攻撃の準備
「銃声……!?」
ラッキーマートの店内で息を潜めていた虎太郎、辰川、そしてあさみ。
その静寂を切り裂く微かな振動を、あさみの耳だけが捉えていた。
「銃声? そんなの聞こえたか?」
「いいや……俺の耳には届かなかったな」
顔を見合わせる虎太郎と辰川。
だが、あさみの瞳はすでに戦闘者のそれへと変貌していた。
「銀行内……銃声は『おそらく』一発。音の重さと反響からして、ハンドガンじゃない。……危険ね。ライフル、あるいは散弾銃。一撃で標的を粉砕するタイプよ」
「おいおい、そんなことまで分かるのかよ……?」
あさみの冷徹な分析に、辰川が思わず舌を巻く。
「部隊で散々叩き込まれたから。寝る暇も与えられず、泥水を啜りながらね」
淡々と語りながら、あさみはブラインドの僅かな隙間から銀行の影を見据えた。
その横顔には、若さに似合わぬ凄絶な覚悟が刻まれている。
「全く……女なのに、大したもんだな……」
虎太郎は心からの感心を込めてそう溢した。だが――。
「あんた」
「……え?」
「そのセリフ、次にもう一度口にしたら、本気で殺すから」
あさみの鋭い視線が、ナイフのように虎太郎の喉元を射抜いた。
「な……なんだよ、急に……」
「私はね、『女だから』『女のくせに』って言葉が、この世で一番嫌いなの。女だって、鍛え上げればそこらの男より動ける。男より戦える。性別が違うだけで、無条件に格下に見られるのが、虫唾が走るほど大っ嫌いなのよ。だから――私はあんたたちの誰よりも、ここで働いてみせる」
過去の傷跡が、あさみの言葉に鋭い棘を纏わせる。
彼女にとって特務課は、自分を「一人の兵士」として証明するための戦場でもあったのだ。
「……すまねぇ。言葉の使い方、間違えたわ」
虎太郎は真っ直ぐにあさみの目を見返し、潔く頭を下げた。
そこに揶揄も嘲笑もない。
「悪りぃな嬢ちゃん。虎にそんなつもりはねぇんだ。……ここはひとつ、俺に免じて水に流してくれねぇか?」
辰川が穏やかな笑みを湛え、二人の間に割って入った。
「言葉足らずだったかもしれねぇが、虎は嬢ちゃんのことを『プロ』として尊敬して言ったんだ。それは俺が保証する。この特務課にいる連中は、誰も性別や経歴で人を差別しねぇ。互いの腕を信じ、尊敬してる。そんな『はみ出し者』の集まりだからこそ、他の課にはできねぇ仕事ができる……俺はそう信じてるぜ」
包み込むような辰川の言葉に、あさみは毒気を抜かれたように大きな溜息を吐き出した。
「……うん。私も、少し興奮しすぎた。ごめん。昔、女だってだけで理不尽な目に遭ったことがあって。ちょっと神経質になってたかも」
「いや……俺の方こそ、配慮が足りなかった」
「よし、これで解決だ。いいなぁ、若いっていうのは。ぶつかり合う姿も清々しいもんだ」
年長者の辰川が場を丸く収めると、三人は再び並んで窓の外、沈黙を守る銀行へと意識を向けた。
「……動くなら、このタイミングしかないわ」
あさみが短く、決行を告げる。
銀行の奥から響いたあの一発。
それは、犯人たちの強固な『シナリオ』が、内側から崩壊し始めた合図に他ならない。
「司さん、北条さん。こちらラッキーマート組。――『掃除』の時間よ」
あさみの合図と共に、特務課の反撃が静かに、しかし鮮烈に開始された。
「そうね……始めましょうか」
虎太郎、辰川、あさみの三人が交わした言葉を無線で受け止め、司が静かに、しかし断固たる決意で腹を括った。
「悠真くん、銀行のシステムへの『道』は開けている?」
「いつでも良いよーん。僕の指先ひとつで、あの鉄の城を丸裸にしてみせるよ」
「志乃さんは、あらゆる逃走ルートを再予測。周辺の全パトロールカーに応援要請を」
「了解。ネズミ一匹、この包囲網からは逃がしません」
司令室の空気は、絶対零度の集中力に満たされていた。
「で、どこまで乗っ取る? とりあえず正面シャッターを全開にする?」
「そうね……シャッターの開放、および全フロアのオートロック解除。まずはそこからよ。あさみ、聞こえてる?」
『もちろん!』
「合図があったら、あなたの判断で最短ルートから突入して。犯人は長物を持っているわ、慎重に」
『私を誰だと思ってるのよ? 大丈夫、弾丸より先に私のナイフが届くわ』
「それから、辰川さん……」
『わかってる。煙幕と閃光弾で、ロビーを極彩色の地獄に変えてやるよ』
司が次々と放つ指示。それは各員の特性を極限まで引き出す、特務課という「精密機械」の設計図だった。
「虎太郎くんは……いつも通り。あなたの『野生』に従って動いて」
『え? また丸投げかよ……』
「あなたの直感は、特務課にとって最も予測不可能な武器なのよ」
野性的な勘。
それこそが、Fの緻密なシナリオを食い破る唯一の牙。
そして、司は最後に、現場の核へと語りかけた。
「北条さん。合図は、あなたにお任せします」
『はいよ。了解。……でも、普通に叫ぶと悟られちゃうからね。犯人との対話の中に、合言葉を混ぜることにしようか。そうだねぇ……』
北条は少しの間、沈黙の後に呟いた。
『――「残念だけど、それは無理だよ」。これにしよう』
交渉人にとっての「拒絶」は、通常なら最悪のタブー。
だが、それを血の入れ替えの合図に選ぶ。
北条らしい、皮肉の利いた演出だった。
「さて。じゃあ皆、配置について。いつ死神から電話がかかってくるか分からないからね」
北条は、隣に座る稲取たち三人のエースにも、鋭い視線を向けた。
「稲取くん、秋吉ちゃん、古橋くん……そういうわけだ。特務課の背中は、任せたよ」
「……私は、北条さんのバックアップに徹します」
「一課は周辺の封鎖を完遂させる。一歩も外へは出させん」
「SITは、特務課の突入に合わせて即座に第二波として展開します」
それぞれの正義が、一つの目的のために収束していく。
指揮車を降り、再び銀行の正面へと歩き出す北条。
その手には、まだ鳴らぬ受話器が握られていた。
運命の三十分。
その砂時計の最後の一粒が、今、落ちようとしていた。
「あとは、突入のタイミング、だな……」
虎太郎がラッキーマートの窓から、沈黙する銀行を睨みつける。
「狙いは、あの支店長代理がバリケードを崩した正面玄関か?」
「いいえ。あそこからの突入はやめたほうがいいわ」
虎太郎の問いを、あさみは即座に、そして断固として否定した。
「何でだよ。あそこが一番、突っ込みやすそうじゃないか」
「……あんなに開けた場所は、大量の人質を一斉に逃がすのには最適。でも、そこに突入班をぶつければ、パニックになった人質と鉢合わせるわ。混乱の中で人質の身に危険が及ぶ。……突入は、別の場所から」
「別の場所って……どこだよ」
「そこなのよね……」
あさみの脳内で、銀行の構造図が立体的に組み上がっていく。
そこへ、司令室の志乃から鋭い報告が入った。
『特務課各員へ。最上階――ちょうどラッキーマート側の窓が一箇所、突入可能な隙間があります。なぜかそこだけバリケードが甘い!』
「最上階? 六階だろ、なんでそんな高い場所……?」
『おそらく、工作員の手が足りなかったのよ。最も突入の可能性が低い最上階を、犯人は「捨てた」んだわ』
「屋上からの降下突入だってあるだろ?」
虎太郎の言葉に、あさみは冷ややかな視線を返した。
「建物をよく見なさいよ。六階から階段でロビーまで降りれば、物音を察知されてから逃げるまでの猶予を与えてしまう。SITだって、人質の命を考えるならそんな愚かな真似はしない。……犯人はそう踏んでいるのよ」
「なるほどな……」
特殊部隊で培われた実戦知。
あさみは、犯人が「警察ならこう動く」と想定している裏側、その盲点を正確に突こうとしていた。
「……でも、そこしかなさそうね」
突入可能な選択肢は二つ。
隙だらけの正面玄関か、最も遠い最上階の窓か。
あさみは不敵な笑みを浮かべると、背後に控える男たちに視線を飛ばした。
「おじさん、即席の煙幕って作れる?」
「あ? 俺か?」
「ええ。あなた、爆発物のエキスパートなんでしょ?」
「おう……解除専門だがな。まぁ、理屈は同じだ。火薬の配合を変えりゃあな」
「解除ができるなら逆もできる。小さくていい、確実なのを一つ作って。それからアンタ」
あさみが虎太郎を指さす。
「店内のカーテンを繋ぎ合わせて、一番丈夫な綱を作って。長さは三メートルもあれば十分よ」
『あさみ、何をさせるつもり?』
会話を拾っていた司の声に、あさみは迷いなく答えた。
「このままじゃ、あの『F』の思うツボよ。私が先行して、一人で突破口を作る。表にはSITも待機してるんでしょ? 私が内部で合図を出した刹那、奴らに一気に踏み込ませる。それが一番確実で、死者を出さない方法よ」
『そんな……危険すぎます、あさみさん!』
志乃の悲鳴のような制止に、あさみは唇の端を吊り上げた。
「大丈夫よ。日本の立てこもり事件を研究したけど、どれも海外ほど過激じゃない。どの国の犯人よりも、自分勝手で我が身可愛さに動くのが日本の犯罪者。――そこには、必ず付け入る隙がある」
あさみの瞳に宿るのは、圧倒的な自信。
特務課の「新兵」は今、その真価を証明するために、六階の窓から「死神」の懐へと飛び込もうとしていた。




