大学にて
「はぁ、はぁ……!」
辰川は、娘・紗良が通う大学のキャンパスへと滑り込んだ。
「図書館は……どこだ?」
まずは敷地内を鋭い眼光で走らせ、状況を俯瞰する。
一見、いつも通りの穏やかな昼下がりだ。
談笑する学生、木漏れ日、遠くで聞こえる部活の掛け声。
どこにも異常は見当たらない。
(派手な予告でパニックを起こすのが目的じゃない。中山の狙いは、確実に、ピンポイントで紗良を仕留めることだ……!)
紗良の現在地は、図書館。
寄り道をしている暇はない。
辰川は最短距離で標的の建物を見定めるため、近くにいた学生たちのグループへと詰め寄った。
「すまない、警察の者だ。図書館はどこだ?」
ただの中年男性が狼狽えて話しかけても、まともな返答は得られない。
辰川は迷わず胸元から警察手帳を弾き出し、その権威を叩きつけるように示した。
「え……警察?」
「あぁ。至急調べたいことがある。図書館はどっちだ!」
「え……あ、はい。このまま直進した、あの茶色の建物です……」
「助かった、礼を言う!」
辰川は一秒のロスも惜しむように、教えてもらった方向へと地を蹴った。
「……あれか。デケェな、おい」
目の前に現れたのは、市立図書館にも匹敵する重厚な三階建ての大学図書館だった。
この広大な迷宮の中から、中山が隠した「針」を見つけ出さなければならない。
「こりゃ……骨が折れるぜ」
まずは一階のエントランス。
辰川は肺腑の底から声を張り上げた。
「警察だ!! 全員、今すぐこの建物から出ろ! 爆破予告があった。命が惜しければ大至急、退避しろ!!」
静寂を切り裂く怒号に、勉強中だった学生たちが一斉に顔を上げる。
「退避だ退避!! 荷物はいい、今すぐ外へ出ろ!!!」
辰川の鬼気迫る形相に、ただ事ではない空気が伝播する。
学生たちは雪崩を打って出口へと殺到し始めた。
(思ったより人数が多いな。……捜索より先に、まずは掃掃が先か)
一階から順に探すつもりだったが、辰川は瞬時にプランを組み替えた。
まずは最上階まで駆け上がって学生たちを追い出し、三階から順に階下へ向かって捜索をかける。
「司ちゃん! 大学に人員を回してくれ! 図書館周辺に完全な境界線を敷いて、誰も近づかせるな!!」
『……辰川さん。了解です!』
捜索、発見、そして解除。
もし、自分の技術をもってしても間に合わなかったとき。
その被害を建物内だけに封じ込めるための、司への非情な依頼。
司もその震える声の裏にある決意を感じ取り、各部署へ怒涛の勢いで応援要請を叩き込んでいった。
一階、二階、そして三階。
学生たちが吐き出され、図書館が真の「真空」へと変わっていく。
辰川は誰もいなくなった三階のフロアに立ち、静寂の中に潜む「異音」を聴き取ろうと、神経を研ぎ澄ませた。
一階、そして二階。
辰川の喉を震わせる咆哮が、図書館の静寂を暴力的に上書きしていく。
「警察だ!! 大至急ここから避難してくれ! 危険物が隠されているという通報があった。安全が確認できるまで、申し訳ないが外へ出ていてくれ!!」
警察手帳の金筋を見た学生たちは、ざわつきながらも素直に出口へと足を向けた。
「助かるぜ……。ここの連中が素直でよかった」
今の世の中、危機感を持たない大人ほど厄介なものはない。
避難しろと叫べば叫ぶほど、スマホを構えて野次馬に化ける――そんな現代の憂うべき風潮を、辰川は何度も現場で見てきた。
その点、知識の宝庫に集う若者たちは理性的だった。
それが辰川にとって、唯一の救いだ。
「あとは……三階だけだな」
二階に人影が消えたことを確認し、辰川は階段を駆け上がる。
最後の一室、閲覧室の扉を蹴るように開けた。
「警察だ!! 全員今すぐここから退避してくれ! 危険物の――」
「……パパ?」
「……え?」
鼓膜を揺らしたのは、聞き間違えるはずのない、透き通った声だった。
窓際の席から、驚きに目を見開いた一人の女性が立ち上がる。
辰川の最愛の娘、紗良だった。
「紗良……。ここに、いたのか」
最悪の予感が的中した。
最愛の娘が、もっとも避難に時間がかかる最上階にいる。
辰川の背中に、氷のような悪寒が走った。
服の下は鳥肌だらけだ。
だが、彼は刑事として、そして父として、震えを鉄の意志で抑え込んだ。
「パパ……。どうして、ここに?」
「通報があった。ここに危険物が仕掛けられている可能性がある。大至急、退避してくれ」
「危険物って……。パパが来たってことは、爆弾なの?」
「おう、さすがは刑事の娘だ。察しがいいな」
「ふざけないで! どうしてパパが来たの!? もう爆弾処理班じゃないじゃない!!」
父の身を案じる、悲鳴に近い娘の言葉。
それが、今の辰川には何よりも温かく響いた。
「お前の大学だから、来たんだ。爆処理にいようがいまいが、ここが戦場になるなら俺はどのみちここに立っているさ。……父親として娘を守りたい。当然のことだろう?」
「パパ……」
紗良の背後では、彼女と共にいた友人たちが、震えながらそのやり取りを見守っている。
「さぁ、ここに留まっていたら友達も危険だ。一緒に退避してくれ。なぁに、俺の腕前は、お前が一番よく知っているだろう?」
一刻も早く、ここを「空」にしたい。
今回の爆弾は、十年前の再現ではない。
未知の悪意。どんな罠が潜んでいるか予想もつかないのだ。
「……わかった。パパ、気をつけて。危なくなったら、すぐ逃げてね」
「あぁ、約束する。物分かりのいい娘で助かるぜ」
「茶化さないで!! ……じゃあ、行くね」
紗良は友人の手を引き、何度も振り返りながら階段へと消えていった。
パタパタと遠ざかる足音。
やがて、その音さえも聞こえなくなった時、図書館は死のような静寂に包まれた。
「……さて。待たせたな、中山」
辰川は独りごちると、娘が座っていた席の周辺から、死神の心臓部を探すべく視線を鋭く走らせた。
(爆弾は間違いなくこの三階にある。紗良がいた、この場所に……)
刻一刻と、無慈悲に時間は削られていく。
辰川は捜索範囲を三階の閲覧室のみに絞り込んだ。
迷いはない。
犯人が自分に最大の精神的苦痛を与えようとするならば、標的はただ一人、娘の紗良以外にあり得ないからだ。
何より、紗良は犯人――中山と顔見知りなのだ。
(もしここで爆弾が見つかれば……信じたくはなかったが、中山。お前で決まりなんだな……)
本当は、土壇場まで断定を避けたかった。
中山もまた、地獄を見てきた男だ。
十年前の事件で最愛の家族を奪われた『被害者遺族』。
その空虚を、辰川は誰よりも近くで見てきたつもりだった。
中山はいつだって自分に寄り添ってくれた。
何度も自分を呪い、逆恨みした夜もあっただろう。
それでも奴はそれを表に出さず、親友として笑って隣にいてくれた。
それは、ひとえに中山という男の「善性」ゆえだと信じてきた。
「……何で今、なんだよ……っ」
辰川は奥歯が砕けんばかりに歯を食いしばる。
十年前、あの瞬間に罵られ、殴り倒されていた方が、どれほど救われただろうか。
「十年も、独りで苦悩し続けてきたってのか……。何で、俺にぶつけてくれなかったんだよ……!」
親友として接してきた日々が、中山にとっては「蓋をされ続けた地獄」だったのか。
そう気づけなかった自分自身への怒りが、熱い塊となって喉を焼く。
三階のフロアはそれほど広くない。
辰川は迷わず、大型の空調機器へと歩み寄った。
(中山の性格上、解除不能なほど難解な場所には隠さない。なぜなら……)
ゆっくりと、祈るように空調のパネルを外す。
「……中山。お前は根が優しすぎるんだ。完全な悪になりきれないところを、俺は知ってるぜ……」
絶対に見つからない場所には隠さない。
見つかったとしても、解除の手がかり(ヒント)をどこかに残す。
それが、かつて「爆弾処理班の良心」と呼ばれた男の流儀だ。
「畜生……。やっぱり、お前なんだな、中山……」
読み切れてしまった。
自分の指先が、親友の思考をなぞってしまった。
それが、何よりの証拠だった。
「……この爆弾を解除したら、思いっきり語り合おうじゃねぇか。拳の一つでも、食らってやるからよ……」
辰川は震える手で工具を取り出し、慎重に、かつ迅速に爆弾の心臓部へと肉薄する。
剥き出しになった回路。デジタルタイマーの数字は『06:00:00』を示していた。
「六時間……。そんな時間、学生はみんな帰っちまってる。本当に紗良を狙って……あ……」
その時、辰川の視線が爆弾の底面に貼り付けられた「異物」に釘付けになった。
「こ、この爆弾は……っ!」
爆発すれば、図書館どころか校舎の一部を吹き飛ばすほどの大出力。
だが、辰川が気づいたのは、その破壊力ではない。
この爆弾に仕組まれた、あまりにも残酷で、あまりにも「中山らしい」真の目的に戦慄した。




