第14話_薫の数字
商店街事務局の一角、蛍光灯の白い光に照らされて、薫は電卓のキーを何度も叩き直していた。
「……やっぱり、赤字になる」
机の上には、予算案、資材見積もり、イベント日程表。そこに並ぶ金額の数々は、どれも現実を容赦なく突きつけてくる。
「テント十張りで約百二十万円。仮設ステージ、音響、照明、保険……スポンサー収入と助成金を差し引いても、どうにも足りないわね」
深夜。静まり返る部屋に、唯一の音はプリンタのかすかな作動音だけ。
そんなとき、ノックもせずに入ってきたのは、コーヒー片手の拓実だった。
「予算表の目が三重になってる。寝てないだろ、薫」
「……もう、慣れてるわよ」
拓実は静かに隣に腰を下ろした。
「で、どれくらい足りない?」
「ざっと見積もって、百五十万ほど。削りたくても、削れるところはもう削ってある」
「地元銀行には?」
「伝手はあるけど、担保なしの短期資金貸出には慎重よ。“まつり”じゃ、実質無担保みたいなものだもの」
そこで、拓実は小さく笑った。
「なら、銀行と“市民”の両方に頼るというのはどうだ?」
「……市民?」
「クラウドファンディングだよ。“今年の夏、町に祭りを取り戻す”ってフレーズは、じつに支援を呼びやすい。思い出を共有したい人間は、理屈より感情で財布を開く」
薫は黙ったまま、拓実の言葉を反芻していた。
「……まさか、あなたが“感情”を言うなんて思わなかった」
「四十五年、生きてるからな。理屈の裏にある“揺れるもの”も、少しは分かる」
そして、拓実は続けた。
「まずは銀行から百万円を一時借入。担保の代わりに、“再建プロジェクトの事業計画書”を出す。返済計画と実績を保証できれば、信頼も資産になる」
薫は少しだけ唇を噛んだ。
「……現場担当の私が、“銀行に借り入れ相談”なんてしていいの?」
「いいか悪いかじゃない。“やるかやらないか”だ」
その言葉は、数字の羅列にはない熱をもって、胸に届いた。
翌朝。薫はスーツに着替え、髪をきっちり結い直していた。向かうのは市内の地方銀行、日向坂信用金庫。
受付嬢に名を告げると、奥の会議室へと通された。ほどなくして現れたのは、薫の旧知の同期、営業課の吉原だった。
「薫か……珍しいな、こんな場で会うなんて」
「ええ、今日はお願いがあって来たの」
薫は深く頭を下げ、手元のファイルを差し出した。そこには、祭りの実行計画、予算案、資金繰りの流れ、収支見込み、そして返済プランまでが明記されていた。
「短期融資百万円。返済は六か月で。返済原資はクラウドファンディングと、商店街売上からの還元分で補填。いけると思ってる」
吉原は書類に目を通しながら、ふっと笑った。
「お前らしいな。昔から数字だけじゃなく、“着地”を見てから話すやつだった。……ただ、担保がない」
薫は頷く。
「でも、“町を変える担保”ならある。それだけの人材と計画が、今は揃ってる」
吉原はしばし沈黙し、そして静かに言った。
「分かった。まずは仮承認で上に回す。ただし、クラファンが動き出すことが前提条件になる。それが現実に動けば、うちも“未来の担保”として扱える」
「ありがとう。クラファンは私が立ち上げる。リターン設計も、こっちで組む」
そうして、銀行を後にした薫はまっすぐ事務局へ戻り、えまと海翔に声をかけた。
「クラウドファンディング、立ち上げるわ。“夏を照らす町の光”ってタイトルで。えま、文案をお願い。海翔、祭りの写真とか、去年の様子のデータは?」
「あるある、うちの弟が撮ったやつが大量にある!」
「なら、まずそれを素材にしてビジュアルを組み立てて。初動が命だから、今週中に公開まで持っていくわ」
えまはうなずきながら、感心したように笑った。
「……薫さん、すごいですね。完全に“攻めの実務”になってる」
薫は表情を崩さず、短く答えた。
「“机の上の数字”じゃ、誰も動かない。“動く数字”を作るのが、今の私の仕事よ」
その声は冷静だったが、その背には“町を背負う覚悟”が灯っていた。




