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SEVEN~警視庁特務課~  作者: 桂木 京
第4話:命の価値

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45/110

司令室にて

「結構、やばい状態みたいだよ、これ」


「えぇ……。一刻も早く、こちらから仕掛けないと……」


北条と犯人Fのやり取りは、リアルタイムで特務課司令室に共有されていた。北条がネクタイピンに仕込んだ超小型マイクが、現場の緊迫した空気を余さず伝えてくる。


「なかなかの犯罪巧者……。操られているにしても、半分以上は自らの意志で破滅を楽しんでいる狂信者ね。並の方法では、この密室は破れないわ」


司令室では、司、志乃、悠真、そして待機に回った辰川がモニターを凝視していた。

銀行の外壁、周辺の路地、さらには上空のドローン映像まで――司はそれらを獲物を狙う鷹のような鋭い眼差しで分析していく。


「シャッターの内側には、おそらく重厚なバリケード。強引に突入すれば、機動隊が自分に達する前に一人でも多くの人質を殺すつもりでしょうね。あんな積み木細工、物理的な防御としては時間稼ぎにしかならない。けれど、その『時間』が犯人にとって何を意味するのか……。単純な逃走とは考えにくいわ」


司は広げた銀行の設計図に、赤いペンで侵入不可の×印を書き込んでいく。


「しかし、犯人の要求を呑まなければ、さらなる犠牲者が出ます。司さん、私たちは従うしかないのでしょうか……」


志乃が不安げに司を見つめる。


「警察の威信をかけて、収監中の凶悪犯を釈放するなど本来はあり得ない。それはさらなる悲劇を街に解き放つのと同義だわ。……でも、目の前の命を捨てることも、私たちの流儀ではない」


司はふと、自身のデスクに置かれた一枚の写真に目を落とした。

そこには、若き日の司と、ある敏腕刑事が写っている。

かつて北条に『彼こそが強敵だ。僕でも敵わないかもしれない』と言わしめた男。


「……あの人以来ね。北条さんに弱音を吐かせたのは」


一瞬だけ瞳に寂寥の影が差したが、司はすぐに顔を上げ、冷徹な指揮官の顔に戻った。


「だからと言って、降参するわけにはいかない。どんなに堅牢な『シナリオ』でも、必ずどこかに綻びはあるはずよ」


「あのさぁ……。一つ、いい考えがあるんだけど」


その時、複数のモニターと格闘していた悠真が、ヘッドセットを外して手を挙げた。


「なぁに、悠真くん」


「うん。ちゃんと『上』に了承を取ってくれるならいいんだけどさ。正攻法でダメなら、僕が得意な『裏技』を使ってみたらどうかな、って」


悠真の口元に、不敵な笑みが浮かぶ。

それは、情報の海を泳ぐ「天才ハッカー」としての顔だった。


「銀行っていうのはね、金だけじゃなくて『信用』を預かるところなんだ。だから、彼らが絶対に手放せない『心臓部』が、あの密室の中にもう一つあるんだよ」


悠真がキーを叩くと、メインモニターに複雑な基盤のような図面が表示された。


「デジタルなバリケードだよ。これなら、僕があの銀行内の防犯カメラを、内側から『制圧』できるかもしれない」


「防犯カメラを……ハッキングするの?」


司の問いに、悠真は不敵に笑って頷いた。


「そう。犯人は今、監視モニターを自分たちの『目』として使ってるはずだ。人質の動きや、警察の突入を警戒するためにね。……そこを書き換える。彼らが見ているモニターに、数分前の『何も起きていない静止画』をループさせて流し込むんだ。いわば、情報の目隠しさ」


「なるほど……。犯人がモニターで『異常なし』を確認している間に、実際にはあさみが内部を動けるということね」


「その通り。でも、銀行の高度なセキュリティ・システムを外部から書き換えるのは、法律的にはもちろん、警察の管轄を完全にはみ出した『超法規的措置』になる。これが見つかったら、特務課全体が吹き飛ぶよ。だから――司さんの人脈で、総監かそれ以上の『上』から、黙認のサインをもらってほしいんだ」


悠真が求めたのは、保身のためではない。

この作戦が、特務課という「正義」を賭けるに値するかどうかの覚悟を問うていた。


「……わかったわ。話を通してくる。志乃、現場のあさみにコンタクトを。悠真のハッキング開始と同時に潜入するよう伝えて」


「了解しました!」


「辰川さんは、外で待機している虎太郎くんのサポートに。カメラが死んでいる間に、あさみを死角から潜入させる」


指示を出し終えた司は、重厚な革張りの椅子から立ち上がり、窓の外を見つめた。

手には、どこへ繋がるかも分からない、古い暗号化された携帯電話。


「……もしもし、私です。ええ、一つ、お話したいことがありまして――」


司が誰に電話をかけているのか、今のメンバーには知る由もない。

しかし、その背中はかつて写真の中で微笑んでいた「あの人」と同じ、孤高の覚悟に満ちていた。


一方、現場の銀行前。

北条が交渉で五時間の猶予を勝ち取り、現場に静かな膠着状態が訪れていた。


あさみは、銀行の裏手に位置する細い路地、その古びた排気ダクトの前に音もなく立っていた。

その耳元で、志乃の緊迫した声が弾ける。


『あさみ、聞こえる? 今から悠真くんが銀行内のカメラをハッキングするわ。……工作開始まで、あと六十秒』


「了解。……エレガントなオジサンが時間を稼いで、天才くんが目を潰す、か。最高のお膳立てじゃない」


あさみはナイフの感触を確かめ、フランス仕込みの鋭い笑みを浮かべた。


『カウント開始。五、四、三、二、一……ハッキング、成功! 内部モニター、ループ再生に切り替わりました!』



「裏技?」


志乃が不思議そうな表情で悠真を見つめる。

悠真は自信に満ちた笑みを浮かべ、その視線を受け止めた。


「うん。志乃さんの『表』の情報処理力は半端ないよ。警視庁内でも右に出る人はいない。でもさ、僕はもともと『裏』の世界の住人なんだ。主にネットの深淵を泳ぐね。そっちのスキルを使えば、この状況をひっくり返せるかもしれない」


志乃は、交通網、気象、過去の膨大な犯罪データなど、あらゆる公的情報を瞬時に精査し、捜査員に最適な航路を示す特務課の「羅針盤」だ。

司が彼女をスカウトした理由は明白だった。


しかし、司が同時に悠真を必要とした理由は、その真逆にある。


「……そうね。ちょっと行ってくるわ。あなたの力を最大限に解き放てるように」


「うん。お願い。『ハッキング』なんて、一歩間違えればただの犯罪になっちゃうから。ちゃんと正当な『理由』を主張してきてよ」


そう、悠真はかつてネットの海を震えさせた「ハッカー」だったのだ。

強固なプロテクトを無力化し、あらゆるシステムを掌握する。

使い方を誤れば社会を混乱に陥れるその力。

司は、その「猛毒」を正義の道具として飼い慣らしていた。


司が司令室を出て、三十分が過ぎた。


「……しかし、犯人からの入電がないのが不気味だね。これほど沈黙が続くと、こちらの神経が先に削られる」


現場の北条は、膠着した状況に焦れることなく待機を続けていた。

シャッターに閉ざされた銀行は、呼吸を止めた巨大な墓標のように静まり返っている。


「中も見えませんし……。人質の方々の容態が心配です」


志乃が、暗転したままのモニターを見つめ、唇を噛む。


「お待たせ! 許可が取れたわ。悠真くん、お願い」


その時、司令室の扉が開き、司が戻ってきた。

その瞳には、並々ならぬ覚悟が宿っている。


「『要人保護』のため、犯人の主導権を奪う。その名目で、あなたのハッキングを許可するとの言質を上層部から取ってきたわ」


本来、国家権力が私設システムを不正に侵害するなど許されるはずがない。

しかし、銀行内には何としても救わねばならない『要人の令嬢』がいる。

なりふり構っていられない警察上層部が、ついに特務課の「毒」に頼ることを決めたのだ。


「了解。……さて、何から料理しようか?」


悠真が軽快な指捌きでキーボードを叩き始めた。

司が指示を出そうとした、その時だ。


『とりあえず。……銀行内の防犯カメラの映像を「奪って」ほしいねぇ』


ネクタイピンのマイクを通し、北条の穏やかな、しかし鋭い声が響いた。


「シャッターを無理やり開けた方が早いんじゃない?」


悠真が首を傾げると、無線越しに北条の溜息が聞こえた。


『それだと、動転した犯人がパニックを起こして引き金を引くかもしれない。これ以上の犠牲は御免だよ。……まずは奴らに気づかれずに、中の様子を「視る」。現状を知らなければ、交渉のテーブルすら用意できないからね』


伝説の交渉人が求めたのは、力ではなく「視界」。


デジタルな目隠しを取り払い、密室に潜む悪意を白日の下にさらす作業が始まった。

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