかよ!」


虎太郎の驚愕の声が司令室に響く。


「うん。娘さん、すごく美人だったよー。奥さんも本当に気立てが良くて、僕が妻にしたくなったほどさ」


「そうじゃなくて……いつの間に聞き込みに行ったんだよ!」


「え……? 昨日の夜だけど?」


「はぁ!?」


銀行立てこもり事件の引き継ぎを捜査一課に依頼した直後、北条はそのまま一課の事務所へ足を向け、課長の稲取と密かに情報交換を済ませていたのだ。


「捜査員は足が命。どんな些細なことでも気になったら現場を歩いて情報を拾う。それが刑事の基本だよ」


それは、北条が新人の頃に先輩刑事から徹底的に叩き込まれた教え。

捜査一課のエースに昇り詰め、特務課に配属された今でも、北条はその「基本」に誰よりも忠実であり続けている。


「さすが北条さんね。私……貴方の言うことだけは、ちゃんと聞くように心がけるわ」


最近配属されたばかりのあさみの瞳には、北条への明確な敬意が宿っていた。


「ベテランになっても初心を忘れないその姿、尊敬に値するわ。虎太郎、貴方も少しは見習うことね!」


「あ? 俺がいつサボったって言うんだよ! 俺だって足使って捜査してるわ!」


あさみの辛辣な言葉に、虎太郎がむきになって食ってかかる。

前回の事件で「何もできなかった」という自責の念がある虎太郎にとって、鮮やかな初陣を飾ったあさみは、今や最大のライバルとなっていた。


「よーし、じゃあ俺もボチボチ『足を使って』捜査してくるかな!」


虎太郎が勢いよく立ち上がった、その時だった。


「北条さん! いますか? 新しい事件です!」


特務課の司令室に、一人の刑事が息を切らせて駆け込んできた。

捜査一課の新米刑事、香川である。


「なんだよ。俺たちに頭を下げに来たのか? エリートさんよ」


「君たちに用はない。呼んだのは『北条さん』だけだ」


顔を合わせるなり、激しく火花を散らす虎太郎と香川。


「ほらほら二人とも、職場でつまらない喧嘩はしない。……それで香川くん、僕に用事なんだろう?」


司が冷ややかな視線で見守る中、北条がいがみ合う二人の間に入り、穏やかな、しかし拒絶を許さない口調で先を促した。


「そうなんですよ北条さん! 突然、事件が……」


香川が興奮を抑えきれない様子で身を乗り出す。


「突然? どういうことだい、香川くん」


事件とは常に突然起こるものだ。

それをあえて強調する若きエリートの言葉に、北条は柔和な笑みの裏側で神経を研ぎ澄ませた。


「大学、病院、図書館。三箇所でほぼ同時に襲撃事件が発生しました。犯人はいずれもその場で取り押さえられ、現行犯逮捕されましたが……」


「……ですが?」


「本当に『突然』なんです。大学では親友と学食を囲んでいた学生が、会話の途中でフォークを手に襲いかかり。病院では見舞いに来た娘夫婦を歓迎していた老婆が、突如として花瓶で婿の頭部を砕き。図書館では司書が、返却に来た主婦の喉を千枚通しで……」


いずれも、一秒前までは平穏な日常の風景だったという。

凶器はいずれも現場にあったありふれた日用品。


「……偶然にしては出来すぎているね」


北条が顎を撫でる。

犯行自体はシンプルで、すでに解決済み。

通常なら捜査一課の管轄で終わるはずの案件だが、香川がここに来た理由は明白だ。


「死者は?」


「病院の男性と、図書館の主婦が亡くなりました。前者は滅多打ちによる脳挫傷、後者は頸動脈を突かれたことによる外傷性ショック死。大学生は一命を取り留めましたが、全治二ヶ月の重傷です」


「そっか……可哀想に……」


北条が悲しげに目を伏せる。

その沈黙を破ったのは、鋭いあさみの声だった。


「香川刑事。犯人たちに、格闘技や武術の経験は?」


「え……? 全員、身体を動かす習慣すらない一般人だが……」


「被害者との怨恨は?」


「皆無だ。大学生二人は親友。老婆も娘夫婦には感謝していた。司書と主婦に至っては面識すらない。殺害の動機が、どこを探しても見当たらないんだ」


香川の説明を聞いて、あさみが眉間に深い皺を刻む。


「……おかしいわね。人間を殺すほどの致命傷を負わせるのは、そう簡単じゃない。フォークや花瓶のようなリーチの短い道具で相手を絶命させるには、的確に急所を貫くか、あるいは生物としての防衛本能を完全に無視して執拗に攻撃し続ける必要がある。何の訓練も受けていない一般人が、衝動だけでそこまで『完璧な殺害』を完遂できるかしら」


特殊部隊出身のあさみにとって、人体は壊れやすく、同時に「殺すには技術がいる」ものだった。


「仲の良い人間を傷つけるには、凄まじい決意と葛藤を乗り越えなきゃならない。殺意を抱けば、普通は『準備』をする。凶器を選び、心を殺し、逃走を画策する……。それらを一切飛ばして、いきなり『プロの殺し屋』のように振る舞うなんて。……背筋が凍るわね」


あさみの分析を聞きながら、北条の脳裏に、あの銀行で藤井義彦が手にしていた『シナリオ』がよぎった。

もし、この三件の惨劇すらも、誰かに書き込まれた「台本」の一部だとしたら――。


特務課の司令室に、立てこもり事件とは質の異なる、薄気味悪い寒気が立ち込めた。



「香川くん……。知ってたらでいいんだけどさ、三件の事件の『犯行時刻』はわかるかな?」


「犯行時刻……ですか?」


唐突な北条の問いに、香川は慌てて手帳を捲った。

殴り書きされた報告内容を一つずつ確認し――香川の指が、ある一点で止まる。


「……あ」


「どうしたんだい?」


「目撃者の証言に基づくものなので、正確な秒単位まではわかりませんが……。三件ともすべて、『十二時三十分から三十二分の間』に発生しています……」


香川が今まで見落としていた事実に、北条は一瞬で辿り着いた。


「二分の誤差は、おそらく目撃者の主観によるものだね。……間違いなく、この三件は『同時』に起きている。まるでその時間に、誰かがスイッチを入れたかのように」


北条の冷静な分析が、司令室の空気を凍りつかせた。


「まさか……誰かに操られていたっていうの?」


あさみの言葉に、北条は自分の手帳に何かを書き込みながら答えた。


「うーん、それはまだなんとも。調べてみないことにはねぇ。……ちょっと、捜査に行ってくるかな」


北条がコートを手に取るのを見て、虎太郎も弾かれたように準備を始める。


「あ、俺も行くぜ、北条さん!」


「あ、司ちゃん。お願いがあるんだけど……」


司令室のドアを開ける直前、北条が振り返った。


「犯人の三人。何か共通のサークルやコミュニティに加入していなかったか調べてほしいんだ。大学生の彼については僕が直接聞き込みに行くから、他の二人を頼めるかな?」


「ええ……了解したわ。志乃さん、悠真くん、お願いできるかしら」


司の指示に、二人が即座に応じる。


「了解しました」


「オッケー、任せてよ」


「ありがとう。じゃ、早速行ってくるね」


北条と虎太郎が疾風のごとく司令室を後にした。

残された司は、待機していた二人に視線を向ける。


「あさみ、辰川さん。あなたたちも聞き込みに回って。被害者側の家族の話を聞いてほしい。何か最近トラブルはなかったか、おかしな団体に勧誘されてはいなかったか。……相手は遺族よ。聞き込みは慎重に行いなさい」


「はいよ。一緒に行くかい? お嬢ちゃん」


「うーん。おじさんは趣味じゃないけど、聞き込みは不慣れだからついていくわ」


辰川とあさみも連れ立って出動し、司令室には司と分析チームだけが残された。


「北条さんの推測が正しいのなら……。この後も各地で、特定の時刻に襲撃事件が連鎖する可能性があるわ。各部署へこの事実を共有。応援を要請しましょう」


司が全署への警告を発しようとした、その時だった。


「入電です! 都内五箇所で通り魔事件が同時発生! 犯人はいずれもその場で現行犯逮捕とのことです!」


志乃の悲鳴に近い報告が響き渡る。


「思ったよりも、早かったわね……。全捜査員へ至急連絡! 現場の保存と犯人のデバイスの確保を最優先に!」


またしても、狂気のシンクロニシティ。

司の脳裏には、巨大な「蠍」の影が、都内全域を毒針で突き刺しているような禍々しいイメージが浮かんでいた。



「五箇所……。やっぱりとは思っていたけれど、まさかこれほどとはね」


無線の報告を受け、北条の顔が険しく強張る。

同じような連鎖が起こることは予見していた。

だが、まさか同日の、それも全く同じ時刻にこれほど多発するとは。

北条は歩みを止め、思索の海に沈む。


「くっそ……どこから手を付ける? とりあえず一番近い現場は……」


「虎、ちょっと待って」


現場へ急行しようと逸る虎太郎を、北条が静かに制した。


「行かないのか?」


「うん。司ちゃんが一課と他部署に全力で応援を回しているなら、起きてしまった事後捜査は彼らに任せよう。僕たちが現場を回っている間にも、事件は増え続けてしまう」


「なるほど……なら、どうするんだ? 何かあてはあるのか?」


「うーん、まだ。……でも、糸口は見えたよ」


北条が手帳を開き、書き殴ったメモの一部を赤ペンで鋭く囲った。


「生存者(被害者)ではなく、犯人の家に行くよ。もし何らかの指示があり、操られているのだとしたら、その鍵となる『発信源』が自宅に残されているはずだ。大学生、老婆、司書の順で回る。それが終わったら、今起こった五件の犯人宅だ!」


「おぉ……了解!!」


虎太郎が力強く頷く。

北条の頭脳は、混乱の中でこそ冴え渡る。

通常の捜査は「被害者」の周辺から怨恨を探ることから始まるが、今回の八件の事件はどれも『犯人逮捕』という形で形式上の解決を見てしまっている。


「解決した時点で、普通の捜査員はそれ以上の深追いに消極的になる。『誰が』『いつ』『どうやって』が、逮捕によってクリアされているからね。でも、僕たち特務課が調べるのはその先だ。この後に続く事件を、一秒でも早く止めるためにね」


北条は確信していた。

今回の事件は、個人の殺意で完結するものではない。


「問題があるのは被害者側ではなく、加害者側だ。共通点を、死に物狂いで探すよ」


「了解!!」


「まずは大学生の家だ。ここからそう遠くないはずだよ」


走り出して十分。

二人が辿り着いた大学生の自宅前は、すでに地獄のような様相を呈していた。


「ちっ……。こうなることは分かってたが、早すぎるな」


「こっちにも『応援』が必要そうだね……」


住宅街の一角。

逃げ場のない加害者家族を、獲物を見つけた飢えた狼のような報道陣が囲んでいた。


「妹さんですか? お兄さんの凶行について一言!」


「やめてください! この子はまだ中学生なんですよ!!」


フラッシュの光に晒され、震えながら娘を庇う母親。

世間という名の「正義」が、無関係な家族の日常をも容赦なく噛み砕こうとしていた。


「虎、報道陣の排除を。……僕は、お母さんの話を聞いてくる」


北条の瞳から、いつもの柔和さが消える。

無慈悲に引き裂かれた家族の絆の裏側に、あの「蠍」の毒が潜んでいないかを見極めるために。


「幸いにも被害者は一命を取り留めたようですが、ご家族として、被害者の方に何か言いたいことは?」


「う、うぅ……」


容赦なく浴びせられるフラッシュの光と、心無い質問の(つぶて)

母親は立っているのが精一杯というほどに疲弊し、寄り添う妹の目からは、絶望の涙が零れ落ちていた。


「あいつら……ふざけやがって!!」


虎太郎が我慢の限界とばかりに拳を握り、報道陣へ突っ込もうとする。

だが、その肩を北条の手がそっと、しかし強く制した。


「北条さん……!!」


「ここで怒りに任せて暴れたら、格好の餌食になるだけだよ。ここは穏便に、ね。……ちょっと待ってて」


北条は虎太郎をその場に留めると、重い足取りを一つも見せず、軽やかな足取りで報道陣の壁へと歩み寄った。


「まぁまぁ、皆さん。そのくらいにしてあげたらどうだい?」


「……なんです、あなたは。邪魔をしないでください」


最前列にいた記者が、不快そうに北条を睨みつける。

北条は動じることなく、母娘の前に立ちはだかるようにして、スーツの内ポケットから使い込まれた警察手帳を取り出した。


「あ、僕ね。こういうものなんだ。……これ以上、この二人を追い詰めると、こちらとしても少々『都合』がよくなくてね」


鈍く光る旭日章を突きつけられ、現場の空気が一瞬で凍りついた。


「どうする? 僕の一声で応援を呼んで、公務執行妨害で一人ずつお話を伺ってもいいんだけど。……逆に、どこかの局が不当な取材活動として別の社のスクープになっちゃうかもしれないよ?」


口調こそ軽いが、その目は一切笑っていない。

柔和な仮面の裏から覗く「本物の刑事」の迫力に、報道陣は気圧されたように後退りした。


「……わ、わかりましたよ。一旦引き上げましょう」


「ですが、真実を伝えるのが我々の使命ですからね!」


「必ず、裏を取ってみせますよ!」


負け惜しみのように文句を吐き捨てながら、波が引くように報道陣が散っていく。


「ふぅ……。もっと僕たち老人のためになることを放送してよ。安い居酒屋とか、隠れた絶景スポットとかさ……」


深いため息をつく北条の背中に、虎太郎が駆け寄った。


「北条さん、さすがだな……! あいつら、一瞬で黙りやがった」


「こんな感じだよ、虎。相手に『引く方が得だ』と納得してもらえばいい。手段はケースバイケース、ね」


北条が警察手帳を懐にしまい、表情を和らげる。


「あ、あの……ありがとうございます」


「助けてくれて……本当に、ありがとうございます……」


怯えていた母と妹が、恐る恐る北条たちに歩み寄ってきた。


「いいえ。怪我はないかな? 報道の人たちは、スクープのためならデリカシーなんて鞄の中に置いてきちゃうからねぇ」


やれやれと首を振る北条に、母親は縋るような瞳を向けた。


「はい、おかげさまで……。それで、刑事さんも、息子のことを……?」


「お兄ちゃんは、人を殺そうとするような人じゃないんです! 優しくて、喧嘩だってしたことがないのに!」


妹が必死に、兄の潔白を叫ぶ。

北条はその言葉を否定せず、中学生の彼女の目線に合わせるように少し腰を落とした。


「……うん。それを詳しく知りたいと思って、ここに来たんだよ。お兄さんのこと……僕――じゃなかった、おじさんに詳しく教えてくれないかな?」


あくまで紳士的に、そして一人の人間として。

北条は、壊れかけた家族の「真実」へと、静かに手を差し伸べた。


「息子のことを……追求しに来たのではないのですか?」


大学生の母が、おずおずと、しかし警戒を解かずに北条を見上げる。


「追求だなんて、とんでもない。失礼な言い方かもしれないけれど、息子さんは既に逮捕されている。それ以上のことを家族の皆さんに強いるつもりはないよ」


北条は穏やかに微笑み、諭すように続けた。


「私たちがここに来た理由、それはね……『どうしてこうなったのか』を知るためだよ。お母さんも妹さんも、全く心当たりがないんだろう?」


その言葉に、母と娘は顔を見合わせた。


「ええ……。こんなことを言えば、親の欲目だと怒られるかもしれませんが……。うちの子は、あんなことをするはずがないんです。真面目というよりは、とても内気な子で……」


「そうなんです。お兄ちゃん、中学の時にいじめに遭って不登校になったことがあって。高校で一生懸命頑張って、ようやく大学生になったのに……」


「そっか……頑張り屋さんだったんだね。被害に遭った方は、当時のいじめに関わっていたとか、そういうことは?」


北条が慎重に、かつ的確な質問を投げかける。


「いいえ。彼は大学に入ってから知り合ったんです。とても優しい子で、過去のことは何も聞かずに『これからずっと親友でいよう』なんて言ってくれて。どうして、そんな大切な人に大怪我を……」


母親の言葉に嘘の色はない。

深い悲しみと困惑が混ざり合ったその声は、事件の異様さをより際立たせていた。


「……ますます分からなくなったな。怨恨どころか、恩人みたいな奴を襲ったのかよ」


虎太郎が渋面を作り、北条に囁く。

北条もまた、小さく頷き、思索の海に沈んだ。


「――失礼を承知で、一つお願いがある。息子さんの部屋を見せてもらうわけにはいかないかな。彼の中に起きた異変のヒントが、そこなら見つかるかもしれない。本当のことを言えば、話を聞くよりもそっちの方が確実だと思ってお邪魔したんだ」


正直に目的を明かす北条。

母と娘は一瞬だけ不安げに視線を交わしたが、やがて決心したように小さく頷いた。


「わかりました。……それで、あの子に何が起こったのか分かるなら」


「お願いします」


「ありがとう。……必ず、掴んでみせるよ」


北条の瞳に、刑事としての鋭い覚悟が宿る。

案内されて家の中に入ると、廊下や玄関先には、手入れの行き届いた綺麗な花が随所に生けられていた。


「これ、お母さんが?」


「ええ。……趣味なんです」


「素敵な趣味だ。家の中が華やかになっていいですね」


あくまで紳士的に、家族の緊張を解きほぐしながら歩みを進める北条。

その後ろを追う虎太郎は、その背中を見つめながら独りごちた。


(こういうところが、やっぱり人を安心させるんだろうな……。さすがは北条さんだぜ)


熟練の刑事が醸し出す、嵐の前の静けさのような安らぎ。

二人はついに、惨劇の「引き金」が眠るであろう大学生の個室の前へと辿り着いた。

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