第16話_咲の冷たい視線
週明け、午前九時。咲は商店街再生プロジェクトの仮会計帳簿とにらめっこしていた。市からの補助金、振興組合からの拠出金、クラウドファンディングの入金予定、支出の見積もり。
見えるはずの数字が、ある一点で曖昧にぼやけている。
――夜店設営費の一部に“仮払費”という名目がある。
「これ、何……?」
小さく呟いた咲は、その支出が誰の決裁かを調べ、すぐにある名前を見つけた。
――“祭り実行委員会・副会長代理 牧村徳明”。
咲は顔色ひとつ変えず、担当事務局の薫へ帳簿を持ってきた。
「この“仮払費”だけど、詳細の明細が添付されてない。しかも、金額が一回で五十万円。何に使ったの?」
薫は一瞬たじろぎながらも、すぐに資料を確認した。
「……あ、これ。牧村さんが“前回の備品業者と再契約しておいた”って言ってたの。たしか……三日前の実行委員会で報告あったと思う」
「それって、誰の承認?」
「……牧村さんと、市側の書類上では“黙認”って形に近いけど……」
咲は、ため息もつかずに呟いた。
「それ、典型的な“個人決裁による不正経理の芽”よ」
その冷静な声に、薫は顔をこわばらせた。
「ちょ、ちょっと待って。牧村さん、昔からこの町に尽くしてくれてる人で……」
「そう。だからこそ、“身内の緩み”は最も早く対処すべき。放置すれば、全体の信用が崩れる」
咲は淡々と書類を閉じ、目を上げた。
「私は“透明性のある予算管理”のために雇われてる。その目的に反することは、誰が相手でも見過ごせない」
――そこに、静かに拓実が現れた。
「咲、その指摘は正しい。だからこそ、これは“攻め”じゃなく“守り”として進めよう」
咲は一度だけ、拓実を見つめた。
そして言った。
「……私はあなたの“顔”を守るつもりはない。守るのは、この町の“数字”だけよ」
拓実は静かにうなずいた。
「だから君をここに呼んだ。次の手は、任せる」
数時間後、咲はえまを伴い、市役所財政課の一角にいた。
「こちらが、備品発注の件で確認したい書類です」
そう言って咲が示したのは、振興組合が“祭り準備費”として請求してきた支出報告書。えまがページをめくると、そこには「業者:鈴木イベント企画」とあり、但し書きに“提灯・パーテーション・ステージ設営器材一式”とだけ記載されていた。
「これ……見積書が添付されてない。しかもこの業者、前回の“ふるさと感謝祭”のときに問題起こしたはず……」
えまの声がかすかに震える。
「再契約には再審査が必要だった。なんで、スルーされたの……?」
咲は、資料の一枚を指で弾いた。
「この“黙認”、放っておくと、誰も責任を取らなくなるわ。だから、“書類”で止める」
「でも、実行委員会の空気を壊すことになるかもしれない。あの場で声を上げるのは――」
「えまさん」
咲が静かに言った。
「あなたの仕事は“行政の信頼”を守ることよ。“空気”は誰かが壊さなきゃ澱むだけ」
えまは息をのんだ。
そして、ゆっくりと目を閉じると、力強く頷いた。
「……分かりました。私が言います。“行政としての立場”で」
その夜、祭り実行委員会の臨時会議が開かれた。
えまは議事録を読み上げる手を止め、声を整える。
「備品契約について、手続き上の不備が確認されました。詳細な見積書が添付されておらず、契約過程に疑義があります」
ざわつく会議室。
副会長代理・牧村の顔色がわずかに変わる。
「いやいや、そんな大ごとじゃ……」
「いいえ、大ごとです。公共資金が動いている以上、“信用”が最優先です。これは警告であり、改善要求です」
咲は静かに資料を掲げた。
「この場で、契約内容の再精査と予算管理フローの再構築を提案します。“不正”ではなく、“手続きのミス”として処理する機会は、今しかありません」
沈黙が流れた。
やがて、牧村がゆっくりと頷いた。
「……悪かった。昔の感覚で、ついな。手続き、やり直そう」
その瞬間、咲の目にはごくわずかな“熱”が宿った。
拓実はその様子を遠くから見て、心の中で静かに呟いた。
――正しいことを言うのは、簡単じゃない。でも、信頼を築くには、それしかない。




