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SEVEN~警視庁特務課~  作者: 桂木 京
第4話:命の価値

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北条の思惑

(なかなか手際が良いみたいだねぇ。やっぱり頼れるのは特務課ってわけだ)


無線から流れるメンバーたちの鮮やかな連携を耳にし、北条の口元に微かな笑みが浮かぶ。


「北条さん、食料の準備ができたぞ!」


ちょうどその頃、稲取が焦燥を隠しきれない大声で報告してきた。


「まだ二十分じゃないか。さすがは捜査一課、仕事が早いねぇ」


「ちっ、一課をパシリに使いやがって……。まぁいい、どうやってコンタクトを執るつもりだ?」


稲取の瞳には、一刻も早く犯人を引きずり出し、失墜した警察の威信を取り戻そうとする功名心が燃えていた。


「もうすぐ連絡が来るよ。きっと、指定した時間よりも少しだけ早く……ほら、来た」


北条の予言をなぞるように、車両内の電話が鳴り響く。


「はいはい、北条だよ」


『……だいぶ余裕ですね、北条さん。こんな事件、慣れっこですか?』


受話器越しのFの声は、これまで以上に冷たく、苛立ちを含んでいた。

北条が己の支配シナリオに屈せず、平常心を保っていることが不快なのだ。


「余裕だなんてとんでもない。どうすれば人質を救えるか、君と話しながらも必死に知恵を絞っているところさ」


『見え透いた嘘を……』


「本当だよ。人質に罪はない。君たちはすでに一線を越えているんだろう? だったら、一刻も早く他の人質を救い出したい。……これは僕の本心だ」


北条は内側に燃える怒りを、プロの仮面で完璧に覆い隠す。


「で? どうやって渡せばいい。解放する人質とは、どこで合流させる?」


『何も難しくはありません。私が最も信頼をおく人質に、解放する方を連れていかせます。食料は人質と交換。私は去り行く者の背後を撃つような、無粋な真似はしませんよ』


「……大丈夫。君のその言葉は信じているよ。それで? 誰が食料を運べばいい?」


北条は予測していた。

犯人は、武装を解除しやすい女性警察官などを指名するはずだと。

だが、Fの返答はその予測を無慈悲に上回った。


『……北条さん。あなたにお願いしましょうか』


「……!!!」


「……だいじょうぶ。こちらも武器などは一切持たせません」


「それは安心だけど……君にとってはリスキーじゃないかな? 交渉人を直接、取引に使うなんて」


ゆっくりと、思考の速度を落とさぬまま言葉を選んでいく北条。


『あなたの「誠意」を、直に確認したいのですよ』


「……分かった。僕が真心を持って届けるよ。銀行の正面へ向かえばいいかな?」


『えぇ。あなたの姿を確認次第、人質を外へ出します』


「……はいよ」


通話が切れると同時に、北条の表情から余裕が消え、深い皺が刻まれた。


「参ったねぇ……。想像以上にやり手だ。解決の瞬間まで、僕を現場指揮から引き離し、自らの監視下に置くつもりだわ……」


「北条さん、本気か!?」


稲取が詰め寄るが、北条はすでに上着を脱ぎ、両手を挙げる準備を始めていた。


「時間がない。二十五分のリミットまであと数分だ。……稲取くん、ここからは君の指揮だ。ただし――」


北条は無線機のスイッチをオンにし、特務課の全員へ届くように、そして稲取には悟られぬよう、最後の「指示」を呟いた。


「……エレガントな配達員の登場だ。みんな、しっかり見ていておくれよ」


その言葉は、屋上のあさみへ、司令室の悠真へ、そしてスーパーの虎太郎へと飛んだ。

特務課の『盾』が自ら囮となり、敵の懐へ飛び込む。

反撃のカウントダウンが、ゼロになろうとしていた。



稲取が用意させた、人質二十人分の食料が詰まった重いバッグを両手に下げ、北条は指揮車両から降り立った。


「いやぁ、こいつは重たいねぇ」


足取りをふらつかせ、のんびりと銀行の正面へ向けて歩き出す。

だが、その口元は襟元に隠したマイクへと向けられていた。


『あー、聞こえるかい? こんな感じで、僕は配達員に任命されてしまったよ。しばらく指揮車からは離れる。……今回の犯人、一筋縄ではいかないよ。実に性格が悪い』


無線越しに、司の冷静な声が返る。


『了解。でも北条さんが犯人の「至近距離」にいるのは心強いわ。周囲の工作は他のメンバーで完遂させる。自分の身だけを考えて』


「すまないねぇ。でも、なんとなく犯人の『正体』がつかめてきた気がするよ。確信を持ったら話すさ。……じゃ、お役目を全うしてくるとしようかね」


北条が銀行の正面玄関前にたどり着く。

彼は一度足を止めると、ゆっくりと上着を脱ぎ捨て、足元に食料バッグを置いた。

そして、白シャツ一枚の姿で、天を仰ぐように両手を高く掲げた。


「はい、着いたよ。……見てるんだろう?」


どこかに潜む犯人の「目」に対し、武器も隠し持っていないことを全身で示す。

指揮車両内では、稲取、秋吉、古橋の三人がモニターを食い入るように見守っていた。


「流石だ。上着を脱げば、身に着けている装備品がないことは一目瞭然。下手に隠し持って、見つかった瞬間に交渉が決裂するリスクを排除したんだ」


古橋が北条の判断を低く評価する。

だが、秋吉は青ざめた顔で呟いた。


「けれど……相手が最初から殺すつもりなら、あの姿はただの標的よ」


「……ま、今回は大丈夫ってことだろ。あの人の勘と頭脳が、そう導き出したんだ。信じるしかないさ」


かつての同僚である稲取が、祈るような眼差しでモニターを見つめた。


「……来た!」


古橋の声と同時に、重厚なシャッターが、大人の膝の高さまでだけ持ち上がった。


隙間から姿を現したのは、一人の老人だった。

目隠しをされたまま、震える手で杖をつき、ゆっくりと、探るように北条の方へと歩み寄ってくる。


「すみません……。私たちのために……」


杖を突き、深々と頭を下げる老人。

北条はそっと手を添えようとしたが、その震えの激しさに胸が痛んだ。


「こちらこそ。すぐに助けてあげられなくて、申し訳ない。あなたが、今回解放される方ですか?」


「えぇ、そう言われました。……この荷物を中に運んだら、そのまま外に出ていいと」


「分かりました。……目隠しは、今ここで外しても?」


老人は、見えない視界の中で激しく首を振った。


「いいえ……解放されるまで外すなと言われました。もし外せば、誰か一人殺すと……」


「驚くほど入念だなぁ。……重いですよ。手伝いましょうか」


「いえ、大丈夫。……ありがとうございます。本当、ありがとうございます……」


老人は必死の思いで重いバッグを肩にかけ、目隠しという名の暗闇の中を、再び銀行の内側へと去っていった。


北条はその背中を、ただ静かに見送るしかなかった。

だが、その鋭い眼光は、老人の足首、そして開いたシャッターの奥にある「影の配置」を、瞬きもせずに記録していた。


「さぁて、まずは一人目……か」


北条が小さく、深く、溜息を吐き出す。

老人が食料バッグを運び込んでから三分後。


再びシャッターが静かに持ち上がった。


そこには、目隠しをされたままの老人と、その肩を抱えるように支える支店長代理の姿があった。


「……この方を、解放します」


支店長代理はそれ以上多くを語らず、震える老人の背をそっと北条の方へ押し出した。


(あなたが無事に解放されて、本当によかった……)


声には出さない、支店長代理の切実な祈りが空気を通じて伝わってくる。

その表情を一瞥しただけで、北条は彼が「壊れかけている」こと、そして犯人に心まで操られていることを即座に見抜いた。


「次の要求は?」


電話が切られているこの無防備な状況。

北条はあえて、支店長代理に問いを投げかけた。


「次の……要求?」


「イエスなら『はい』、ノーなら『えぇ』で答えて」


戸惑う支店長代理に近づき、周囲の雑音に紛れるほどの小さな声で、北条は最短の尋問を開始した。


「あなたは共犯?」


「……えぇ(No)」


「脅されて利用されているだけ、だね?」


「……はい(Yes)」


「犯人は、一人?」


「えぇ(No)」


「二人……?」


「……はい(Yes)」


「そっか。ありがとう。必ず皆を助ける。今は辛いかもしれないけれど、どうか頑張ってほしい。――警察(僕たち)を、信じて」


「……はい」


これ以上の接触は、Fに感づかれるリスクがある。

必要な情報――犯人の数と内情を掴んだ北条は、優しく、しかし毅然と支店長代理を銀行内へ促した。


「よろしく、お願いします……」


「『はい(Yes)』、任せておくれ」


北条は老人の手を引き、支店長代理の姿が完全に闇に消えるのを見届けてから、待機していた一課の刑事に保護を命じた。


「とりあえず、一歩前進……かな」


吐き出した溜息には、安堵の色はなかった。

かつてないほどの『強敵』。

そのシナリオ通りに動かされていることへの苛立ちと、一歩間違えればすべてが崩壊する綱渡りの緊張感。


(こんなに頭の切れる犯人、初めてだよ……)


だからこそ、絶対にこの手で終わらせる。

北条の瞳の奥に、静かな闘志が宿った。


車両に戻る北条を、稲取、秋吉、古橋の三人が迎える。


「お疲れさまでした、北条さん」


「無事、一人目の解放。まずは一勝だな」


「……何か、糸口は見つかりましたか?」


畳みかけるような三人の問いに、北条は首を横に振った。


「まぁまぁ、落ち着いて。まず、犯人は二人。それと、無理やり協力させられている支店長代理だ。彼はただの『使い走り』だよ。罪に問う必要はないレベルだ」


「報告します!」


そこへ一課の刑事が駆け込んできた。


「先ほどの老人、人工透析が必要な状態で、直ちに病院へ搬送します。彼からの証言です。犯人は二人組。ライフル、もしくはショットガンらしき長物を確認したとのことです!」


北条が「YES/NO」で引き出した事実と、老人の証言が合致した。


「武器は長物か……。一発の破壊力が高い。突入の難易度はさらに跳ね上がったね」


北条はモニターを見つめた。

そこには、再び閉ざされた銀行の鉄の扉。

その裏側で、あさみは今、どこまで近づいているのか。

特務課の反撃は、ここから「静」から「動」へと加速する。



「さて……どうしようか。犯人の要求を呑まないのは既定路線だが、となると人質救出には、いささか時間が足りないかもしれないね……」


北条が、無線のスイッチを入れたまま指揮車内で独り言のように呟く。


「いざとなったら、SIT(特殊捜査班)を突入させるしか……」


「稲取くん、相手はもう腹を括っている。突入の気配を察知された瞬間に、ロビーは無差別乱射の地獄絵図になるよ」


膠着する交渉。

遅々として進まない救出の『シナリオ』。

そんな重苦しい沈黙を、一発の銃声のような鋭い声が切り裂いた。


『ねぇ。犯人は二人なんでしょう? 銃の数は?』


特務課の無線に割り込んできたのは、屋上で獲物を待つあさみだった。


「……あぁ、正確な数は把握できていない。けれど二人組なら、最低でも二丁は持っていると想定すべきだね」


『だよね。……なら、対象が二人なら、なんとかなる。ねぇ、そろそろ「特務課チーム」のターンにしない? このまま要求の押し問答を続けるより、ずっと解決が早いと思うんだけど』


口調こそ年相応の奔放さがあるが、その指摘は極めて冷徹な戦況分析に基づいていた。

このままでは平行線、そして早期解決こそが唯一の生存ルートであることは明白だった。


「……そうだねぇ。よし、ここはひとつ『お偉いさん』の判断を仰ぐことにしようか。いつもの通りにね。……ね、司ちゃん!」


『……そう言うと思ったわ。了解。各所にくさびを打ち込んでくる』


困った時の司令――新堂 司。

彼女の存在は、特務課にとっての『起爆スイッチ』だ。

司が「Go」を告げた瞬間、各方面に精通した怪物たちが、一斉にその封印を解かれる。


「――というわけだ、あさみちゃん。司ちゃんから結果が出るまで、ラッキーマート組は待機。僕はもう少し、犯人との『お茶会』に付き合ってみるよ」


『……わかったわよ。早くしなさいよね』


あさみは不満げに鼻を鳴らしたが、おとなしく北条の指示に従った。

だが、北条は無線機の向こうにいる全員へ向けて、かつてないほど厳格な声を飛ばした。


「……いいかい、皆。あさみちゃんの言う通り、時間は無い。ダラダラと要求を先延ばしにすれば、苛立った犯人が何をしでかすか分からない」


敬語を完璧に使いこなし、穏やかな知性を感じさせるF。

その話し方に惑わされ、つい「話せばわかる」と錯覚してしまいがちだが――。


「油断だけはしないでくれ。犯人の言葉が『穏やかに聞こえる』こと、それ自体が罠だ。現に彼は一人殺している。……容疑者Fは、本物の凶悪犯だ。そこを履き違えた瞬間、僕たちの命も、人質の命も、ゴミのように捨てられる」


その一言に、特務課員だけでなく、指揮車内の稲取、秋吉、古橋の背筋にも戦慄が走った。


「北条さん、あんたはやっぱり……すげえ人だ」


北条の横顔を、稲取が眩しそうに見つめる。


「ずっとあんたの背中を追い続けてきて、正解だったよ」


警視庁捜査一課長という肩書きを脱ぎ捨て、一人の「弟子」として稲取は小さく呟いた。

北条はそれに答えず、再び受話器を手に取った。


「……さぁ、第ニラウンドといこうか」


静寂を突き破る一閃が放たれる、その直前。 司から司令室へ、一通の極秘承認ライセンスが届いた。



『……もしもし?』


再び、Fから電話が入る。


「まだ、その後誰も手にかけてはいないよね?」


『えぇ。「今のところは」、ね』


「嫌だねぇ。君の話は敬語だから穏やかに聞こえるけれど、底に流れる殺意の迫力がすごいよ」


『まぁ、「犯人」ですから。迫力くらい出さなければ、あなたのような人に舐められてしまう。そうでしょう? 北条さん』


のらりくらりと雑談に逃げ、相手の綻びを探そうとした北条だったが、Fはその意図さえも楽しむように見透かしていた。

北条の目が、一瞬で氷のように鋭くなる。


「……さすがだね。すぐに逮捕されるようなタマなら、今のでボロを出してくれるんだけどなぁ」


北条は捜査一課時代、その天賦の才を買われ、数々の極限状態を切り抜けてきた。

金欲しさの銀行強盗なら、追い詰められれば言葉が荒らぎ、

自滅への道を勝手に突き進む。

だが、目の前のFは、これまでのどんな凶悪犯とも違っていた。


『周りの有象無象と一緒にしないでいただきたい。私は「とある大義」のために立ち上がりました。これまでにあなたが相手にしてきた小悪党とは、一味も二味も違う。……そういうことです』


「確かに。あまりに周到でやりづらいよ。本当、困ってる。……もういい加減、自首してくれないかなぁ? その方が僕の胃にも優しいんだよね」


『そういうわけには参りません。まだ、この事件では「何も進んでいない」のですから』


何も、進んでいない。

警察から見れば未曾有の大事件だが、Fにとっては、これは序章に過ぎないのだ。

銀行という名の閉鎖空間(ステージ)を整え、観客(警察)を集めた。

だが、肝心の演目はまだ始まってさえいない。


『そろそろ……動くとしましょうか。我々の要求は当初と変わりません。逮捕された同志たちの釈放。それだけです。……我々も、これ以上悠長に構えているわけにはいきませんのでね。三十分後、答えをお聞かせください。……では』


「ちょっと! さすがに三十分は早すぎないか!? ……あら、切れちゃったよ」


受話器から流れるツーツーという無機質な音を聴きながら、北条は「ちっ」と短く舌打ちをした。


「相当な切れ者だよ、今回の犯人は……。こっちが動くのを完全に読んで、その先手を打つための『三十分』だ。じっくりと計画を練る余地すら与えない。……ここで無理に突入すれば、間違いなくロビーは血の海になるよ」


北条はモニターを見つめた。

三十分。

それは、特務課が「法」と「物理」の壁を越えるために残された、最後の砂時計。


その時、無線機から司の、冷徹ながらもどこか高揚を含んだ声が響いた。


『北条さん。……「ライセンス」は降りたわ。これより、特務課独自の救出作戦――【フェイズ・ゼロ】を開始する』


司令部、ラッキーマート屋上、そして店内。 特務課の全メンバーに、戦慄にも似た緊張が走った。

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