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SEVEN~警視庁特務課~  作者: 桂木 京
第4話:命の価値

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人質解放

「入電よ、北条さん」


指揮車両内のモニターを見つめていた秋吉夕が、鋭い声を上げた。


(――思ったより、早いね)


単独犯、あるいは素人の混成チームにしては、あまりに淀みのないレスポンス。

北条はその違和感を喉の奥に飲み込み、受話器を耳に当てた。


「……はい、北条だよ。何か、風向きでも変わったかな?」


努めて平静に、北条はFの「リズム」を崩さないよう語りかける。


『――人質を一人、解放しようと思います』


「……ふぅん」


北条の眉が、微かに、しかし鋭く動いた。


「……条件は、なに?」


『察しがいいですね。嫌いではないですよ、そのよく回る頭は』


稲取、秋吉、古橋の三人が、反射的に顔を見合わせた。

北条とFの会話の深度が深まりすぎて、現場のプロたちですら状況の推移に一瞬置いてけぼりにされる。


「まぁ、この道長いんでね。少しは犯人の気持ちが分かってきたつもりだよ。……で? その条件は」


『これから解放する人質に、食料を持たせてください。行員、市民を含めて二十人分。……さすがに、人質を餓死させるなんて「勿体ない」ですからね』


淡々と、無機質に語るF。

北条はノートに力強くペンを走らせた。


【長期戦を想定。早期解決は極めて困難】


食料の要求は、そこに留まり続ける意志の表れだ。

犯人は逃げるためではなく、何かを「完遂」させるための時間を買おうとしている。


「了解。すぐに手配させるよ。高級品は難しいが、コンビニのおにぎりやパンならすぐだ。人数分より少し多めに用意させる」


『……結構です。ただし、薬物の混入などは考えないことだ。ランダムに人質に食べさせ、一人でも異変が出た時点で――全員を射殺します』


「これはこれは、用心深いことで。分かったよ。準備ができ次第、こちらから連絡する」


『三十分です。三分超過ごとに、一人ずつ撃ちます』


あくまで冷酷、かつ機械的。

人質の命を、ただの交渉チップとしてしか見ていないその口ぶりに、北条は内臓を焼かれるような怒りを覚えたが、それをプロの仮面で完璧に押し殺した。


「……二十五分で揃えてみせるよ。だが、人質に食料を渡したところで、そいつがまた銀行内に戻ってしまったら『解放』にならない。本当に、出してくれるんだろうね?」


刹那、沈黙が降りた。


『もちろんです。その一人の……「リクエスト」はありますか?』


「こちらが決めてもいいのかい?」


その言葉に、車内の三人が一斉に色めき立った。

彼らの脳裏に浮かぶのは、ただ一つの正解。

要人の令嬢――彼女を指名し、解放させれば、警視庁上層部の至上命令は達成される。


稲取、秋吉、古橋が、それぞれ殴り書きのようなメモを北条に突きつけた。


『要人の令嬢を指名しろ』


『令嬢をいち早く解放!』


『令嬢の安全を確認次第、突入に踏み切る』


三人の「エリート」たちの目が、獲物を狙うようにギラついている。

北条は彼らの欲求が透けて見えるメモを一瞥し、重い溜息を飲み込んで、小さく頷いた。


「……それじゃあ、こちらの希望を言わせてもらうよ」


北条がその「命」の名を呼ぼうとした、その時。

特務課司令室の悠真から、北条のイヤーモニターに衝撃的な情報が飛び込んできた。


「一番身体の弱そうな、ご高齢の方を一人。……それでお願いするよ」


「……なっ!?」


「ちょっと、北条さん……!!」


「…………!」


稲取、秋吉、古橋の三人が揃って絶句し、北条を凝視した。

秋吉が叩きつけるようにペンを走らせる。


【上層部の指示を忘れたの? まずは令嬢を確保すべき!】


続いて稲取。


【老人を解放したところで、我々にメリットはないぞ!】


北条は、目の前に突きつけられた「醜い本音」のメモを一瞥し、薄く笑みを浮かべた。


「持病のある方、高齢の方……。長時間拘束されることで命の危険がありそうな人を、最優先で解放してあげたい。その具体的な判断は――君にお願いするよ。僕が思っているよりも、ずっと君は『公平』な目を持っていそうだからね」


稲取や秋吉の怒りを無視し、北条はFとの対話を滑らかに滑らせる。


『……分かりました。しかし、驚きましたね。人質の中には、警察が「優先させたい特定の人質」も紛れているかと思ったのですが……』


受話器越しに、Fが心底不思議そうに呟いた。


「!!!」


「はっ!?」


その呟きに、稲取と秋吉の肩が跳ねた。


(――ちっ、聞かれたか?)


北条は彼らの漏らした小さな動揺が、マイク越しにFの耳に届いていないかだけを危惧した。


「……もしそんな人物がいたとしても、真っ先に解放を要求なんてしないよ。要求したところで、君は解放なんてしない。……だろう? 君は頭がいい。こっちの裏をかき、僕たちが一番『嫌がる』手段を、一番効果的なタイミングで取ってくる。……そうだろう?」


北条は、絶対零度の冷静さでFの「知性」を肯定し、揺さぶりをかける。


『……さすが、私の交渉相手に選ばれただけのことはある。恐ろしい洞察力だ。確かに、人質の中に重要人物がいたとして、私があなたの要求を素直に飲むとは限りませんからね。……流石です』


その返答に、北条は内心で深く安堵した。


(良かった……悟られていない。ここは「令嬢」の価値を伏せたまま進めたほうが良さそうだねぇ。相手の『方向性』も見えたことだし)


この刹那の交渉で、北条はFの「理」を掴んだ。

穏やかに対話を進めている限り、相手も理性的ロジカルに振る舞う。

しかし、ひとたび警察側の「弱み」というカードを見つけたなら、Fはそれを一切の躊躇なく、残酷な「処刑台」として利用する。


警察にとっての弱点――要人の令嬢。

その存在が公になれば、Fはより強硬な要求を突きつけ、逆らえば見せしめとして彼女の命を最初に奪うだろう。


「北条……貴様、さっきの独断は――」


稲取が憤怒の形相で声を荒らげようとした瞬間、北条がそれまでに見たことのないような険しい表情で彼を制した。


(――頼む、黙れ。これ以上、僕のチェス盤を汚さないでくれ)


その鬼気迫る「プロの眼」に、稲取は思わず言葉を飲み込み、その場に固まった。


「さて、まずはゴハンだね。すぐに用意させるから、一度電話を切るよ」


『えぇ……。お願いします。では、二十五分後に』


通話が切れると同時に、北条は肺の中の重たい空気をすべて吐き出した。

これ以上、指揮車内の「愚鈍な欲望」がマイクに乗る前に、対話を終わらせたかったのだ。


「どういうつもりだ、北条さん! 人質の解放なら、真っ先に彼女を……!」


通話が切れた瞬間、稲取の怒声が指揮車内に響いた。

だが、北条は椅子の背もたれに体を預けたまま、温度の無い声で淡々と答える。


「要人の令嬢がいます、だからその子を返してください――そんな間抜けなこと、犯人に言えるわけないだろう? 銀行内には彼女と同じ年格好の女性が何人もいる。細かく容姿を説明すればするほど、相手は彼女の『価値』に気づく。……そうなれば、交渉の主導権は永遠に失われるよ」


「う……」


稲取はぐうの音も出ない。


「僕たちは、この交渉が終わるまでは彼女の存在を『知らない』という体で通す。それがベストだ。もし価値を知られたら、不当な要求を呑まされるか……最悪の場合、彼女一人を盾にして、他の人質は全員殺されることになる」


「……そんな」


古橋と秋吉の顔から血の気が引く。

北条が見据えているのは、最優先の人質を救うことではなく、「全員を救うための唯一の細い糸」をたぐり寄せることだった。


「とにかく、気長に待とう。まずは皆のゴハンだ。稲取くん、指示を出せるかい?」


「あ、あぁ……。もちろんだ」


稲取はすぐに車両を飛び出し、周囲の刑事たちに食料調達の号令をかけた。


「虎ぁ。ちょっといいかな」


北条が車両の窓越しに、外で待機していた虎太郎を呼ぶ。


「はいよ」


「この銀行の真裏に、大きなスーパーがあるだろう? そこの従業員とお客さんを、上手いこと退避させてほしいんだ。マスコミが騒ぎ出す前にね。……それが終わったら」


「終わったら?」


「その店のシャッターをすべて閉めて、辰川さんと二人で店内で待機していてほしい。……あ、万引きはダメだよ」


「するか、馬鹿野郎!! ……でも、そこまで言うってことは、何か『突破口』を見つけたんだな?」


虎太郎はニヤリと不敵に笑った。

数々の修羅場を北条と共に潜り抜ける中で、虎太郎は理解していた。

この食えない男が冗談めかして指示を出す時は、すでに七割以上の勝算を握っている時だと。


「二十分、待ってくれ」


「二十分? ……いいねぇ、上出来だよ」


虎太郎は北条と視線を合わせると、弾かれたように銀行の裏手へと走り出した。

走りながら、無線のスイッチを叩く。


「辰さん! 銀行裏のスーパー『ラッキーマート』まで来てくれ! 俺が客と店員を退避させておく。合流して店を占拠するぞ!」


『あいよ、了解だ。もう向かってる、すぐに着くぜ』


特務課の猟犬たちが、ついに牙を剥き始めた。

北条が作った「五時間」という名の空白に、特務課独自の『シナリオ』が書き込まれていく。

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