第4話_静かな観察者
商店街アーケードの角、古い喫茶店跡を間借りする形で営業しているカフェ「Nest」には、特別な目印も看板もない。だが、平日の昼間にもかかわらず、入口には控えめな行列ができていた。
「……こんなに人が入ってるのか」
拓実は驚いたように呟いた。外からは分かりづらいが、店内に入るとその理由がすぐに分かる。薄いジャズが流れ、温かな木目の内装と柔らかな照明。空間のどこにも無駄がない。椅子と椅子の間隔、注文カウンターの配置、レジまでの導線。そのすべてが、「居心地の良さ」のために設計されているようだった。
カウンターの奥で、長身の男がラテを注いでいた。栗色の髪、青い瞳、どこかのんびりとした動き――だがその手つきは正確で無駄がない。
「ヘイデン・クラーク。豪州出身。ここの立ち上げから居るバリスタです」
そう言ったのは、薫だった。商店街事務局のスタッフとして働く彼女は、実直で口数が少ないが、必要な説明は端的にしてくれる。
「彼が“店内導線”を設計したと聞いています」
「バリスタが?」
「彼は“観察”の人です。客が何に手間取るか、何で迷うか、それを見てレイアウトを変えていくんです。店長より、たぶん彼の方がこの店を分かってます」
そのとき、ヘイデンがこちらに気づいた。
「Oh, new face? Welcome!」
フレンドリーに笑いかけながら、彼はふたり分のカフェラテを手渡してきた。繊細な葉の模様が描かれたラテアートが、静かに湯気を立てていた。
「あなた、タクミさん?」
「……ああ。俺を知ってる?」
「エマから聞いたよ。オフィスで理屈ばかり言ってるって怒ってたから、逆に興味あってね」
「なるほど……毒舌の共有までされているとは」
拓実が苦笑すると、ヘイデンは笑いながらカウンターから出てきた。
「ちょっとだけ、遊んでいい? この店の問題点、君に当ててみてほしい」
「問題点……?」
拓実は一口ラテを啜ってから、店内を見回した。客の入り、空間の広さ、動線の整備――ぱっと見、欠点らしきものは見当たらない。
だが数分後、拓実はゆっくりと指をさした。
「……あの壁際の席。二人客が座ってるけど、トイレに行くには向こうを一度立たせないといけない」
ヘイデンの目が見開いた。
「Exactly!」
「その席だけ、回遊性が断たれている。視線も抜けないし、心理的に“滞留”が起きる。客単価が高くても回転は鈍る。……でも、客に不快を与えるほどじゃない。だから見逃される」
拓実の分析に、ヘイデンは満足げにうなずいた。
「それ、俺が昨日気づいたところ。君みたいな人、初めてだ。ちゃんと“人の動き”を数字なしで読む人」
「俺は数字と動きの“両方”を見てきた。銀行でも、現場でも。むしろ現場のほうが、信用に値する」
カフェの一角にある小さな黒板には、手書きで“空間改善中!”と書かれていた。ヘイデンはそれを指しながら言う。
「これ、俺がやってる取り組み。スタッフには“遊び”だと思われてるけど、実は全部、次の導線案に繋がってる」
「面白い。だったら、商店街の導線再設計も一緒に見てもらえないか?」
拓実のその言葉に、ヘイデンは目を丸くした。
「俺が? 専門でもないのに?」
「君の専門は“人を観察して、快適を形にする”こと。それなら、十分すぎる資格だ」
ヘイデンは腕を組み、少し考えた。そしてふっと口角を上げる。
「条件がある。俺にもひとつ“好きにさせて”くれ。現場の写真、動画、記録。全部“感じたまま”に残したい」
「いいだろう。感覚を記録するのも立派なデータだ」
その答えに、ヘイデンは両手を打ち鳴らした。
「Deal! タクミさん、君となら、面白い街が作れそうだ!」
その後、カフェを出る頃には、薫が淡々と準備していた。
「では、商店街の現状図を用意します。ヘイデンさんには“動線パターン”のスケッチを、拓実さんには“導線と売上の相関”分析をお願いします」
「……話が早くて助かる」
拓実は少しだけ肩の力を抜き、言った。
「仲間が揃ってきたな」
それは確かな実感だった。異なる立場、異なる国籍、異なる感性――だが、それを“利害”ではなく“目的”で結ぶことができたとき、人は本当の意味で動き出す。
その夜、えまのもとに一通のメールが届いた。
件名は、「現場主義、観察開始」。
差出人は、瀧本拓実。