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SEVEN~警視庁特務課~  作者: 桂木 京
第9話:記憶の彼方に

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灰島と北条

一方、緊迫した状況が続くビル内では、絶望が形となって漂い始めていた。


「刑事さんよ、もうこれ以上説得したって埒があかねぇよ! いっそ締め上げるか殺すかしねぇと、俺たちまであぶねぇんだよ!」


太田を始め、竹中を除く犯人グループ7名が、殺気立った表情で北条に詰め寄る。


(……やれやれ。相手が刃物なら数に任せて抑え込むのも手だが、爆弾は話が違うんだよね)


北条は冷徹に状況を値踏みしていた。

刃物なら「死角」があるが、爆弾には死角がない。

何かの弾みで衝撃を与えれば、その瞬間に全員が消滅する。


(犯人は精神的に破綻寸前。おまけに周囲の仲間は力ずくで解決しようと焦っている……。くっ、最悪だね)


一課に配属されて二年にも満たない灰島は、これまでの短い捜査史上、最大にして最悪の崖っぷちに立たされていた。

凶悪犯は見てきた。

だが、これほど不確定要素が絡み合った爆弾魔との対峙は未経験だ。


射撃は得意だ。

だが銃がない。

格闘術も並以上だ。

だが距離が遠すぎる。


位置関係は最悪だった。

犯人の至近距離に、今にも飛びかかろうとする仲間7人。

少し離れた位置に、北条。

さらにその後方に、灰島。


仲間割れの火花が散れば、すべてを失った竹中は躊躇なくスイッチを押すだろう。


(何か……糸口は……!)


必死に灰島が視線を巡らせる。

脱出か、あるいは犯人確保か。

だが焦燥が視界を狭め、思考のノイズが激しくなる。


「灰島くん」


そんな灰島の耳元で、北条が囁くような、しかし芯の通った声で呼んだ。


「……はい」


「今はね、格好悪いと言われてもいい。君はこのまま入口に向かって走るんだ。一人だけ隙を見て逃げた、ということにしよう。それで君は助かる」


「……な……!」


北条が提示した唯一の打開策。

それは、灰島一人だけでも退避させるという、あまりにも非情で慈悲深いものだった。


「外で彼女さんが待ってるんだろう? こんなつまらない争いのために、君の未来を捨てることはない。すぐに退避して、近隣住民の避難誘導に当たるんだ。これは僕の『指示』だよ」


北条の瞳は、冗談を言っているようには見えなかった。

彼だけは悟っていたのだ。

このシナリオが、灰島という若き才能を「消す」ために用意された、警察内部の極めて精巧な罠であることを。


「……ふざけないでください」


灰島の声が、怒りで低く震えた。


「俺を逃がして、北条さんは一人でこいつらを相手にするつもりですか。そんなの……刑事の仕事じゃない」


「いいや、僕一人が残れば、竹中くんとの交渉はまだ続けられる。でも、二人の刑事がいると、あっちも警戒を解かない。それにね……」


北条はうっすらと、いつものスタイリッシュな笑みを浮かべた。


「僕の方が少しだけ、泳ぎが得意なんだよ」


その瞬間、竹中が「あぁぁ!!」と野獣のような叫び声を上げた。

彼の指が、ついにスイッチへとかけられる。



「なんで、あなたは……。」


北条から退避の指示を受けた灰島の足は、ガタガタと震えていた。

本音を言えば、今すぐにでもこの場を走り去り、光の差す出口へと飛び出したい。


怖い。


死ぬのが怖い。

ただ暴れる犯人を制圧するのとは訳が違う。

爆発の衝撃、そして足元から崩れ去る巨塔の重圧。

自分が一瞬で肉塊に変わるイメージが、脳裏を支配して離れない。


そんな極限の絶望の中で、北条だけは自分のことよりも、隣に立つ青年の未来を案じていた。


「怖く……ないんですか?」


「そりゃあ怖いさ。僕だってまだ死にたくない。老後は自然豊かな離れ小島で、昼間からお酒を飲んでスローライフを送るって決めてるんだから」


北条は軽口を叩き、ふっと笑った。

しかし、その視線は一度として竹中の手元から逸らされることはない。


「たぶんね、爆弾は爆発するよ。『相手』の方が、僕よりずっと冷酷で、一枚も二枚も上手だった。人質をあんなに早々に殺害して、その凄惨な画像を計算し尽くしたタイミングで本人に送りつけるなんて、正直言って正気の沙汰じゃない。こんな悪趣味な台本を書き上げる人間が警察内部にいるなんて、心当たりさえなかったよ……」


北条の声には、底知れない怒りと、それを上回る悔恨が滲んでいた。


「僕の定年までに、その『警察の闇』の正体を暴けるかどうか……正直、自信がなくなっちゃったよ。だからね……」


北条が、わずかに首を傾けて灰島を振り返る。

その表情は、爆破予告現場にいるとは思えないほど、穏やかで慈愛に満ちていた。


「灰島くん。君に、僕の遺志を継いでほしいんだ」


「…………!!」


灰島の心臓が跳ねた。

目の前に立つ、自分が追い続けてきた背中。

その男が、今この瞬間に、自身の命を天秤の皿に乗せて「最後」の言葉を託しているのだと、残酷なほど明確に理解してしまった。


「それにね、怖いは怖いんだけど……不思議と身体が動かなくなるほどじゃない。きっと、僕はどこかネジが外れているのかもしれないねぇ」


北条は周囲を一度見渡し、瞬時にビルの構造を頭の中で再構築した。


「稲取くん。聞こえるかい? 犯人の今の位置で起爆すれば、ビルの重心からして、十中八九西側へ倒壊する。西側の施設の避難誘導を最優先にしてくれ。頼むよ」


ただでは死なない。

北条は極限状態にありながら、自身の死が招く物理的損害を最小限に抑えるための最適解を導き出していた。


「さぁ、竹中くん。もう、終わりにしよう。家族のことは、本当に……残念だった。でも、君がここで命を投げ捨てて後を追っても、きっと彼女たちは喜ばない。そうは思わないかい?」


北条は一歩、また一歩と、奇跡を掴み取るような足取りで間を詰める。

竹中の絶望に寄り添う、深く優しい声。


「でも、もう俺には……何にも残ってねぇんだよ……!!」


「確かに、失ったものは二度と戻らない。でもね、竹中くん。大切なものは、また一から作ることができるんだ。……それは、生きていてこそ、なんだよ」


「生きていて……こそ……」


竹中の瞳から、激情の炎がわずかに引き、涙が溢れ出した。

起爆スイッチを握る指から、ほんの一瞬、力が抜ける。


(いいぞ……このまま落ち着いてくれれば……。)


一課に配属された時から、高橋には交渉術も身に着けると良いと勧められていた。

高橋自身、身体を張って捜査をするタイプであったが、そんな彼も、北条には交渉術や緻密な心理戦が向いていると見抜いていたのだ。


それでも、高橋が北条を一課以外の部署――たとえば知能犯を扱う二課などに転属させなかったのは、北条の持つ驚異的な「現場捜査能力」を誰よりも買っていたからだ。

小さな会話の綻び、目線の機微、指先の震え。

北条はそれらを見逃さない。

そして、その違和感を持ち前の頭脳でパズルのように繋ぎ合わせ、犯人逮捕への最短距離を導き出す。


その捜査手法は、力押しが主流だった当時の捜査一課に吹く、新しくも冷徹な風であった。


「北条は、捜査一課の新しい風になる」


そう確信したからこそ、高橋は北条を自分の最後の相棒に選んだのだった。


北条の交渉術は、犯人の頑なな心を解きほぐし、穏やかな終焉へと導いていく。

……今回も、そうなるはずであった。


「よし、今だ!!」


(……ちょっと、待ちなさい!!)


竹中の戦意が削がれ、わずかに表情が緩んだその刹那。

周囲で息を潜めていた犯人グループの七人が、手柄か、あるいは自己保身の焦りか、一斉に竹中へと襲いかかった。


「おいおい! やめるんだ!!」


北条が喉を潰さんばかりの声を上げるが、時すでに遅い。男たちの一人の手が、竹中の肩に食い込む。


「う……うわぁぁぁぁ!!!」


パニックに陥った竹中は、反射的に手に持ったライターの火を爆弾へと近づけた。


「力づくでいくことが、どれほど無意味か分からないのかい!?」


北条が必死に叫ぶが、暴力の奔流は止まらない。 そして――。


「もう、やめろーーーーーーーーー!!!!」


竹中の悲痛な叫びとともに、爆弾の導火線に火が走った。

シュシュシュ、と無慈悲な音が静まり返ったレストラン街に響く。


「みんな、逃げろーーーーー!!」


誰もが死を予感し、足がすくんだこの絶望的な状況で、誰よりも早く声を上げ、地を蹴ったのは――。


「……灰島くん!?」


北条の予想を遥かに超える速度で、灰島が動いていた。

彼は、男たちが竹中に向かった瞬間に、すでに最適解を身体で導き出していたのだ。


(俺……何をやっているんだ?)


それは灰島自身にとっても、無意識の衝動だった。

気がついた時には、思考よりも先に筋肉が動いていた。

喉が焼けるほど激しく叫び、竹中のもとへ肉薄する。


そして、竹中の持つ爆弾入りのバッグを、力いっぱい――。

渾身の力で、窓の外、海側へと蹴り飛ばした。


「お前も、逃げろ!!」


灰島は唖然とする竹中の服の襟を掴み、投げ飛ばすような勢いで入口の方へと引きずる。


「北条さん!! 頼む!!」


灰島の気迫に満ちた絶叫が、北条を現実に引き戻した。


「了解!! ほら皆、今のうちに逃げるんだ! 幸い導火線はまだある! 急いで走れば間に合うよ!!」


北条の冷徹な、しかし確信に満ちた一言が号令となった。

竹中を含む犯人グループの男たちは、死の影から逃れるように、出口に向かって一目散に駆け出した。


灰島は、最後尾を走る北条の背中を見ながら、背後で激しく燃える導火線の光を感じていた。



「うわぁぁ!!」


「死にたくない、助けてくれ!!」


仲間のことなど顧みず、犯人グループの男たちは蜘蛛の子を散らすように入口から外へ転がり出していく。


「よし、あとは……」


北条が最後の一人である灰島を連れ出そうと振り返った、その瞬間だった。


「あなたは、こんなところで死んではいけない人だ。生きて……この国の、歪んだ正義を正してください……」


すぐ目の前に、灰島が立っていた。

その瞳は、すべてを悟った聖者のように澄み渡っている。


「最初で最後の無礼を、お許しください」


「……え?」


灰島が北条に優しく笑いかけると、その細身の身体を力一杯蹴り飛ばした。


「ぐぅっ……!!」


物理の法則に従い、北条の身体は弾かれたように宙を舞う。

着弾地点は、ビルの入口のすぐ外。

コンクリートの地面に叩きつけられ、肺の空気がすべて絞り出される。


「うっ……うぅっ……」


あまりの衝撃に、上手く声が出せない。

視界が白く霞み、意識の縁が削り取られていく。

朦朧とする意識の中、自分を呼ぶ野太い声が聞こえた。


「おい、しっかりしろ! 早く逃げんかい、北条!」


捜査四課の熊田だった。


「まだ……灰島くんが……中に……!!」


「なんだと!?」


助け起こされた北条の言葉に、熊田が弾かれたように入口の奥を覗き込む。


「灰島ぁぁぁ!!」


影の向こう、灰島の左足は無惨に血に染まっていた。

爆弾のバッグを蹴り飛ばした際、鋭利な部品に裂かれたのか、あるいは爆弾の中に仕込まれていたトラップに触れたのか。

灰島は、動かない左足を軸にして、残った右足の力だけで北条を外へ押し出したのだ。


「今行く! 灰島くん、今助けるよ!」


北条が震える足で立ち上がり、火を吹くビルへ向かおうとする。


「……熊田さん!! 行かせるな!!」


灰島が、ビルの中から咆哮した。

熊田は、顔をこれ以上なく歪め、歯を食いしばりながら、北条の肩を鉄のような力で押さえつけた。


「頼む! 灰島くん! 少しでも、こっちへ……!!」


北条は、祈るように、懇願するように灰島の名を叫ぶ。

しかし、神は沈黙した。


ズズズ……と地面を揺らす地鳴りとともに、凄まじい爆音がレストラン街を突き抜けた。

一度、二度、三度。連鎖する爆破が外壁を内側から食い破っていく。


「まずい、ビルが倒壊するぞ! 北条、行くぞ!!」


熊田が北条を強引に抱え上げ、地を蹴る。

熊田の怪力の前では、北条の抵抗など羽虫のようなものだった。


「灰島くん! 灰島くんがまだ中にいるんだ!!」


「……もう、間に合わねぇよ! くそったれが!!」


熊田は涙を散らしながら、必死にビルへ戻ろうとする北条を引きずっていく。


「灰島くん! 灰島ぁぁーーーーー!!!」


北条が喉を潰さんばかりに灰島の名を叫んだ、その時。


東京湾岸ビルは、まるで脆い積み木が崩れるように、ゆっくりと、しかし圧倒的な質量をもって倒壊し始めた。


1階部分からへし折れた巨塔は、北条の予測通り西側へ傾き、無情にも隣接する商業施設を押し潰していく。


「住民と捜査員の退避は!?」


「ほぼ、完了しています!!」


硝煙と粉塵が立ち込め、視界は最悪だった。

かつて優雅なレストラン街があった場所は、今はただ、重なり合う瓦礫の山へと変わり果てていた。


そこはまさに、8年前の「警察の闇」が飲み込んだ、地獄絵図そのものであった。

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