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45歳、静かな観察者は商店街を救う――地域再生コンサルタント拓実の逆転劇  作者: 乾為天女


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第23話_遼平の覚悟

 日向坂印刷所の工房に、静かな緊張が流れていた。

  拓実が訪れると、遼平は黙ったまま旧型の活版印刷機に紙を通していた。部屋の奥ではインクの匂いと金属の擦れる音が空気に溶けている。壁の一角には、某外資リゾート会社から届いた封筒が無造作に置かれていた。

  「……来たんだな、話が」

  遼平は顔を上げずにうなずいた。

  「うちの土地と設備、そっくり買いたいそうだ。『印刷は内製化するので職人も再雇用します』……だと」

  機械の音が止まり、遼平がゆっくりと拓実に向き直る。

  「正直、心が揺れた。今のままじゃ、先細りだって分かってるからな。でも……」

  「でも?」

  「うちは、うちなんだよ。三代続いてやってきた。親父が言ってた。『印刷は手のひらの延長』って。あの人、手が不器用でな。活字を並べるのに倍の時間かかってたけど……一度も機械に頼らなかった。馬鹿みたいに、な」

  拓実は遼平の背後にある棚に目をやった。そこには歴代の商店街チラシ、昔の文房具屋の包装紙、そして初期の地域新聞が丁寧に保管されていた。

  「その馬鹿みたいな積み重ねが、文化になるんだよ」

  拓実は静かに言った。

  「向こうのリゾートがくれるのは“今の価値”。でも、お前の工房が持ってるのは“未来への蓄積”だ。選ぶなら、自分の積んできた重さを信じていい」

  遼平は口を引き結んだまま、棚の一番下から一冊の厚手のファイルを取り出した。

  「これ、父さんの手書きの原稿集だ。小学校の卒業証書も、初恋の手紙も、全部ここで刷ってた。……売れるか、こんなもん」

  その言葉に、拓実の表情が変わる。

  「それだよ」

  「え?」

  「それが、“地元特化の記憶印刷サービス”だ。大手が作れないものを、君は持ってる。結婚式の招待状も、退職記念の表紙も、町の誇りとして紙にしていける。むしろ、これが新しい事業になる」

  遼平は目を見開いた。

  「……あんた、また突拍子もないことを」

  「違う。これは、“逆転の王道”だ。失われた印刷文化を、“記録する価値”に変える。表面じゃなく、中身の重みで勝つんだ」

  遼平の手が、無意識に古い金属活字をつかんでいた。

  「やってみるよ。あんたが言うなら、試してみる。うちの活版が、どこまで通じるか」

  拓実は深く頷き、肩を叩いた。



 数日後、拓実はえまとともに市役所の地域振興課を訪れていた。えまは事前に準備していた資料を手にしていた。

  「この“記録印刷”企画、助成制度の対象になります。条件は、“市民から受注した案件であること”と“制作工程を公開可能であること”」

  「ならば、公開ワークショップ形式にすればいい。親子で名刺を作る体験や、地元小学校の卒業記念アルバムをその場で組版して印刷するイベントとか」

  「それ、良いですね」

  えまの瞳がわずかに輝いた。

  「あと、これ。観光客向けに、“旅の一句”を印刷してその場で渡すって案。短冊サイズの手刷りで、台紙は地元産の和紙。これなら商店街との連携にもなります」

  えまの横から、薫がひょっこり現れた。どうやら別件で市役所に来ていたようだ。

  「おお、それなら私、素材の手配しますよ。和紙職人さん、高校の同級生にいますから」

  「……うちの工房が、観光地になるのか?」

  遼平は戸惑いの色を隠せなかったが、薫の視線は真剣そのものだった。

  「なるわよ。あなたの技術と空気は、既に“文化財”に近いんだから」

  「文化財って……あんたねえ……」

  言いながらも遼平は、どこかうれしそうだった。

  その日の夕方。工房には若者のグループが見学に来ていた。地元の大学の映像サークルで、地域紹介動画の素材として取材をしたいという。

  「へえ、これが鉛の活字? かっこいい! 昭和レトロってやつですね!」

  はしゃぐ若者に、遼平は苦笑しながらも手を止めず、見事な手さばきで印刷の工程を見せていく。

  「こいつらに何がわかる……って思ってたけどさ」

  遼平がぽつりと呟く。

  「俺より真っ直ぐに見てくれてるのかもしれないな。変なプライド、ちょっと邪魔だったかもな……」

  拓実は笑った。

  「お前のその“変なプライド”が、今日を支えてるんだよ。誇れ。そこから始めようぜ」

  そのとき、モフモフした毛玉が床を転がるようにして現れた。

  「もふ〜」

  「わっ! なんだこいつ!」

  「アルトだよ。この商店街の非公認マスコット。なつくと離れなくなるから注意しろよ?」

  拓実が笑いながら言うと、アルトは遼平の足元にすり寄り、そのまま丸くなってしまった。

  「……なんか、お前にも認められた気がしてきたよ」

  遼平がつぶやくと、モフモフは小さく「もふ」と鳴いた。

  外は夕暮れ。赤い西日が工房の窓から差し込む中、遼平の手が再び活字を並べ始めた。

  「さて、明日の分も仕込んどくか。“記憶を刷る”っての、案外悪くないかもしれねえな」

  拓実は黙ってうなずいた。

  その背中には、“継ぐ覚悟”が確かに刻まれていた。

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