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45歳、静かな観察者は商店街を救う――地域再生コンサルタント拓実の逆転劇  作者: 乾為天女


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第32話_えま、決断のとき

 市役所の一角、静まり返った夜の会議室に、えまはひとりで残っていた。机の上には、拓実が遺していったプロジェクト資料が散乱している。背後のホワイトボードには、手書きのままのフローチャートがまだ残されていた。

 「……託された、ってことよね」

  えまは、小さく息を吐いた。拓実の入院は突如だった。激務の中での体調不良。本人は「少し休めば治る」と笑っていたが、医師は「しばらく安静にすべき」と告げた。

  ――拓実さんが倒れた今、この町の流れを止めてはいけない。

  その責任感が、えまの背中を静かに押していた。

 「決めなきゃいけないことが多すぎる……」

  机に並んだ三枚の書類。どれも今後の運営方針を左右する重要な提案書だった。ひとつは外部委託による運営効率化、もうひとつは町内業者との提携維持、最後は市が直接関与するリスクを伴う案。

  すべてにメリットとデメリットがあった。しかし、拓実がいたときのように、最善の一手を誰かが“決めてくれる”ことはもうない。

 「……理屈だけじゃないのよね、こういうのって」

  自席に戻り、椅子に身を沈める。えまの視線は、壁にかかった一枚の写真に向けられた。それは先日の夏祭りで撮られた集合写真だった。笑顔の拓実、海翔の派手な法被、薫の渋い浴衣姿、そして自分自身が、自然に笑っていた。

  “人を信じる勇気が、地域を動かす”

  ――拓実が祭りの打ち上げで言った言葉を、えまは今、思い出していた。

  ――

  翌朝、えまは会議室に仲間たちを集めた。

 「みんな、突然だけど……今日から私がこのプロジェクトのリーダーを引き継ぐわ」

  えまの言葉に、全員の視線が集まる。遼平は驚いたように眉を上げ、薫は静かに頷いた。海翔は「マジかよ」と呟いたが、すぐに口を閉じた。

 「拓実さんがいない間、私たちで回すしかないの。でも、今までのやり方を全部そのまま続ける必要はないと思う」

  えまはホワイトボードに歩み寄り、赤いマーカーを手に取る。

 「私の提案はこれ――“現場の声を即時反映できる柔軟な体制”。要するに、チーム制で回すの」

 「チーム制?」

  咲が目を細めた。

 「はい。役割分担を固定するんじゃなく、タスクごとに責任者を替える。必要に応じて交代もできるようにするわ」

 「なんでそんな面倒なことを?」

  海翔が口を尖らせる。

 「面倒に見えるけど、逆よ。個々の負担を軽くするためなの。私たち、もう疲弊してる。拓実さんのようなバケモノじゃないんだから」

  沈黙が流れたあと、遼平がぽつりと言った。

 「……バケモノ、か。確かに、あの人は何でもひとりで抱えてた」

  薫が静かに付け加えた。

 「それでも回っていたのは、私たちが無意識に彼に頼ってたからよ」

  えまは一歩前に出た。

 「その構造を、今、変えたい。みんなで考え、みんなで判断できる体制に。私はその土台を作る。だから、力を貸して」

  深い静けさの中、やがて咲がふっと息をつき、手を挙げた。

 「いいわよ。責任の所在が明確なら、反対はしない」

  次に薫が頷き、遼平もゆっくりと手を挙げた。

  最後に、海翔が大きく肩をすくめて笑った。

 「もう、えまさんに逆らうの怖くなってきたわ。乗った!」

  その瞬間、会議室に柔らかな空気が流れた。

  拓実がいない穴を埋めるのではなく、新しいやり方を生み出す。えまの静かな覚悟が、チームをまた一歩、前に進めていた。



 午後、えまは一人、市庁舎の上階にある予算管理課を訪れた。資金の一部が凍結されるという通達を受けたのだ。窓口にいたのは、かつての上司である課長・渡辺だった。

 「久しぶりだな、えま君。で、今日は何の用件だ?」

  渡辺の声には、どこか試すような響きがあった。

 「予算第4号案の一部、仮設施設に関する予備費が凍結されたと聞きました。理由を伺いに来ました」

 「ふむ、率直だな。理由はひとつ。拓実君が抜けたからだよ。彼は特別な存在だった。だが……今は?」

  えまは一瞬、言葉に詰まった。

  しかしすぐに、視線をまっすぐに戻した。

 「今は、チームで回す体制に切り替えています。私が責任をもって、遂行します。なので――予算凍結を解除していただけますか?」

 「君に、できるのか?」

  その言葉に、えまは一歩前に出た。

 「私には、拓実さんほどの経験も胆力もありません。でも、彼から学びました。“現場を見ること”。“人を信じること”。“まず動くこと”。私はもう、書類の中にだけ答えを探すような仕事には戻りません」

  渡辺は数秒黙っていたが、やがて椅子を引いて立ち上がると、窓の外を見た。

 「……市民からの支持率、上がってるらしいな。特に、若者層から。あの“湯屋”が効いたか?」

 「はい、あれは拓実さんの知恵です。でも、それを動かしたのはチームです」

 「なるほど。――よし、凍結は解除しよう。だが一つ条件がある」

 「条件?」

 「来月の中間報告を、君が単独で行うこと。市長と経済部長を前にプレゼンしてもらう。言い訳は一切なし。どうだ?」

  えまは緊張で喉が渇いた。しかし、それでもはっきりとうなずいた。

 「受けます」

 「……フフ、言ったな。君も変わった」

  えまは深く頭を下げ、その場を後にした。背後で渡辺が「……面白くなってきた」と呟いたのが、はっきりと聞こえた。

  ――

  その夜、えまは仮設会議室で仲間に報告した。

 「凍結は解除されました。でも来月、私が中間報告に立たなきゃいけなくなったの」

 「単独で? 市長の前で?」と遼平が驚きの声をあげる。

 「うわあ……胃に穴空きそう」と海翔が頭を抱える。

  えまは肩をすくめた。

 「私もそう思う。でも、逃げない。これを乗り越えて、ようやく“拓実さんの背中”が見える気がするの」

  その言葉に、全員が黙ってうなずいた。

  夜風が窓を鳴らす。外の商店街には、灯りがひとつ、またひとつと戻りつつある。

  えまの中で、覚悟が確かな形になり始めていた。




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