悲劇のはじまり
「嘘……でしょ?」
捜査四課・新堂司は、ビルの外からその光景を網膜に焼き付けていた。
犯人グループの男たちが這い出してきた瞬間、彼女は安堵に胸をなでおろしかけた。
これで終わる。
みんな助かる。
そう信じて疑わなかった。
しかし、課長の熊田が弾かれたように駆け出した直後、北条があまりにも不自然な形でビルから放り出されてきたのを見て、司の背筋に氷の柱が立った。
なぜ、北条さんと一緒に出てこないのか。
なぜ、あの冷静な北条さんがあんな無様に転がされたのか。
不吉な予感は、確信へと変わっていく。
先ほど、スマホのスピーカー越しに聞こえてきた『あの言葉』も、鋭い棘となって彼女の胸を刺した。
『だから決めたんだ。これからはもうひとりじゃない。無事に戻ったら言うつもりだ。一緒になろうって……』
無事に戻るつもりなら、わざわざ通話を繋いだ状態で、他人に聞かせるように言う必要なんてない。
戻ってから、二人きりの時に言えばいいのだ。
「まるで、遺言みたいに……」
その呟きが形になった瞬間、世界は爆炎と轟音に塗り潰された。
「…………え?」
予感はしていた。
どこか冷めた頭で、灰島が戻ってこない可能性を想定していた。
何らかの覚悟をしたのだろうと、察してさえいた。
けれど、そんな縁起でもない予測など、一秒でも早く外れてほしいと、心底願っていたのに。
「いや……だ」
あの倒壊の規模、あの爆炎の荒れ方。
灰島が独力で脱出することなど、物理的に不可能だ。
それどころか、原型を留めていられるかさえ怪しい。
「ちょっと……話が違うじゃない……」
ふらふらと、吸い寄せられるように瓦礫の山へと歩き出す。
その瞳からは色が抜け、虚ろな奈落が広がっていた。
「帰ってきてよ……。帰ってきたら、一緒になるって言ったじゃない……」
倒壊した残骸からは、ガス管に引火したのか、断続的な爆発が続いている。
火の粉が舞い、熱風が頬を焼く。
もはや、人間が近づけるような場所ではない。
「一誠……いっ……せい……!!」
かつての入口があった、今は瓦礫の絶壁となった場所に差し掛かった時。
「おい!!」
熊田が、暴れる司を無理やり横抱きにして押さえた。
そのまま彼女を担ぎ上げ、まるで折れそうな木偶人形でも運ぶように、爆心地から遠ざけていく。
その後ろを、魂の抜けたような足取りで北条が続いていた。
「嫌!! 離して!! まだ一誠が中にいるのよ!!」
『氷の新堂』
極道の怒鳴り声にも、刃物の煌めきにも眉一つ動かさなかった彼女が、人目も憚らず半狂乱で叫び、暴れる。
その痛ましい姿に、熊田は奥歯が砕けるほどに噛み締め、怒りに肩を震わせた。
「黒幕の野郎……。絶対に見つけ出して、地獄の底まで引きずり落としてやるぜ……!」
血の混じった呟きが、熊田の口から漏れる。
「いやぁぁぁ!! 一誠ーーーっ!!!」
夕闇に包まれ、真っ赤な炎に飲み込まれていくビルに向かって、司は愛する者の名を叫び続けた。
その絶叫は、崩れ去った鉄骨の軋みに掻き消され、冷たい夜風に乗って東京湾の闇へと溶けていった。




