警視庁特務課
警視庁庁舎の最奥、人目を避けるようにしてその『職場』は存在した。
『特務課』
重厚な扉を開けると、そこは警察署の喧騒とは無縁の別世界だ。
最新の通信設備が整然と並び、幾つものモニターが冷たい光を放つ指令室が広がっている。
「ただいまーっと」
まるで自分の部屋に帰ってきたかのように、虎太郎が野太い声を上げた。
「……お疲れ様。確保まで、予定より早かったわね」
二人を真っ先に迎えたのは、二十代半ばの女性だった。
隙のない制服姿、きっちりとまとめられた髪。
その佇まいからは、若さに似合わぬ峻厳たる意志が滲み出ている。
「お疲れっす、司さん」
特務指令課司令官、新堂司。
警視庁きっての才媛であり、未来の女性初・警視総監候補と目される彼女は、自らこの部署の設立を提案し、その座に就いた。
一課へ行けば最短距離で出世の階段を登れたはずの彼女が、あえて茨の道を選んだ理由。
それは、各課の間に存在する硬直した『壁』だった。
――もっと、連携が取れてさえいれば。
かつて司が手掛けた重要事件。
部署間の手柄争いや縄張り意識が邪魔をしたせいで、失われなくていい命が失われた。
その悔恨が、彼女を突き動かしている。
『各方面のエキスパートを集め、聖域なき捜査を行う』――。
司にとって、目先の階級より、目の前の悪を根絶することの方が遥かに価値があった。
「はいはい、お疲れ様……っと。司ちゃん、今度から追跡任務の時は、最初から最短ルートを教えておいてよ」
虎太郎から数歩遅れて、北条が肩を落としながら入室する。
「お疲れ様でした、北条さん。犯人の心理が読み切れ次第、随時お知らせするようにします」
司の武器は、冷徹なまでのプロファイリング。
臨床心理士をも凌駕する分析能力で、犯人の呼吸、声の震え、僅かな仕草からその内面を暴き出す。
「二人ともお疲れ様でした! かっこよかったですよ、連携!」
司の背後から声をかけたのは、線の細い美女、皆川志乃だ。
道路交通情報センターから引き抜かれた彼女は、情報の海から真実を釣り上げる天才である。
彼女の情報網に一度捕まれば、いかなる逃走経路も無意味な迷路と化す。
「お疲れさま。今回は確保のタイムレコード、更新しちゃったかもねぇ」
志乃の隣、モニターの明かりを浴びて飄々と笑うのは、浅川悠真。
司自らがスカウトしてきた男だが、元ハッカーであるということ以外、その経歴は一切謎に包まれている。
「あれ? 辰川さんは?」
虎太郎が、指令室のさらに奥へと視線を巡らせた。
特務課には、まだ『もう一人の怪物』がいるはずだ。
「あぁ……辰川さんなら今、奥の部屋よ。どうしても今回のレースは外せないんですって」
司が苦笑混じりに答えるのと、その『怒声』が響いたのは同時だった。
「くっそォォーー!! 馬の調整をしっかりやるのが調教師の仕事だろうが! 残り百メートルで失速しやがって、この……!」
部屋の奥から、地響きのような唸り声が漏れてくる。
虎太郎が呆れ顔で呟いた。
「辰川さん……曲がりなりにも勤務中だろ。ギャンブルとかやってる場合じゃ……」
「あちゃぁ。辰さん、またスッたね。くくく……」
北条が、必死に笑いを噛み殺しながら奥の部屋を見つめる。
「……ったく。今の日本の若者は、根性がなくていけねぇ。人も馬もな」
ほどなくして、紫煙を纏い、不機嫌を絵に描いたような顔で男が現れた。
口には、消えかけた煙草が一本。
「やぁやぁ辰さん。まーた負けたみたいだねぇ」
「なんだよ北条。勝ってもお前には絶対に奢らねぇからな!」
「まぁまぁ、そんなこと言わずにさ……」
男の名は、辰川功。
定年を過ぎてなお、かつて「爆弾処理班のカリスマ」と畏怖された伝説のスペシャリストだ。
爆発物に関する知識は右に出る者がおらず、僅かな残留薬物から入手ルートや殺傷能力を瞬時に特定し、犯人の足取りを割り出す。
その手は、これまでに数えきれないほどの命を救ってきた。
「辰川さん。競馬はいいけど、指令室内は禁煙よ。守ってちょうだいって、何度も言っているわよね?」
北条と辰川の小競り合いに、司が冷ややかな笑みを浮かべて割って入った。
「おぉ、すまんすまん。どうしてもレース中は口が寂しくてな……」
「だから、ガムにしてって先日もお話ししたばかりでしょう?」
「がみがみ言うなよ。美人が台無しだぞ? 司ちゃんはスタイルだっていいんだから、もう少し淑やかにしてりゃあ、結婚相手だって……いてててて!!」
調子に乗って司の腰に回そうとした辰川の手を、彼女は電光石火の速さで捻り上げた。
「辰川さん。今の時代、そういう行動は即座に『排除』の対象になるの。あなたが生まれた昭和とは、もう違うのよ?」
にこやかに諭す司の瞳は、一分の隙もなく、そして一切笑っていなかった。
北条、虎太郎は現場の牙として。
司は、この組織を統べる核として。
志乃と悠真は、情報の海を泳ぐナビゲーターとして。
そして辰川は、死線を解体する匠として。
この六人。
それが、警視庁が解き放った異端の組織――『特務課』の全貌だった。




