思惑
「こりゃぁ……まずいぞ……」
北条との通話を繋ぎっぱなしにし、静かに、しかし鮮明に送り込まれてくる「死の宣告」を聞いていた稲取の顔が、土気色に染まる。
「おい、一課全員動け! 近場の派出所、交番、消防も全部引っ張り出せ! 湾岸ビル周辺の建造物にいる人間を、一刻も早く全員退避させるぞ!!」
稲取の咆哮が現場を震わせる。
「了解!!」
洗練されたエリート集団である捜査一課が、一糸乱れぬ動きで散っていく。
ある者は怒号を上げて避難誘導に走り、ある者は無線にかじりついて全部署、消防署、救急車を呼び寄せる。
「とは言え、呼んですぐに来るもんじゃねぇ……。もう少しだけ粘ってくれよ、北条さん。頼むから……自分たちが逃げる隙を作ることを忘れないでくれよ!」
稲取がビルの外壁を凝視する。
まだ、外見上の異変はない。
だが、一階入口のガラス越しには、数名の人影が揺れているのが見えた。
「あれが……北条さんと灰島、それに犯人グループだな……」
今すぐにでも突入し、全員を外へ引きずり出したい。
だが、その一歩が引き金を引くことになる。
捜査一課のエースたちの命と、周辺住民の安全。
その天秤が、稲取の肩を重く沈ませた。
『家族が殺されて、自棄になる気持ちも分かるよ!』
その時、スマホのスピーカーから北条の切迫した声が漏れた。
「……家族が殺された……?」
稲取の背中に冷たい汗が流れる。
ビルの中に潜んでいた「悪意」の深さが、想像を絶するものであることを悟った。
銃声一つ立てずに、遠隔地で家族を始末する。
それはもはや抗争のレベルではない。
「くそ……やり取りが出来ないってのが、ここまで不便とはな! 一方通行の地獄だぜ……」
もどかしさに舌打ちをする稲取のもとへ、荒々しい足音が近づいてきた。
「稲取! 状況はどうだ!?」
捜査四課の熊田と、その後ろを必死についてくる司が到着した。
「中にはまだ北条さんと灰島が取り残されている。犯人の一人が爆弾を持っていて、ビルごと吹き飛ばす構えだ。周辺の避難誘導には取り掛かっているが……。そっちは?」
「おう、鬼神会が周辺に展開しているという情報自体が、巧妙に仕組まれたデマだった。あいつら、本部でのんびり茶をすすってやがったよ」
「……嵌められたな。一課も、四課も」
二人の猛者が顔を見合わせる。
この場に「精鋭」を集めること自体が、何者かの目的だったのだ。
「俺と新堂以外の四課員も、全員避難誘導に回らせる。人命優先だ」
熊田が速やかに部下たちを散開させる。
「あの、私は……?」
司が不安げに熊田を仰ぎ見る。
四課員として動くべきか、それとも恋人のもとへ駆け寄るべきか。
その葛藤を見透かしたように、熊田は鼻を鳴らした。
「お前は……そうだな、俺の『助手』だ」
「……助手、ですか?」
「ああ。俺がぶちギレて一人で突入しちまわないように、横で見張っておく係だ。いいな?」
あまりにも不器用で、出鱈目な理由。
だが、そこには「大切な男の最期になるかもしれない声を、そばで聞いていろ」という、熊田なりの不器用な優しさが込められていた。
司は、震える手で自分のスマホを握りしめ、ただ一点――灰島と北条がいるはずの、あの暗いビルを見つめ続けた。




