第28話_イマニの大木
その木は、日向坂の北端、丘陵地にそびえていた。枝は空を割り、幹は人の輪を三つ抱えても足りぬほどに太く、地元では“アカギさま”と呼ばれていた。
「これ、全部切るんスか? 本当に?」
海翔が、開発予定地の境界線を示す杭の前で眉をひそめた。
「いや……正確には“移植対象”って書いてある。けど、直径2メートル超の樹木なんて、移せるはずがない」
拓実が図面を確認しながらつぶやく。その横で、イマニが無言のまま大木を見上げていた。
――何百年もこの地に根を張って生きてきた生命。その静けさが、イマニの中に何かを呼び覚ました。
翌日、イマニは作業着に着替えて現れた。
「やるなら、今。私が先に立つ」
そう言って、彼女は工事予定地の前に座り込んだ。しかも、一人ではない。商店街の若者たちや、町内の主婦、通っていた高校の生徒らも、次々と集まりだした。
「イマニさん、どうする気ですか」
拓実の問いに、彼女は小さく笑った。
「肉体労働は、言葉よりも先に届く。私の手で、止めてみせる」
手には、昔使っていた運搬作業用の手袋。その掌には、幾度もの労働でできた厚いマメの跡。
役所も外資も、まさか“市民の座り込み”が始まるとは想定していなかった。
夕方。現場前に報道陣が集まりだし、ヘイデンが簡単な通訳を務める。
「She says…これは、たった一本の木の話ではなく、“生きてきた記憶”の話だと」
イマニは何も叫ばず、ただ静かにそこにいた。その姿が、逆に人々の心に響いた。
「イマニさんは、あの木に似ているな」
咲が、ぼそりと漏らした言葉に、海翔が頷いた。
「ぶっちゃけ、今が楽しけりゃいいって思ってたけど……こういう“今”もあるんだな」
深夜。工事車両の到着が見送られ、翌朝には市役所から「開発エリアの一部見直し」の方針が通達された。
拓実は報告書を閉じ、静かに呟いた。
「人が動くのは、声だけじゃない。姿勢と覚悟……そして“根”があるかどうか、だな」
イマニはその夜、そっと大木に手を当てた。
「私はまだ、ここに立つための根を探してる。でも、あなたは教えてくれた。“生き方”を」
その背に、モフモフの白い毛玉――いつの間にか現れた謎の小動物“ふもん”が、くるりと丸くなって寝そべった。
翌朝、市役所の会議室。えまが眉をひそめながら、拓実の手元にある報告資料を覗き込んだ。
「……市長も、この件は穏便に済ませたいようです。外資側は“開発再検討”を条件に、とりあえず着工を延期するって」
「“条件”ねえ」
拓実は書類を見ながら、少しだけ笑った。市役所の用紙に並ぶ、整然とした言葉の裏側には、現場の混乱が隠されていた。
「木一本に振り回されるとは、外資の幹部も想定外だったでしょうね」
咲がそう言いながら、イマニの写真を掲げた地方紙の切り抜きを見せた。
『ひとりの市民が守った木 日向坂のアカギに開発ブレーキ』
――紙面に載るイマニは、硬い表情ながら、確かに誇りを抱いた目をしていた。
午後、仮設カフェで集まった仲間たちは、それぞれ言葉を交わしながら、イマニを労った。
「腰、痛くなかったですか?」
と、海翔が持ってきたクッションをイマニに差し出す。咲は黙って電卓を叩き、「座り込み日数と影響額」の収支報告をまとめていた。
「案外、黒字かもしれませんね。寄付もあったし、カフェの売上も跳ねた」
ヘイデンが笑いながらラテを淹れる。ふもんはカウンターでぬいぐるみのように丸まり、子どもたちが撫でていった。
そんな穏やかな時間の中、拓実は立ち上がった。
「さて、これで“守る木”は決まった。でも――今度は“活かす道”を探す番だ」
その言葉に、えまも頷いた。
「税収やインフラとの折り合いを考えると、次は“共存案”を出さないと。見直しはゴールじゃないですから」
「イマニさん、あなたには新しい役割ができたかもしれません」
薫がそう告げると、イマニは目を丸くした。
「えっ、私? 何の?」
「“アカギ周辺環境整備チーム”の責任者、兼シンボル担当」
「ほぼ祭りの実行委員長と同じじゃねえか!」
海翔が笑いながら突っ込む。だがイマニは、それを聞くと静かに目を伏せ、ぽつりと言った。
「光栄です。私はこの木に、“私がこの街にいてもいい”と許された気がしたから」
言葉の重みが、場を包んだ。
拓実は静かに頷く。
「では、この木を中心に、新しい“日向坂の物語”を作ろう」
仲間たちは、その言葉に頷いた。
外資の影が差す中、一本の木と一人の“力こぶ”が、未来の道を繋いでいく。
そして、ふもんは今日も、アカギの根元で丸くなり、ほんの少し尻尾を揺らしていた――。




