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SEVEN~警視庁特務課~  作者: 桂木 京
第8話:東京の最も長い1日

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背景

夜の静寂を切り裂くように、新宿の空に新たな爆音が響き渡る。


特務課の面々は他部署と連携し、Fがバラまいた「犯罪の種」を次々と摘み取っていた。

しかし、解決の数に比例して、捜査員たちの肉体は確実に限界へと近づいていた。


「ちっ……どうしてこう小さな犯罪が後を絶たないんだよ。洗っても洗っても泥が出てきやがる」


虎太郎がハンドルを叩き、苛立ちを露わにする。


「日々、技術や経済が発展すれば、犯罪も周到になる。光が強くなれば影も濃くなる……それが歴史ってもんだよ」


「辰さん、考え方が老人かよ!」


「おう、老人だよ!! 文句あるか!」


辰川と虎太郎のいつもの応酬。

だが、その声には隠しきれない疲労の色が混じっていた。


「……そろそろ、この状況をどうにかしねぇと。俺たちは機械じゃねぇ。体力が落ちれば判断が鈍る。最悪の場合、犯人と対峙したときに身体が動かず……人質の命を救えなくなる」


虎太郎の懸念はもっともだった。

無数にストックされた「罪人」という名の人質たちを救い続ける果てしない持久戦。

Fは警察の体力を削り取り、精神を摩耗させることまで計算に入れているのだ。


「ええ……ずっと後手に回るわけにはいかないわ。どうにかしてこの閉塞感を打破する突破口を見出さないと……」


司が唇を噛んだ、その時だった。


「……大丈夫です。追い風はこちらに吹き始めましたよ」


無線越しに、志乃の落ち着いた、しかし確信に満ちた声が届く。


「どういうことだ、志乃?」


「都庁上空……見てください」


司や虎太郎たちが夜空を仰ぐ。そこには、都庁をサーチライトで照らしながら旋回する、数機のヘリの影があった。


「あれは……ヘリか? でも、自衛隊でも警察のでもないぞ……」


「機体のロゴが見えたわ。……『東京テレビ』?」


色とりどりの航空灯を点滅させながら、報道ヘリが都庁を包囲するように集結しつつあった。


「おいおい、なんでこんなタイミングで報道が……!? 情報規制は完璧だったはずだろ」


困惑する一同に、志乃が淡々と説明を続ける。


「先ほど任意同行された人質の一人が、一枚のメモを隠し持っていたんです。『捜査一課の稲取課長にしか供述しない。稲取が出てきたらこのメモを渡せ』と」


その説明が終わるか終わらないかのうちに、司令室の重い扉が蹴破るようにして開かれた。


「おい姉ちゃん! お前、いつから知ってやがった!?」


肩で息をし、顔を真っ赤にした捜査一課長の稲取が志乃に詰め寄る。


「稲取一課長!? 何があったんですか」


無線の向こうで虎太郎たちが息を呑む。


「メモにはこう書いてあったんだよ! 『いちばん報道で影響力のある局に電話をしろ。都庁がジャックされた、とな!』……チクショウ、俺のプライベートラインの番号まで添えてな!」


「マジか……。このタイミングで、誰がそんな情報を……」


「筆跡を鑑定するまでもねぇ。こんな嫌味で完璧な真似ができるのは、あの食えないオッサン……北条さんしかいねぇだろ!」


稲取の叫びに、特務課の面々は目を見開いた。

東京テレビは、国内屈指の視聴率を誇る報道番組『NEWS24』を持つ、影響力絶大の放送局だ。


「北条さん……。自ら檻に入っておきながら、外側に『観客』を呼び寄せたってことか」


密室であれば、Fは人質をどう扱おうが自由だった。

しかし、カメラが数千万人の「目」となって都庁を監視し始めた今、下手に人質を殺せば、Fは「革命家」ではなくただの「卑劣な大量殺人鬼」として歴史に刻まれることになる。


「こりゃぁ……日本中が注目するどころの騒ぎじゃねぇぞ。世界中にリアルタイムで生中継されることになる……!」


暗闇に閉ざされていた「密室のゲーム」が、突如として白日の下に晒された。 Fの歪んだステージに、日本中、いや世界中の視線という名の巨大な圧力が加わろうとしていた。


「すごい……」


「でも、いったい誰がこんな……」


周到すぎる舞台装置。

特務課でこれほどの策略を練られる人間は、一人しかいない。

しかし、その本人は今、敵の真っ只中にいるはずなのだ。


「誰がも何も、このメモの字は北条さんの字だ。あの野郎……人質にされながら、どこまで先を読んでやがったんだ?」


稲取が吐き捨てるように言うと、現場の4人から一斉に驚愕の声が上がる。


「しかし分からねぇな……。Fの野郎が誰を人質にするかなんて運次第だろ? その人質が都合よく『罪』を抱えていて、さらに解放されるタイミングまで……そんな神がかりな計算、人間にできるのかよ」


稲取が信じられないといった様子で首を振る。


「それで、姉ちゃん。お前はいつから知ってたんだ? 北条が裏切ってなんかいねぇって事実を」


稲取の鋭い視線が志乃を射抜く。志乃は、眼鏡の奥で悪戯っぽく微笑むと――。


「……はじめから、です」


と、事も無げに、堂々と言ってのけた。


「北条さんが我々を裏切る可能性は皆無だと信じていました。彼ほどの頭脳の持ち主が、この局面でどちらにつくのが『メリット』があるか、その計算を誤るはずがないからです。そしてその最大のメリットとは……北条さんが『そこにいる』、ただそれだけで警察側の勝機が跳ね上がるということ。それは、最初から分かっていましたから」


「すげぇな……」


「僕、さすがにそこまで志乃さんに信頼されてる自信はなかったよ……」


無線越しに聞こえる悠真の呟きに、志乃の絶対的な信頼の重さが滲む。


すると、その空気を切り裂くように、聞き慣れた飄々とした声がノイズ混じりに響いた。


『もうさ、志乃ちゃんの前ではどんな演技をしても無駄だってことだよね。せっかくシリアスな悪役を気取ってみせたのにさ。結局、4人しか騙せなかったのかぁ』


「北条さん!」


「マジで人騒がせなんですけど!」


「ったく、相変わらず人が悪いぜ、あんたは!」


安堵が怒涛のような不平不満に変わり、無線がにわかに活気づく。


『ごめんごめん。敵を欺くにはまず味方から、だよ。でもさぁ、一人くらい無線で呼んでくれても良くない? 「おいオッサン、冗談だろう? 聞いてるんだろ?」とかさ。みんな冷たいんだから』


「うっ……」


「だって、無線機持っていってないと思ったし……」


苦笑いする北条の気配が伝わってくる。


「北条さん、今、状況は?」


司が声を鋭くし、本題に切り込む。


『あぁ、知事の執務室だよ。知事も一緒で、僕は今、最高に居心地の悪いVIP待遇さ。Fなら、テレビ局の介入に驚いて、さっき慌てて部屋を出ていったよ。……まぁ、すぐに戻ってくるだろうけどね』


「そうか……今なら、どうにか突入できないのかよ!」


虎太郎が身を乗り出す。


『うーん、正攻法はおすすめしないよ。入口付近には、訓練を受けた本物の私兵集団が配置されている。無理にこじ開けようとした瞬間に、都庁前が蜂の巣の宴会場になっちゃうからね』


北条は淡々と、しかし極めて冷徹な視点から、都庁内部の「牙」の鋭さをメンバーに伝えた。



「でも北条さん、どうして人質にうまいことメモを渡せたんだ? 『ゲーム』の開始なんて、あんたが都庁に入った後の話だろう?」


稲取、そして現場のメンバーたちが抱いた当然の疑問。

なぜ北条は、後に「解放される人質」となる人物を特定し、メモを託すことができたのか。


「あー、それね……。都庁職員の不祥事については、個人的にいくつか裏を取っていたんだ。犯人の目星も大体ついていたから、その人宛に『招待状』をしたためておいた……ただそれだけのことだよ。正直、かなりの賭けだったんだけどね。まさかこんなに計算通りに進むなんて、オジサンも驚きだよ」


「嘘……だろ?」


北条の軽やかな告白に、一同は絶句する。


「まずFに呼び出された時点で、僕は『ある筋のハッカー』に連絡して、犯人グループの配置を特定させた。それと同時に、知事の秘書が執務室ではなく警備室に逃げ込んだことも把握していたんだ。そこで、目星をつけていた職員宛の手紙を警備室の外窓から差し込んでおいたのさ。拾ってくれるかどうかは神頼みだったけどね」


Fに呼ばれ、都庁ジャックを知ったそのわずかな空白の時間に、北条はすでに「反撃の種」を蒔いていたのだ。


「でも、なぜ人質になると?」


「『神の国』の主目的は死刑囚の解放だろう。でも、Fという男の個人史を洗えば、彼がいかに承認欲求の塊かは明白だった。元・窓際族で誰からも見向きもされなかった男だ。きっと警察に対して優越感を示すための『独自の余興』を始めると推測したんだよ」


「驚いた……そこまで読んでいたって言うの……?」


「組織の意向を汲みつつ、自分の虚栄心を満たすには、都庁の汚職をネタに遊ぶのが一番手っ取り早い。その中でも比較的軽い犯罪者をわざと解放するパフォーマンスを見せることで、警察に『事件を解決すれば助かる』という希望を刷り込み、ゲームを継続させる……。全く、狡猾で賢い犯人だよ、Fはね」


やれやれ、と溜息を吐く北条の声は、どこか楽しげですらあった。


「じゃあ……この最悪な状況の推移を、あんたは大体予想していたってことか?」


「まあ、概ねね」


現場の4人は言葉を失った。

自分たちが必死に走り回っていたその軌跡すら、北条が描いたシナリオの一部だったのだ。


「だったら最初から言えってんだ! さんざん振り回されたこっちの身にもなれ!」


無線越しに虎太郎が吼える。


「まあまあ。敵を欺くにはまず味方から、だよ。おかげで今のFは、予想外の『報道』という観客の登場で、だいぶリズムが狂っている。……でも、ここからは僕たちも本気で挑まないとね」


北条の声から、不意に軽薄さが消えた。


「ひとり、恐ろしい人物がこの部屋にいる。……香川くんを撃ったスナイパーだ。彼が、僕のすぐ目の前で銃口を構えているよ」


「なんだって……!?」


虎太郎が戦慄したような声を上げ、あさみが低く、鋭い舌打ちをした。


(厄介ね……。あの射撃精度、正直言って化け物よ。私たちが明確に『敵』と認識されたら、どこにいたって眉間を撃ち抜かれる……)


特殊部隊に身を置いていたあさみだからこそ、その絶望的なまでの脅威が肌でわかるのだ。

香川を襲ったあの弾道。

常人には到底不可能な、物理法則をあざ笑うかのような超ロングレンジからの狙撃。


「……突入については、死ぬほど慎重になるべきね。迂闊に動けば、私たちはただの動く標的にされて終わりよ」


今のところ目立った動きを見せていない、その静寂こそが、あさみには恐ろしかった。


「沈黙を守っているのは、スナイパーとしての格が違う証拠。騒ぎ立てて実力を誇示するような三流とはわけが違うわ。発射位置を悟らせず、死神のように潜む。どこから狙われているか分からないからこそ、スナイパーは無敵なのよ」


メンバーの間に、氷のような緊張が走る。


「つまり……この巨大な都庁のどこかで、常に俺たちの眉間が照準に収まってる可能性があるってことか」


「その通りよ。北条さん、その狙撃手は今も同じ部屋に?」


『……いや。テレビ局のヘリが接近したタイミングで、音もなく消えてしまったよ。今は僕と知事だけだ』


「そう……さらに厄介ね。監視カメラの死角を突いて潜入するにしても、狙撃手の居場所を特定するのが大前提になるわ」


『今回の事件、どうやらこれまでの「ゲーム」とは難易度の桁が違うようだねぇ……』


北条が眉間に深く皺を寄せ、思案にふける。


(組織の幹部級、それも最高峰の狙撃手をわざわざここに配置した。……それだけの理由が、この場所にはあるということだ)


北条の頭脳が、超高速で回転を始める。

手帳に幾つかのキーワードを書き殴り、唸り声を上げながら執務室内を歩き回る。

そして、ふと足を止め――椅子に縛り付けられたままの一色知事を、射抜くような目で見つめた。


「……この東京都庁には、彼らが喉から手が出るほど欲しがっているもの、あるいは、地の底にまで埋めてしまいたい『不都合な真実』がある。そうだよね? 人を殺してでも、世界を敵に回してでも守り抜きたい何かが……」


北条が導き出した結論は、ただ一つ。


『「神の国」を根絶やしにする致命的な何かが、この都庁のどこかに眠っている』


『みんな、僕もそろそろ腰を据えて動き出すことにするよ。この事件を早期解決する「鍵」は、どうやら都庁の内部にある。中にいる僕が動くのが、一番効率がいい』


「でも北条さん、一人では危険すぎます! 相手はあの狙撃手なのよ!」


『うん。ものすごく危ないだろうね。……でもさ』


死の淵に立ちながら、北条の胸は久しく忘れていた高揚感に震えていた。


『君たちには、Fを少しの間だけでいい、足止めしておいてほしいんだ。……みんなを、信じているよ』


Fと狙撃手。

二人の捕食者に追われれば、北条といえど捕まるのは時間の問題だ。

一人で自由に動ける「空白の数分間」を、仲間たちが作ってくれる。


北条は不敵に微笑むと、通信を維持したまま、静かに執務室のドアへと手をかけた。


「なかなかやりますね……しかし、次はどうでしょうか?」


次々と提示される「罪」を光の速さで暴いていく特務課。

しかし、Fの薄気味悪いほど穏やかな表情は崩れない。

むしろ、舞台に「観客」が増えたことを楽しんでいるようにすら見えた。


「今回の人質は……1人にしましょう」


展望台の冷たい床に、一人の男が引きずり出される。


「紹介しましょう……今回の『目玉商品』です。彼の犯した『罪』を暴いてください。せっかくテレビ局の方もいらしてるんだ、世界中の皆さんにしっかりとお披露目しなくては。テレビの音声もこちらに繋いでおきますよ。今回は最高にエキサイティングなイベントになりそうなので、制限時間は設けません。……ですが、それでは我々が不利になりますからねぇ」


引きずり出された男は、膝をついたまま全身を激しく震わせていた。

その目は虚ろで、自らの死を恐れているというよりは、これから剥がされる「自らの皮」に怯えているようだった。


「この彼が犯した罪が明らかになった時、おそらく世間は彼の死を望むことになるでしょう。

解放されても、彼の人生に光が差すことは二度とない。

いっそ、今ここで死んでしまった方が楽だと思えるほどに……。

そこで、ゲームオーバーの条件はただひとつ」


いつの間にか、Fの隣にはあの「狙撃手」が音もなく並んでいた。


「……彼自身が『死』を望んだ、その瞬間に今回のゲームは終了とします。優しいでしょう? 犯罪者の最後の望みを、この私が叶えてあげられるのですから」


「……この、外道が……っ!」


無線越しに、虎太郎の怒りで震える声が響く。

Fの狙いは明白だ。

真実を暴けば暴くほど、人質は絶望し、自ら死のトリガーを引く(あるいは引くよう懇願する)ことになる。


「難しいわね……。今回は、ただ事件を解明するだけじゃダメ。人質に『生きる気力』を残したまま、真実を突きつけなきゃならない。でも……」


司の言葉が重く沈む。


「事件を解明すれば、彼を社会的・精神的に死ぬまで追い詰めることになる。かといって手をこまねいていれば、都庁立て籠り事件自体が長期化し、他の人質たちの体力も限界を迎える……。最悪のジレンマだわ」


刻一刻と、特務課はFが張り巡らせた蜘蛛の巣に絡め取られていく。


「ねぇ、ちょっと待って」


その時、移動中の車内でタブレットを凝視していたあさみが鋭い声を上げた。画面には、悠真が都庁のセキュリティをハッキングして転送してきた展望台のライブ映像が映っている。


「Fの隣に立っているあの男。最初からあの場所にいた?」


「いえ……最後の人質が上がってきたタイミングで、いつの間にか合流しています」


悠真の答えに、あさみの眼光が鋭さを増す。


「あの周囲への警戒のしかた……視線の配り方、重心の置き方。完全に『狩り』に慣れてるわね。……間違いない、あの男が『狙撃手』よ」


あさみの肌が、画面越しに伝わる殺気に粟立つ。

最後に現れたその男こそが、香川を、そして都庁を包囲する警察官たちを死の恐怖に陥れている張本人。


「沈黙の死神」が、ついにテレビカメラの前に姿を現した。



「この人質、名前が分かればすぐに警察の皆さんは過去の事件にたどり着くでしょう。しかし、その事件には、まだ『闇』がある……」


Fが、展望台の床で震える男を一瞥する。

その「闇」という言葉が響いた瞬間、男の身体は痙攣したように激しく波打った。


「もちろん、共犯者もいます。せっかくですからご登場いただきましょうか……」


Fが指を鳴らすと、犯人グループの手によって、さらに二人の男が引きずり出されてきた。

合計三人の男たちが、スポットライトを浴びたステージの上で晒し者にされる。


「さて、お名前はどうしましょう? 私が公表しますか? それとも……ご自分の口で言いますか?」


三人の男たちは、恐怖に顔を歪めながらも必死に言葉を絞り出した。


「頼む……許してくれ。もう、罪は償ったじゃないか……!」


一番最初に連行された男が、喉を掻き切るような声でFに懇願する。

しかし、Fの眼差しは底冷えするほどに冷たい。


「本当に、『全て』償いましたか?」


「あ、あぁ……もちろんだ!」


男は何度も激しく首を縦に振る。

だが、その返答こそがFの逆鱗に触れたようだった。


「気に入りませんね……それでは何か? 私が間違った情報を仕入れてきたと、そう仰りたいのですか?」


「い、いや、それは……頼む! 許してくれ! 助けてくれよ!!」


男は床に額を擦りつけ、なりふり構わず土下座する。


「質問の答えになっていませんねぇ……!」


Fは表情を一つも変えることなく、革靴の踵で男の手を無慈悲に踏み抜いた。


「う、うわぁぁぁ! 痛い! やめてくれ……!」


「私は、間違った情報を仕入れたのですか?」


「うっ、うぅぅ……!」


「……答えなさい」


Fがさらに体重を乗せ、男の指が砕けるような鈍い音が響く。


「……間違って……ません! 貴方の言う通りだ……!」


男が泣き叫びながら吐き出した一言。

それを聞き、Fは不快そうに足を退けた。


「彼の名前は……タムラマサキです。ヒントは、『解決済みの事件』。……警察の皆さんは、大きな見落としをしている。解決したと思い込んでいるその事件には、もう一つの『重大な罪』が隠されている。それを暴くのがあなた達、警察の役目です。……まだ、時効にはなっていませんよ」


Fが淡々と告げる。

三人の人質たちは、まるで死刑宣告を受けたかのように揃って項垂れた。


「もう……おしまいだ……」


その一人が絶望の淵で漏らした小さな呟きを、北条は聞き逃さなかった。


(タムラマサキ……どこかで聞いた名前だ。……そうだ、もしかしたら!)


北条は一色知事の背後に身を潜め、耳元のマイクをオフにして知事にだけ聞こえる声で告げる。


「……知事。誰かが部屋に来たら、僕の足を軽く蹴ってください。いいですね?」


「あ、足を……蹴る?」


意表を突かれた一色が戸惑う中、北条は知事の椅子の真後ろ、窓際の死角に陣取り、手帳を素早く開き始めた。

そのペン先が、かつての記憶を呼び戻すかのように滑り出す。


「北条さん? どうしたんだ?」


「何か……分かったんですか、北条さん!」


司令室の司や現場のメンバーたちが、焦燥の混じった声を上げる。


「思い出した……」


過去の事件録を指先でなぞりながら、北条が低く舌打ちをした。


「田村正樹……5年前の連続婦女暴行事件の主犯だ。確かに、この事件は『解決済み』として決着がついている。リーダー格の田村は懲役4年の判決を受け、去年出所したばかり。そして、今あの展望台にいるのが当時の共犯グループ……。Fが『招待』したのは、間違いなくこの男たちだ」


当時、一課に在籍していた北条だが、この事件は強行犯係の管轄外だったため、直接捜査には加わっていなかった。

しかし、最後の被害者情報をもとにしたスピード逮捕、そしてその後の「あまりにスムーズな幕引き」に、彼は拭い去れない違和感を抱き続けていたのだ。


「北条さん、なんでそんな昔の事件がまだ手帳に残ってるんだ?」


虎太郎が不思議そうに尋ねる。


「僕はね、解決した事件でも、自分の中で『納得がいっていない』ものはページを残すようにしているんだ。5年前のこの事件……あまりに出来すぎた幕引きが、どうも引っかかっていてね」


当時、逮捕された田村は、警察の聴取に対し驚くほど素直に応じた。

余罪も次々と自供し、その反省の色が見える真摯な姿勢が考慮され、結果として刑期が短縮されたとも言われている。


「犯人グループが揃って自供し、全ての罪を認めた。警察としちゃあ、最高の解決の仕方だったんじゃねぇのか?」


虎太郎には、北条が何を危惧しているのかが掴めない。


「あっさりと供述し、罪を認めれば、それだけ起訴までの時間は短縮される。そうすれば、世間が騒ぎ立てる前に刑を確定させ、事件を『終わらせる』ことができる……」


北条は思考の深淵で何かに触れ、眉間に深い皺を寄せた。


「この事件の『闇』……。闇とはすなわち、光の裏側、誰にも見えない影に隠された部分。……まさか」


北条の脳裏に、最悪の「可能性」が浮かび上がる。


「志乃ちゃん……申し訳ないけれど、この連続婦女暴行事件の発生から田村逮捕までの期間、都内で受理された『若い女性に関するあらゆる届け出』を確認してくれないかな?」


「あらゆる届け出……ですか?」


「そう。遺失物、失踪、被害届……項目は何でもいい。若い女性が絡んでいるものを、片っ端からピックアップして欲しいんだ」


「了解しました。至急、データベースを洗います」


志乃は北条の意図を即座に汲み取り、迷いなく指を走らせる。


「僕の予想が当たっていたとしたら……警察は今日、消えない『罪』を背負うことになるかもしれない……」


傍らにいた一色は、北条の顔が心なしか青ざめていることに気づいた。

その震える手からは、いつもの余裕が消え失せている。


「大丈夫ですか、北条さん。良ければ、この椅子に……」


「あぁ、すみません。大丈夫ですよ。気遣い、痛み入ります」


心配する知事に対し、北条はいつもの飄々とした微笑を無理やり作って見せたが、その瞳の奥には冷徹な怒りが宿っていた。


「……北条さん、リストアップ完了しました。全員の端末へデータを送信します」


「……あぁ、済まないねぇ……」


志乃から送られてきた膨大なリスト。

それを開いた瞬間、特務課の面々と北条のスマホに、重苦しい「真実の断片」が突きつけられた。


「結構、あるな……この日の届け……」


リストをスクロールする指が止まらない。

捜索願、落とし物の紛失届――当時の被害女性たちと同年代の女性に関する問い合わせが、その一時期に集中していた。


「これ……」


その膨大なデータの中から、悠真がひとつの項目を指差した。


「履歴を見たらさ……この人の捜索願、今も継続してる。これ、五年前からずっと『未解決』ってこと?」


「……え?」


通常、届け出は警察のデータベースに登録され、事案が解決すれば「解決日」が入力される。

どんなに小さな落とし物でも、解決すればその処理を行わなければならない。それが組織の鉄則だ。


「この、大山みさきさんって女性……まだ見つかってないよね?」


「ああ。解決日の入力がどこにもない……」


「届けを出しているのは……お父さんみたいだけど。え、ちょっと待って……」


悠真がさらに深い階層のデータにアクセスし、驚愕の声を上げた。


「お父さん……都庁職員だ……」


「……悪い予感しか、しないねぇ……」


北条の表情が、かつてないほど険しくなる。

五年前、田村たちが「全て」を自供して幕を閉じたはずの連続事件。

その影で、一人の女性が神隠しのように消え、その父親は今もこの建物で働いている。


「悠真くん、大山さんの所属部署は?」


「えっと、福祉保健局……」


「ちょっと、行ってこようかな」


直接、現場の空気を感じ、顔を見て確信を得る。

それが北条の流儀だ。

彼は意を決したように、シルバーのスーツケースを手に取った。


「大丈夫ですか? 外には連中が徘徊しているんじゃ……」


「まあ、こちらから攻撃を仕掛けなきゃ大丈夫でしょ。どのみち都庁からは出られないし、入るときにボディチェックも済ませてる。見つかっても、またこの部屋に連れ戻されるのが関の山さ」


北条は執務室の重いドアを静かに開け、外の様子を伺う。


「どのみち、今の状況をどうにかしないと、Fのふざけたゲームはいつまでも続く。のんびりとお茶を飲んでいても事態は変わらないからね」


「そりゃ、北条さんが動いてくれるのはこっちとしても心強いけど……」


「もう夜も更けてきた。早くみんなを解放させて、犯人逮捕に踏み切りたいところだよ。犯人たちは交代で睡眠を調整できても、準備のない僕たちや人質は強制的に徹夜させられることになる。体力的にも、ここが正念場だ」


都庁解放という本筋が後手に回り、Fにペースを握られ続けている現状。

その主導権を奪い返すための単独潜入だ。


「少しでも、Fの隙を突ければ景色は変わる。みんな、気を抜かずに行こう」


誰もいない、照明の落ちた長い廊下。

北条は足音を殺し、壁の影に溶け込むように歩き出す。

無線越しに、メンバーたちの決意が返ってきた。


「了解……とりあえず、俺はこの大山さんの家に行ってみるよ」


「私は、他の未解決届けを精査するわ。他にも隠された『消えた女性』がいるかもしれない」


「俺は交番を回って、当時の空気を知っている古い警察官に話を聞いてみるぜ」


「あたし、都庁の周辺へ向かう。外から狙撃手の死角をついて侵入できるルートを、この目で確かめてくるわ」


それぞれの場所で、特務課の牙が再び研ぎ澄まされていく。

都庁の闇に潜む「真の罪」を暴くために。

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