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SEVEN~警視庁特務課~  作者: 桂木 京
第9話:記憶の彼方に

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ビルの中では

「中……荒れてませんね……。」


犯人グループが立て籠もっている最上階のレストラン街。

北条と灰島は先導されることもなく、静まり返った通路を真っ直ぐに突き進む。


「確かにねぇ。不都合な証拠が隠されているなら、僕たちをこんな風に自由に歩かせはしない。……ということは、この場所自体には守るべき価値も、隠すべき秘密もないということだよね?」


「じゃあ、なぜ奴らはここを選んだんでしょう。立て籠りなんて、現代の警察組織を相手にすれば勝ち目のない悪手だと分かっているはずなのに……」


灰島が眉をひそめ、思考の海に沈む。

実は、北条も全く同じ疑念を抱いていた。

意味のない立て籠り。

それは、本来の目的を隠すための「ノイズ」ではないのか。


「灰島くん、密輸組織のメンバーの顔は割れているかい?」


「ええ。黒幕こそ不明ですが、幹部連中の顔は手配書も含めて叩き込んであります」


「顔、覚えてる?」


「……ええ。忘れませんよ、仕事ですから」


「もしかしたら、そいつらの数人がこのビルにいるかもしれない。ただ、下手な行動は控えるように。彼らは……」


北条は一つの仮説に辿り着く。

隠し事もなく、逃げ道もない場所に居座る連中。

それは、組織にとっての「捨て駒」ではないのか。


(今、ここにいるメンバーの身柄を差し出すことで、別の場所で進行している重大な『何か』から目を逸らさせている……。あるいは、誰かを逃がすための陽動か……)


これまでの膨大な捜査経験が、北条の脳内で火花を散らす。


「……そうか、彼らはきっと……」


北条が答えに手をかけようとしたその時、二人はレストラン街の広場へと足を踏み入れた。


「……北条さん」


灰島が喉の奥で押し殺した声を出す。


「……うん。見事に囲まれているねぇ……」


北条もまた、周囲の空気が一変したことを悟った。

物陰、柱の裏、店舗のカウンター越し。

無言の圧力が二人を包囲する。


「稲取くん。最上階・レストラン街の中央。囲まれちゃったよ、僕ら」


こんな時でも、北条の声に揺らぎはない。

無線を使い、極めて簡潔に現状を外へ伝える。


『なんだと!? 逃げ場はあるのか、北条さん!』


「まぁ、配置を見る限り、逃げること自体は難しくなさそうだ。……そうだね、『ただ囲むように近づいてきた』だけ、という感じかな」


『……え?』


稲取が戸惑うのも無理はない。

殺意よりも、どこか事務的な「配置」を感じさせる犯人たちの動き。


「灰島くん。報告にあった犯人グループの人数、覚えてる?」


「たしか、8人です……」


「……正解。そして、今僕たちの目の前に現れたのが、ちょうど8人だね」


犯人グループ全員が、まるで品評会でもするかのように、その姿を二人の前に晒していた。



「全員、出てきた……。」


灰島は、目の前の8人が隠れる素振りも見せず、堂々と姿を現したことに戦慄した。


「組織的な行動としてはあり得ない……。リーダー格なら、捕まらないための逃げ道を確保するか、最後まで姿を隠すのが定石だ。今後の基盤を守るためにね」


今回のビル占拠。

その先に続くはずの「未来」を捨てたかのような彼らの振る舞い。

北条は、男たちの瞳の奥に漂う、死に体の獣のような絶望を読み取っていた。


(……これは、嵌められたね、彼らは)


北条は確信した。

男たちに攻撃の意志はない。

それどころか、自分たち――いや、特に北条を待ちわびていたという「安堵」すら感じられる。


「……慎重に話すよ。稲取くん、僕たちの話を聞きながら、応援や突入のタイミング、頼めるかな?」


北条はスーツの襟に隠したマイクへ、極めて低い声で無線を飛ばした。


『了解……。灰島、北条さんの些細な仕草ひとつ見逃すなよ』


稲取の声も、現場の異様な緊張感に張り詰めている。


「……ふぅ」


北条は自らの鼓動をなだめるように、小さく息を吐いた。


「警視庁捜査一課の北条だ。……さあ、話を聞こうじゃないか」


男たちを刺激しないよう、灰島より二歩ほど前に出て、丸腰であることを示すように両手を広げる。


「お前は……裏切りもんじゃねぇだろうな?」


一番奥に座していた、凄みのある男が北条を射抜くように訊ねた。


「へぇ。『お前は』、ときたか。ということは、君たちは警察関係者に騙された、ということでいいかな?」


「うっ……!」


北条は、男の放ったわずかな言葉の端を、逃さず捉えた。

核心を突かれた男は言葉を詰まらせ、周囲の組員たちにも動揺が走る。


「ちょっと待ってください、北条さん……。警察と密売組織が繋がっているなんて、そんな馬鹿な……」


「まぁまぁ、灰島くん。僕の戯言ならそれに越したことはないから。少しだけ付き合ってよ」


遮ろうとする灰島を笑顔で制しながら、北条はさらに男たちへ肉薄する。


「大きな失敗を犯した君たちは、身内から粛清される代わりに、ある『取引』に応じた。……そんなところかな?」


8人の額には、嫌な脂汗が滲んでいる。


「そこんとこ、どうだい? ……鬼神会の『若頭補佐』殿」


「……え!?」


灰島が息を呑む。

それは灰島にとって衝撃の事実であり、北条にとってはパズルの最後のピースが嵌まった瞬間だった。


「そもそも、鬼神会と麻薬密売組織という二つの勢力が抗争していると考えていたから、僕たちは混乱したんだよ。そうじゃない。最初から『鬼神会そのものが麻薬密売組織の正体』だと解釈すれば、すべてに納得がいく。それなら、消えた鬼神会の構成員を探す必要なんてない。……だって、最初から目の前にいたんだから」


北条の鋭い視線が、男たちの仮面を一枚ずつ剥ぎ取っていく。



「では……鬼神会の構成員が麻薬密売組織の中核と言うことなんですね……?」


「……僕の憶測だけどね。それぞれ顔の割れているメンバーは、鬼神会の若い衆だという裏付けも取れている。まぁ、我々警察は『組織と繋がっている鬼神会構成員』と間違えて認識したみたいだけどね」


突然、この麻薬密売事件が一課の中で急速に進展し始めた。

その不自然な「情報の降り方」に、北条はずっと違和感を抱いていた。

だからこそ、本庁から降りてくる情報を鵜呑みにせず、反論も否定もせず、水面下で別の糸を辿っていたのだ。


「……さすがです。しかし、なぜそんなに暴力団構成員の詳細を知っているんです?」


北条が優秀な刑事であることは、灰島も重々承知していた。

しかし、暴力団捜査は四課の専売特許。

一課の刑事がここまで食い込んでいるのは異例だ。


「それはね、協力したんだよ。熊さんと」


「……あ」


確かに、現場での北条と熊田のやり取りは、単なる同僚以上の信頼関係を感じさせるものだった。


「でも、北条さん。鬼神会の関与は知らなかったんでしょう?」


「ん? 何でだい?」


灰島は、捜査四課が合流した瞬間の光景を鮮明に思い出していた。


「いや、北条さん……熊田四課長が鬼神会の名を口にしたとき、いかにも初耳だという反応をされていました。『まさかの鬼神会』って。あれは……」


こうした微細な違和感に気づく洞察力。

それは、北条という巨大な才能の隣で、灰島が必死に背中を追い、磨き上げてきた武器だった。


「……成長したね、灰島くん。少し前の君なら、そこには気づかなかっただろう」


「……恐縮です」


北条は小さく息を吐き、悪戯が成功した子供のような笑みを浮かべる。


「優秀な相棒を持つと、種明かしが早くてつまらないねぇ。……あれは僕の演技だよ。あの時、熊さんが『鬼神会だ』と言った瞬間に僕が『やっぱりね』と答えていたら、君の中に強い先入観が生まれてしまう。僕と同じ色で物事を見るようになってしまう。それは避けたかった。僕の推理が当たればそれで良し、もし外れていたら、君の真っ白な視点で推理し直してもらおうと思っていた。ただ、それだけだよ」


北条は、愛弟子であり相棒である灰島が、自分の思考のコピーになってしまうことを恐れていたのだ。

一課のエースと四課の長が裏で通じていると知れば、灰島は無意識に「答え」を彼らに委ね、自ら思考することを止めてしまっただろう。


「そのうち明かそうと思ったけど、君の反応が面白くて続けちゃった。ごめんね」


悪びれる様子もない北条に、灰島は呆れたような苦笑いを浮かべる。


「まったく、あなたという人は……。でも、彼らの狼狽えぶりを見る限り、北条さんの推理は『正解』だったみたいですね」


「うーん、残念ながらね……」


北条が急に、沈痛な面持ちで眉根を寄せた。

彼の方程式が導き出した「正解」。

それは、北条の推理が正しければ正しいほど、警察組織という巨大な機構が腐敗に加担していることを意味していたからだ。


「警察の中に、鬼神会と手を組み、彼らを『密売組織』というスケープゴートに仕立て上げた人間がいる。……そしてその人間は、今この瞬間も、僕たちの動きを監視しているはずだ」


北条の言葉が、レストラン街の冷たい空気に溶けていく。

その時だった。 沈黙を守っていた「若頭補佐」の男が、絞り出すような声で口を開いた。


「……あんたが北条か。……上から聞いてた通りだ。キレすぎて……気持ち悪いぜ」


男の視線は、北条からその隣、灰島へと移った。


「……それと、隣の兄ちゃん。お前……灰島っつったか? お前に、……伝えなきゃならねぇことがある」


灰島の身体が、一瞬で強張った。


「関東最大の極道組織が、警察と裏で繋がっていた……だって?」


灰島の顔からは血の気が引き、信じがたいという驚愕に目を見開いている。


「気持ちは分かるよ、灰島くん。僕だって……そうでないことを一番に願っているからねぇ」


北条の瞳の奥には、冷徹な洞察力とは裏腹に、長く尽くしてきた組織への、捨てきれない信頼と悲哀が滲んでいた。


「……それで? 君たちの存在を割り出したのは一課と四課だ。だが、肝心な『裏の繋がり』について、僕たちは何も知らされていなかった。さぁ、君たちは何課の誰と手を握っていたんだろうね。それとも……『もっと上』の存在かな?」


自分が信じてきた警察という正義。

その誰かが国民を裏切り、闇と手を取っている。北条にとってそれは、どんな凶悪犯よりも許しがたい冒涜だった。


「それは……言えない。だが……」


『若頭補佐』太田と呼ばれた男が、滝のような脂汗を流しながら絞り出す。


「……『北条と灰島……この二人は、必ず道連れにしろ』。そう言われたんだ」


カタカタと歯の根が合わないほど震えながら、太田は言葉を継いだ。


「それがどういう意味か……君も、理解しているんだろう?」


北条は、僅かな動揺すら表に出さぬよう、うっすらと優雅な笑みを浮かべて太田を問い詰める。


「もちろんだ。俺たちはもう、用済みなんだよ。消される道しか残っちゃいねぇ。どうせ死ぬなら、警視庁の看板二人を道連れにして死ね……そういうことだろうが!」


「気を遣わずに言わせてもらえば、そういうことになるね。太田くん、鬼神会の若頭補佐にまで登り詰めた君が、こんなにあっさりとトカゲの尻尾にされるなんて。極道の世界も世知辛いねぇ……」


このとき初めて、北条は男を肩書きではなく「太田」という個人として呼んだ。

その一言が、追い詰められた太田の心に、奇妙な波紋を広げた。


「あんたは……怖くないのか? 目の前の俺が『道連れにしてやる』って言ってるんだぞ! これからあんたは殺されるんだぞ!?」


北条は、やれやれと肩を竦めてみせた。


「……極道の世界じゃ、敵に『死ね』と言われたら『はい分かりました』と命を絶つのかい? 僕はこれでも、人より少しだけ欲張りなものでね。今この瞬間も、どうすれば君と一緒にここから生きて出られるか……その打開策を考えているよ」


対照的に、隣に立つ灰島は、かつてないほどの恐怖に射すくめられていた。


(この人……どれほどの修羅場を潜ってきたんだ? 目の前で死を宣告されているというのに。一歩間違えれば、俺たちはここで終わるんだぞ……?)


秀才ゆえに、状況の絶望を論理的に理解してしまう灰島。

そんな彼にとって、死の淵を平然と歩く北条の背中は、もはや畏怖の対象でしかなかった。


そのとき、太田が震える手で懐から一枚の古い写真を取り出した。


「……灰島。お前に、これを見せろとも言われてる」


差し出された写真に視線を落とした瞬間、灰島の呼吸が止まった。

そこに映っていたのは、灰島が一生をかけて追い続けてきた「妹の事件」の、決定的な証拠だった。



「……あんたにゃ、負けたよ」


灰島の危惧をよそに、極限の根比べに屈したのは太田の方だった。


「あんたになら、俺たちの命を預けてもいいかもしれない」


「光栄だけど……。それじゃあ君たちは組を裏切ることになるんじゃないかい?」


極道が組を裏切る。

それは、この世に居場所を失うことと同義だ。

足を洗うにしても、指を詰めるなりして「筋を通す」のがこの世界の絶対。

それを飛び越えての裏切りなど、常軌を逸している。


「どのみち捨て駒だ。このままじゃ俺たちに未来はねぇ。だったら、あんたに乗っかって生き永らえる道を選ぶさ」


「……でも、君たちが密売に加担していたのは事実だ。僕の提案に乗ったところで、全員逮捕は免れないよ? 警察官として、そこだけは譲れない」


「それでもいい……。ブタ箱に入ってる方が、まだ安全だ。解放されて逃げたところで、どうせ俺たちは鬼神会に追われて、消されるだけだからな」


東日本を統べる鬼神会。

そのメンツを汚した「失敗作」に、明日という日は用意されていない。

このビルに残された8人に残された唯一の選択肢――それは、組織のケジメとしてその命を差し出すことだけだったのだ。


「……分かった。じゃあ、協力してもらおうかな」


北条は、まずはこの状況を打破することが先決だと判断し、8人と灰島を呼び寄せた。


(まずはハンドサインを決めよう。簡単で、直感的に分かるやつをね)


北条は口を動かさず、愛用の手帳にスラスラと文字を書き込み、全員に見せる。


「おいおい、急に何を……」


「……しっ!」


疑問を呈そうとした太田を、灰島が鋭い眼差しで制した。

北条のこの突飛な行動には、必ず致命的な理由がある。

灰島はそれを本能で察していた。


(盗聴されているよ)


手帳に踊るその一文に、一同の呼吸が止まる。


(盗聴……!? 一体どこから……?)


灰島の脳裏に火花が散る。

もし警察内部に黒幕がいるのだとすれば、盗聴器を仕掛けられたのは自分か、あるいは北条だ。

つまり、自分たちは最初から、このビル内部の「口封じ」を確実に遂行させるための観測役として、この中へ誘導されたことになる。


(僕と灰島くんは、ここにいた8人の「末路」を見届けるために、このビルに入るよう仕向けられた。そういうことになるね)


北条は淡々と推理を手帳に綴りながら、久しぶりに背筋を這い上がるような冷たい感触を覚えていた。


(そこまで緻密に予見し、盤面を操れる人間が警視庁内部にいる。それが僕にとっては何よりの驚きだよ。この劇が終わったら、必ず探し出さなきゃいけないね……)


巨大な陰謀の影。

北条は、目の前の8人の運命だけでなく、警察組織そのものが底知れぬ闇に飲み込まれようとしていることを、この瞬間に予感した。


「……さて」


北条は手帳を閉じ、あえて明るい声を作って言った。


「交渉を始めようか。まずは君たちがここから『平和に』立ち去るための条件を整理しよう」


その言葉と同時に、北条は手帳の下で、灰島だけに分かるハンドサインを送る。 『脱出路を確保しろ。時間は、ない』

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