要塞
そして……。
「入電です!」
司が司令室の椅子に腰を下ろした、そのタイミングを完璧に見計らったかのようにベルが鳴る。
「……繋いで」
司は迷いなく命じた。
Fだ。自分が戻るのを待っていたかのようなタイミングに、司は驚きもしない。
むしろ、この不敵な男との最終交渉が始まることを、冷徹な覚悟で受け入れていた。
『さて……「探し物」の結果は分かりましたか?』
スピーカー越しに、Fの愉悦を孕んだ声が響く。
「……本当に悪趣味な男ね。答えはもう、貴方の手元にあるくせに」
『確認ですよ、確認。プロセスは大事ですからね』
「……あの三人が言った通りの場所から、白骨化した遺体が見つかったわ。貴方の望み通りにね」
『……よろしい。実に見事な捜査能力だ。それと、我々の「本題」である死刑囚釈放の件も、ゆめゆめお忘れになりませんよう……』
「まずは、その三人を今すぐ解放しなさい」
『解放してもいいですが、果たして世間が彼らを許すかどうか。地獄へ戻るようなものですよ?』
司は、のらりくらりと逃げるFの言葉を遮るように、鋭い声を叩きつけた。
「彼らの人生をどうこう言う権利は、貴方にはない。いいから早く解放しなさい。……マウントを取っていられるのも今のうちよ。貴方もいずれ、貴方の同志たちがいる場所へ送ってあげるわ」
言い捨てると同時に、司は乱暴に通話を切った。
司令室に一瞬の沈黙が訪れ、直後、無線機からメンバーたちの声が弾ける。
「司ちゃん、カッコいい〜! 痺れたよ!」
「マジで、同じ女でも惚れるわ……」
「さすがは我らが司令官、だな」
「……茶化さないで頂戴。展望台の人質が解放されたら、こちらも一気に勝負に出るわよ。北条さん、あさみ、準備はいい?」
『僕の方は、いつでもOKだよ〜』
「あたしは、指示通り執務室の真下に来たけど……あ」
その場所で、あさみは気づいた。
北条が執務室に閉じ込められている間、片時も絶やさなかった「仕掛け」に。 自分がなかなか出られない状況、Fがゲームに興じる時間、そして、外からあさみが突破口を探すであろう未来――そのすべてを、北条は一歩先で読み切っていたのだ。
あさみはすぐさま、周辺に展開するSITの古橋隊長へ回線を繋ぐ。
「特務課のあさみよ」
『……ああ、元特殊部隊の……』
「北条さんが、突破口を作ってくれているわ。執務室、窓が少しだけ『開いている』」
『窓が? どうやって……。全フロア施錠されているはずだが』
あさみは、見上げる巨塔の遥か上、微かな違和感を凝視した。
「ただ開ければFに気づかれる。だから北条さんは、窓の隙間に厚手のカーテンを僅かに挟み込んでおいたのよ。遠目には閉まっているように見えるけど、物理的に鍵はかからない状態になっている」
『……我々の突入口にするために、わざと?』
「ええ。でも、なかなかの高さよ。モタモタしてれば、どこからか狙撃手に眉間を抜かれるわ。貴方たちにできるかしら?」
あさみの挑発的な笑みに、無線越しの古橋が鼻で笑う。
『心配するな。この日のために血の滲むような訓練を積んできている。特務課の小娘に引けを取るような真似は、絶対にさせない』
「言ってくれるわね……。じゃあ、展望台の人質が解放される直前に作戦開始。意識が彼らとカメラに向く一瞬の隙を突いて、一気に勝負を決めるわよ」
夜風にあさみのポニーテールが揺れる。
都庁を包囲する警察の威信、特務課の誇り、そして北条の敷いた布石。
すべての条件が整った。
悪魔の劇場を閉幕させるための、逆襲の幕が上がる。
「面白くないですね……」
司から一方的に通話を切られたFは、受話器を握りしめたまま、その整った顔を醜く歪めた。
綿密な計画だった。
深夜という時間、広範囲に及ぶ捜査、そして「ゲーム」という名の足止め。
警察の機動力を削ぎ、完璧にコントロールしてきたはずだった。
だが、特務課の面々は折れなかった。
それどころか、Fが「後半戦の目玉」として秘匿していた大山みさきの事件まで、北条の起点からわずか数時間で掘り起こしてしまったのだ。
「気に入りませんね……。私の台本が、少しずつ書き換えられている」
完璧主義者のプライドが、音を立てて軋む。
Fは傍らに控える同志に、氷のような視線で命じた。
「……今の人質を解放したら、私は一度下の階へ下ります。『ゲーム』は継続だ。ぬかりなく」
「了解です」
Fは再び受話器を取った。
だが、リダイヤルしたのは特務課ではない。
ヘリを飛ばし、特等席でカメラを回し続けるテレビ局だ。
「お待たせしました。……答え合わせをいたしましょう!」
番組に音声が繋がったことを確認するや否や、Fは芝居がかった朗々たる声で語り出した。
「先ほど、彼らが白状した御嶽山の山中で、白骨化した遺体が見つかったそうです。警察による身元の特定を待つまでもありません。5年前、彼らが無残に奪い、埋めた……大山みさきさんです。誠に残念なことです」
Fの合図とともに、上空を旋回するヘリの強力なサーチライトが、展望台で震える3人の男たちを真昼のように照らし出す。
その醜悪な怯え顔が、高解像度の映像で全国のお茶の間へ送り届けられた。
「皆さん、彼らをどうすべきだと考えますか? 己の獣欲のために、未来ある若い命をゴミのように捨てた彼ら。果たして、法で守り、解放する価値があるのでしょうか?」
Fが、数千万人の視聴者のどろりとした感情を煽り立てる。
「……SNSのコメント欄が、もうめちゃくちゃだ……」
悠真がモニターを見ながら、絶句して呟く。
『死刑一択!』
『警察はこいつらを守るなよ』
『解放された瞬間に誰か刺し殺せばいいのに』
『F、そいつらをブチ殺せ! お前が正義だ!』
擁護の声など、塵ほども存在しなかった。
これこそがFの真の狙い。
あえて「完全な悪人」を人質に据えることで、世論を味方につけ、自分をテロリストではなく「正義の執行者」へと錯覚させる。
「まずいよ……。世間が『人質を殺せ』って望み始めてる。この状況で解放したら、僕たちが悪者にされちゃう……」
「くそっ、奴の描いた『正義の劇場』に、日本中が取り込まれてやがる……!」
悠真と、山を下り始めた虎太郎が狼狽える。
「そして、もうひとつ!」
Fは、とどめを刺すように言葉を継いだ。
「遺体は、一つのブローチを握りしめていたそうです。いま、警視庁の内部回線を通じて確認を取りました」
Fは特務課を介さず、警察内部に潜ませたパイプ、あるいはハッキングを駆使して、捜査の最前線から直接情報を掠め取っていたのだ。
(ブローチ……?)
北条は、福祉保健局で見つけた写真立てを思い出した。
あの写真のみさきさんが胸に付けていたものだろうか。
だとしたら、それは彼女が最期の瞬間にまで握りしめていた「生」への執着か、それとも犯人を指し示す「証」か。
物語は、法と感情、正義と悪の境界が溶け落ちる、最も危険なフェーズへと突入した。
「遺体が……ブローチを?」
Fの不気味なほど落ち着いた宣告に、北条の足が止まった。
「おいおい……それって、まさか……!」
現場にいる虎太郎の動揺した声が無線に響く。
遺体安置所でも、現場でも、見つかった遺品の意味は重い。
「そのブローチが、大山みさきさんのもので間違いなければ、この三人はあまりに巨大な罪を犯したことになる。そんな三人を、警察はなおも『人質』として守り、野放しにするつもりでしょうか?」
Fの言葉が、テレビの向こう側の「観客」に毒のように回る。
『その場で公開処刑だ!』
『警察は税金使って犯人を助けるの?』
『F、そいつらを許すな!』
SNSのコメント欄は、猛烈な勢いで「私刑」を求める声に埋め尽くされていく。
「これ……いつの間にか、警察の方が悪者になってるよ……」
悠真がモニターを見つめながら、その悪意の奔流に頭を抱える。
しかし、その淀んだ空気を一喝したのは、司の凛とした声だった。
「構うことはないわ。各自、惑わされずに任務を続けて」
戸惑うメンバーたちの背筋が、その一言で伸びる。
「何も難しく考える必要はない。殺人に時効はないのよ。人質三人は、解放された瞬間に即逮捕。法に則り、その罪を骨の髄まで償ってもらう。私たち警察官は、悪を許すつもりはない。そして――もちろん、F。貴方も許しはしないわ」
迷いのない司の宣告。
その響きに、メンバーたちの瞳に再びプロの光が宿る。
「……そうだよな。解放したところで、野に放つわけじゃねぇ。逃がさず、確実にブタ箱に叩き込めばいいだけの話だ」
「それよりもあいつ……F。人の心を弄ぶやり方、反吐が出るわ」
「まあ、せいぜい今のうちに視聴者を焚き付けておくがいいさ。俺たちは、その視聴者の前で本物の『正義』を示してやるだけだ」
司の一声でチームの士気が再燃する中、北条だけは険しい表情を崩さなかった。
「早く大山さんを見つけないと、まずいよ……」
北条の危惧。
その理由は、あまりにも残酷な推論に基づいていた。
「人質たちは、みさきさんが『動かなくなった』と言った。それで安直に事切れたと思い込み、土に埋めた。そして……」
「北条さん、それって……!」
虎太郎が、最悪の想像に顔を青ざめさせる。
「可能性は高いよ。みさきさんは、最後の力を振り絞ってブローチを掴んだ。それは、誰かに見つけてもらうための目印だったのか、それとも形見として遺そうとしたのか。でも、その瞬間、彼女は――確かに生きていたんだ」
暗い山の中で、生きたまま土をかけられる恐怖。
その凄惨な最期を裏付ける「ブローチ」という証拠。
「……許せない」
普段、感情を完璧に律している志乃の口から、氷のように鋭い言葉が漏れた。
「人質が解放されるより早く、お父さんを……大山さんを見つけないと。今の告白を聞いてしまったら、彼は何をしでかすか分からない。悠真くん、力を貸してくれ!」
「了解! 都庁内の全カメラ映像、死角も含めて再スキャンするよ!」
北条は翻るコートを抑え、暗闇に沈む都庁のフロアを駆け出した。
復讐の刃を研ぐ父親と、死を待つ罪人たち。
その両者の間に、北条は間に合うのか。
「さぁ、白状していただきましょうか。あなた方は、被害者に乱暴を働き、殺害した。そして、証拠隠滅をはかるため、その遺体を御嶽山山中に埋めた。……間違い、ありませんね……?」
死神の点呼のように、Fがゆっくりと三人に問いかける。
すでに遺体は発見され、SNSという名の公開裁判所では「死刑」の判決が下されている。
もはや、この場に逃げ道などどこにも残されていなかった。
「……はい」
「俺たちが……彼女に乱暴し……殺して、埋めました……」
消え入りそうな声、しかし確かにマイクが拾ったその「告白」。
三人の青年たちが、かつて自分たちが握りつぶした真実を、今度は自分たちが握りつぶされる恐怖の中で吐き出した。
「……くっ!」
北条は、展望台へと続く回廊の分岐点、影に潜みながら大山を待っていた。 感情に突き動かされているとしても、大山はこの都庁の主の一人だ。
警備の死角も、最短ルートも熟知している。
「悠真くん、どうだい?」
『……ダメだ、北条さん。事務所を出てからの足取りが追えない。やっぱり職員だけあって、カメラの位置を完璧に把握してるみたいだ。ホールに出てからの映像がどこにもない……!』
「やっぱり、そうだよね……」
北条の額に冷や汗が滲む。
ただの被害者遺族であれば、隠れる必要などない。
カメラを避け、気配を消して進んでいるという事実は、彼が「法」ではなく「私刑」による決着を選んだことを物語っていた。
「大山さんは、奥さんを早くに亡くしている。みさきさんとの生活が、彼にとって唯一の光だったんだ。……その光を奪われ、さらに生き埋めにされた事実を知った今、彼は自分の命など惜しくはないはずだ」
北条はホルスターに手をかけ、暗闇を見つめた。
大山を救うためには、彼が引き金を引く前に、あるいは刺し違える前に、その身を確保しなければならない。
一方、展望台では、Fが至福の時を迎えていた。
「さぁ、罪を認めた『元・人質』の皆さんを解放しましょう。さぁ、下へ……!」
Fの手によって、三人の拘束が解かれる。
しかし、自由を与えられたはずの三人は、地面にへばりついたまま立ち上がろうとはしなかった。
「どうしたのですか? あなたたち、もう自由ですよ?」
『自由なんて……俺たちにあるわけないじゃないか……!』
『外に出ても……俺たちの居場所なんて、もう……』
『あんたが、こんな……バラしたりしなければ……!』
絶望が生んだ逆恨み。
醜い叫びを上げる三人を、Fは仮面のような微笑で見下ろした。
「……では、今すぐ死にますか? 別に、あなたたちがここで果てたところで、誰も困らない。世界はむしろ、今より少しだけ清潔になる」
Fの温度のない言葉に、三人の喉がひきつったように鳴る。
「私は……いいえ、私たちは構いませんよ? 生きる望みがないと言うのなら、ここで引導を渡して差し上げましょう。……ライフルを、こちらに」
Fが優雅に手を伸ばす。
傍らの構成員から手渡された重厚な狙撃ライフルを、彼はまるでヴァイオリンでも扱うかのように滑らかに構えた。
その銃口が、泣きじゃくる一人の眉間にピタリと吸い付く。
ライフルを向けられた三人の男たちは、もはや声を出すことすら忘れ、蛇に睨まれた蛙のように硬直していた。
「どのみち生きた心地がしないのなら、このまま永劫の眠りにつくのが一番です。最悪の罪を暴露し、この場で命をもって償う。……なんと美しい終幕でしょうか」
Fの細い指がトリガーガードに添えられる。
その手に微かな震えすらなく、命を奪うことへの躊躇は塵ほども感じられない。
「あ、あ……」
「……二十数年ですか。短い人生でしたね。綺麗に、素直に生きていれば、これから楽しいこともたくさんあったでしょうに」
慈悲の欠片もない氷の瞳が、男たちの絶望を嘲笑う。
「やめてくれ……! 死にたくない、死にたくないんだ……!」
一人がなりふり構わず、床に額を擦り付けて命乞いをした。
「やれやれ、身勝手極まりない。……まぁ、いいでしょう。罪を暴けば解放というゲームの趣旨からは外れていませんからね」
Fはふっと興味を失ったように銃口を下ろすと、ライフルを隣の男に手渡した。
「では行きなさい。私の気が変わる前に。……もし気が変われば、私は貴方たちが背中を向けていようと、迷わずその心臓を撃ち抜きますよ」
冷たく射抜くような視線。
三人はその重圧から逃れるように、もつれる足で展望台の出口へと必死に走り去っていった。
その無様な背中を、Fは冷ややかに見送る。
「まるで、追い立てられる野犬ですね。……さて、本当は彼らをメインディッシュにするつもりでしたが、警視庁の皆さんが思ったよりも優秀だったので、ゲームのバランスが崩れてしまいました。ここからは……真面目にやりましょうか」
Fはわざとらしく両手を上げ、深い溜息を吐いた。
「警視庁の皆さん、そろそろ本題に入りましょう。未執行の死刑囚、その全員の即時釈放。それが私たちの要求です。時間はいくら掛けていただいても構いません。ただ……」
Fが背後の同志たちに短く合図を送る。
「階下にいらっしゃる人質の皆さん……彼らの体力が持つまで、それがタイムリミットです。我々には十分な備蓄がある。一ヶ月は籠城できるほどに。ですが、それらを人質に施すつもりは毛頭ありません」
Fの言葉とともに、武装した男たちが一斉に階段を下り始めた。
「さすがに都庁は広すぎる。これより行動範囲を絞らせていただく。一階ロビーに残りの人質をすべて集めます。各課の事務室に残っている職員諸君も、これより人質に加わっていただく。さて……飢えと渇きの中で、何人が脱落することか」
Fは上空で旋回するテレビ局のヘリに向け、挑戦的な、そして不敵な笑みを刻み込むと、自らもゆっくりと階段を下りていった。
――その瞬間。
まるで精密な時計仕掛けのように、Fが去った上階から順に、激しい金属音を立てて防火シャッターが次々と閉鎖されていく。
バァン! バァン! バァン!
重厚な鉄の壁が、都庁という巨大な迷宮を細切れに分断していく。
北条が待つ回廊も、あさみが狙う窓の外も、一瞬にして冷たい鋼鉄によって遮断された。
「……完全な閉鎖空間を作るつもりか。あいつ、本気でここを『要塞』にする気だよ!」
無線越しに、悠真の悲鳴に近い声が響く。




