第38話_イマニの大舞台
その日、ミルド町の広場は、朝から異様な熱気に包まれていた。
特設テントの裏で、イマニはリストバンドの箱を抱えて膝をつき、深く息を吐いていた。額には汗、シャツはすでに背中まで濡れている。それでも、表情にはどこか、充実感が宿っていた。
「イマニさん、そろそろ開場の時間です」
薫の控えめな声に、イマニは顔を上げた。目の前の広場には、開会を今か今かと待つ町人たちと、すでに整列を始めているランナーたちの姿がある。見慣れた農夫も、宿屋の女将も、そして子どもたちまでもがゼッケンをつけていた。
――すごい、本当にやるのか、私たちで。
イマニは思わず胸の奥で呟いた。数ヶ月前まで、町中を走るイベントなど誰も考えもしなかった。だが、拓実が「地域の鼓動を“身体”で感じる機会が必要だ」と言い出し、何気ない一言がイマニの中に火を灯した。
「わたし、やる。走るより、つくる方で」
そう言ってからの彼女は、まるで山を動かすような行動力を見せた。
重い鉄柵も、道路封鎖用の立て看板も、自分で担いで運び、町の男衆の誰よりも動いた。地図の作成も、安全経路の確保も、毎晩遅くまで拓実と打ち合わせを繰り返した。
「イマニ。そろそろ出番だぞ」
背後から拓実の声がした。彼は今日、運営総責任者として控えていたが、どこか父親のような目でイマニを見ていた。
「ありがとう、タクミ」
イマニは軽く頷き、メガホンを手にスタート地点へ向かった。
「みなさん、集まってください! 第一回ミルド町ラン&スマイル大会、まもなく始まります!」
集まった人々から歓声と拍手が上がる。その光景を見て、イマニの心に込み上げるものがあった。言葉ではうまく言えない、けれど確かに自分が“役に立っている”という実感だった。
「スタートまで、10秒前!」
群衆がカウントを始める。イマニは深く息を吸い、空を見上げた。雲一つない快晴。その青空は、まるで彼女自身の未来のように開けていた。
「……5、4、3、2、1、Go!」
ホイッスルの音が鳴ると同時に、走者たちが一斉に走り出した。子どもたちの歓声、大人たちの笑い声。舗装された石畳の通りを、地元の人々が誇らしげに走り抜けていく。
その背中を見送りながら、イマニは手を振った。
「いってらっしゃい!」
やがて、ひときわ高い声で「イマニさーん!」と叫びながら駆け寄ってくる少女がいた。以前、仮設浴場で仲良くなったミナだった。
「走れたよ! 全部走れた! わたし、初めてだよ!」
イマニは思わずその子を抱きしめた。
「あなたは、すごいよ。ほんとうにすごい」
その言葉は、同時に自分自身へのエールでもあった。




