第15話_海翔と夜店の匂い
夏の匂いが、街角にほんのり漂い始めた頃。
仮設テントの一画、移動カフェ“カモメコーヒー”の脇で、海翔が鼻をくすぐるような香辛料の香りを嗅ぎながら、目を輝かせていた。
「拓実さん、この町、タイ料理屋とかないですよね?」
「……ないな」
「だったらこの夜店で、“屋台版パッタイ”とかやりません? うちで仕入れられるスパイス使って、ちょっとだけ“映える系”にして――それこそ若い子、一発で呼べますよ」
拓実は海翔のテンションの高さに苦笑しながらも、頭を振った。
「お前な、“味と匂いと盛り付け”が三拍子揃うのはいい。でも、それは“供給が安定している場合”に限るんだ。たった二日間の夜祭で、そんな勝負しても、リスクがでかすぎる」
「でも、“今しかない勝負”だからこそ、派手な一手がいるんすよ!」
そこへ、えまが書類を持って通りかかり、話に加わる。
「海翔さん、夜店出店の企画案、スプレッドシートで整えていただけませんか? 一括搬入と設営スケジュールに影響出ますので」
海翔がぷいっと顔を背ける。
「そーいう堅苦しいの、苦手なんすよね。“勢いで並べて勝負”じゃダメっすか?」
えまは困ったように眉を寄せる。
「それだと資材調達も許可申請もぐちゃぐちゃになります。“勢い”では町全体は動きませんよ」
「……また“理屈”か。俺みたいな直感型は、どうせ理解されねぇのかもな」
空気が、少しだけ険悪になった。
だが、そこへ拓実が静かに割って入る。
「えま、海翔。“理屈”も“勢い”も、それぞれ間違ってない。ただ、それが“噛み合ってない”だけだ」
二人の視線が、自然と拓実へ向けられた。
「海翔、お前の“勝負勘”は確かだ。去年のライブだって成功した。けど、その“賭け”を、町全体で支えるためには、“仕組み”が要るんだよ。それをえまが担ってる」
「……じゃあ、俺はどうしたらいい?」
「“一点突破”で勝て。えまの枠組みの中で、“最も自由なコーナー”を作るんだ。“自由を守るための枠”を、逆に使え」
海翔は数秒の沈黙ののち、小さく頷いた。
「……なるほど。“制約の中に自由を作る”ってやつですね。やってみますよ、拓実さん」
その翌日。商店街振興組合の倉庫裏に、段ボールと簡易キッチンが並べられた。
海翔は腕まくりをしながら、えまと薫にプレゼンしていた。
「見てください。これ、試作の“夜市風焼きフォー”。ベースはベトナム料理だけど、日本の醤油ベースでアレンジしてます。調理時間は一食三分以内、原価も一杯百円以下!」
えまが一口すすると、鼻に抜ける爽やかな香草の香りと、甘じょっぱいタレが口の中に広がった。
「……美味しい。でもこれ、現場で火を使いますよね? 消防法上、許可は?」
「そこは薫さんに相談済みです。ガスボンベは防火枠つきのエリアで固定設置。火元には消火器、発電機は別系統にしてます」
薫が横からうなずいた。
「消防署にも確認済み。使用条件を満たせば、屋台用の小型火器なら許可が下りるわ」
えまが安堵のため息をついたとき、拓実がやってきた。
「どうやら“ルールの中の自由”がうまく機能しそうだな」
海翔は満面の笑みを浮かべた。
「拓実さんの言葉、効きました。“秩序の上での暴走”なら、やりたい放題できますから!」
えまも、やや呆れたように笑った。
「……あなた、そうやって人に仕事増やしてきたでしょ」
「うっ……図星です」
三人の間に、柔らかな笑いが生まれた。
その後、クラウドファンディングのページにも“注目の夜店:香る異国フード体験”というコンテンツが追加され、支援者からのコメントには「楽しみにしてます!」「うちの子供が興味津々です」など温かな言葉が並び始めた。
夕暮れ、設営リハーサルの片付けを終えた海翔は、手を腰にあてながら言った。
「……祭りって、なんかこう、“ちゃんとするための無茶”が楽しいっすね」
その言葉に、拓実はかすかに目を細めた。
「無茶を通すには、段取りが要る。“段取り”の先に“自由”がある。それを忘れるな」
海翔は照れくさそうに笑って、夜空を見上げた。
どこかで、かすかに線香花火の音がしていた。




