第17話_ヘイデンの太鼓
七月中旬、梅雨明け間近。祭りの実行委員会は装飾とステージ企画の議題に沸いていた。
「和太鼓演奏はどうする? 例年通りでええんやろ?」
年配の委員が言うと、海翔が即座に口を挟んだ。
「ちょっと待ってください。それだけじゃ若い子たちが退屈しますよ。インパクトが欲しいっすよ、インパクト!」
「じゃあ、どうするってんだ。爆竹でも鳴らすか?」
その冗談交じりのやり取りに、会議室の空気がふわりと緩んだ。
そのとき、会議の末席に座っていたヘイデンが、ぽつりと口を開いた。
「ワタシ、ひとつ提案、ある」
全員の視線がヘイデンに向く。彼は普段、場を読む側に徹する男だった。だが今、その青い瞳が、妙に輝いていた。
「オーストラリアには“イダキ”という、アボリジニの伝統楽器があるネ。大地の音、という意味。ワタシ、それ、叩ける」
「え? 叩けるって……あの、木をくりぬいた管楽器じゃなかった?」
「うん。でも、最近は打楽器スタイルにアレンジして、太鼓と合わせてパフォーマンスするネ。和太鼓と“イダキ”のセッション、たぶん、すごく面白いと思う」
沈黙が一瞬落ちた後、海翔が目を輝かせた。
「それ、絶対ウケる! 動画映えもしますよ!」
年配の委員は眉をひそめたが、拓実が柔らかく言った。
「和の伝統と、異文化の共演……いいじゃないか。“異国の風”が、この町をちょっとだけ広くする」
それで決まりだった。
ヘイデンは翌日から、地元の和太鼓グループと合同練習に入った。咲が手配した公民館の広間で、太鼓の音と、唸るような“イダキ”の低音が響き渡る。
「ほう……これは、身体の芯にくる音だな」
拓実がそう呟くと、ヘイデンは嬉しそうに笑った。
「音は言葉いらないネ。ただ“伝える”だけ。だからこそ、いいのかも」
練習後、イマニが汗だくで会場の片付けを手伝いながら聞いてきた。
「ねえ、それって……どこで覚えたの? オーストラリアでもプロ?」
「昔、少しネ。人生いろいろ、バリスタだけじゃつまらないから。音、風、土、全部つながってる。祭りも、きっとそうネ」
その言葉に、拓実はふと目を細めた。
――言葉少なでも、伝わるものがある。
そして、祭りの夜が近づいていた。
夏祭り当日の夕暮れ。
ステージの背後に吊された提灯が、オレンジ色に輝き始める頃、観客席はすでに立ち見が出るほど賑わっていた。
裏方では、薫がタイムスケジュールとにらめっこしながら、緊張した声でスタッフに指示を出している。
「次、ヘイデンさんと和太鼓グループ、スタンバイお願いします! イマニ、照明、赤から順に落として! 音響、例のローパス切り替え、ちゃんとできる?」
「バッチリっす!」と海翔がサムズアップするが、手元のケーブルを持つ手が微妙に震えているのを拓実は見逃さなかった。
舞台袖では、ヘイデンがひとり静かに目を閉じていた。
その傍らに、イダキと呼ばれる太く長い管が立てかけられている。
「緊張してるか?」と拓実がそっと声をかけると、ヘイデンは肩をすくめて笑った。
「すこしネ。でも、こういう時の音は、むしろ心の震えを伝えてくれる。音は、“見えない鼓動”ネ」
やがて司会者のマイクが響いた。
「続きましては、特別ステージ! 和太鼓グループ“ひなた鼓”と、異国の風を運ぶバリスタ――ヘイデンさんによる、音の競演です!」
拍手と歓声の中、太鼓が最初の打ち込みを始めた。どん、どん、どん、どん。
その重低音の波に合わせて、ヘイデンがゆっくりとイダキを構える。
――ぶおぉぉぉん……
まるで地の底から這い上がるような、うねる音。耳ではなく、胸に響く。
子どもたちが思わず息を止め、大人たちが顔を見合わせた。
太鼓がテンポを上げ、イダキの音がそれに絡む。まるで会話しているかのようなリズムの応酬。東洋と南洋、鼓動と呼吸、伝統と革新――すべてが舞台の上で融合していった。
そして最後の一打。
太鼓が一斉に打ち鳴らされ、イダキが最後の長い呼吸を吹ききった瞬間、観客席から割れんばかりの拍手と歓声が上がった。
「……すごいわ……」と、誰かが呟く。
ヘイデンは深くお辞儀をし、太鼓グループのメンバーとがっちり握手を交わした。
その様子を見ていた拓実は、ポケットの中でこっそり拳を握った。
――誰かを動かすのに、大声は要らない。“本物の熱”さえあればいい。
その夜、盆踊りが始まるまで、ヘイデンのステージの話題が町じゅうを駆け巡ることになるのだった。




