第13話_遼平の怒り
五月の終わり。梅雨入り前のうす曇りの空の下、日向坂市役所の資料室で、えまは分厚いファイルを手にしていた。
「……今年度の祭りポスター、また外注先は“陽鶴印刷”か……」
手元の契約書には、県外の大手業者名が明記されていた。金額は抑えられているが、印刷品質もありきたりで、何より“地元の名”が一切含まれていない。
その報告を受けた拓実は、すぐに遼平へ連絡を入れた。
そして翌日。商店街の古い印刷所にて――
「……ああ、そういうことか。“またか”って感じだな」
遼平はぽつりと言った。
だがその指先は震えていた。インクの染みついた作業着、長年使い込まれた裁断機、その一つひとつが、彼の“仕事”と“誇り”を物語っている。
「うちは、予算の半分以下でできる。それも、“手を抜かず”にな。でも、市は見向きもしない。“見積書の数字”だけ見て、はいサヨナラ、だ」
拓実は静かに頷いた。
「……予算と効率の名の下に、“手間と技術”が見落とされている。だが、それをただの愚痴で終わらせるには惜しい」
遼平はしばらく黙っていた。
やがて、顔を上げて言った。
「うちのじいちゃんがな、“印刷ってのは魂の複写だ”って言ってた。手が抜けない。だから、怒るんだ。……俺は、“雑に扱われる地元”を見るのが、悔しいんだよ!」
その言葉は、怒号ではなかった。だが、胸をえぐるような“芯の怒り”だった。
「遼平、お前は“怒れる職人”だ。それは貴重な存在だ。だが、怒りだけじゃ、何も変わらない。変えるなら、“数字と仕組み”に乗せて伝えろ」
「……仕組み?」
「“市外業者の依頼率”と“地元経済への波及効果”をデータにする。えまが試算できる。“数字で語る怒り”は、相手を動かす力になる」
遼平は目を伏せたまま、顎を引いた。
しばらくして、ぽつりと口にした。
「……なら、“職人側の言葉”も、データに載せてくれ。“印刷所の魂”が、どれだけこの町に根ざしてるかってな」
拓実は微笑んだ。
「それこそが、“継ぐべき声”だ」
翌週。市役所の一室。えまは手元の資料をめくりながら、眉間にしわを寄せていた。
「これが、過去五年間の祭り関連印刷物の業者内訳です。……うちの市で請け負った案件は、わずか一件のみ。残りはすべて市外、それも県外の大手です」
薫が腕を組みながら、ぽつりと呟いた。
「効率化の名のもとに、“外にお金が流れっぱなし”ってことね」
えまは頷き、次のスライドを表示した。そこには“仮に地元業者に発注していた場合”の試算額が並んでいた。
「これは仮定のシミュレーションですが、印刷費の約六割が市内に回っていたとすれば、資金循環率は明らかに向上していたはずです。これに地元雇用や間接経済波及を加味すれば、実際の価値はさらに上がります」
海翔がぽかんと口を開けた。
「それって、つまり……高くても地元で頼んだ方が、“トータルでは得”ってこと?」
「そう。“得”というより、“町が回る”のよ」
その言葉に、遼平が静かに頷いた。
「……印刷の単価だけで競ってたら、俺たちは潰れる。でも、“ここで作られてること”が、意味を持つなら……それは俺たちの“次の戦い方”になる」
拓実は静かに言った。
「遼平、お前の怒りは“正当”だった。そしてそれは、怒鳴るんじゃなく、数字と仕組みで残すべきなんだ。“一時の感情”じゃなく、“次の誰かの手段”にするために」
えまが机を叩いた。
「この資料、来週の市議会資料として正式提出しましょう。印刷所の見積比較とあわせて、“選ばれるべき理由”を明示します」
遼平の肩が、わずかに揺れた。
「……ありがとな。怒った甲斐があった」
だが、咲が冷静な口調で補足する。
「一つだけ。数字は武器だけど、それは“使い方”次第。変に振り回すと、今度は“地元の既得権”扱いされる。慎重に使うことね」
「……肝に銘じるよ」
その日、“怒り”は“提案”へと変わった。
失われかけた地場産業の誇りが、再び“必要とされる存在”として立ち上がる。
祭りはまだ遠い。
だが、地面の下で根は着実に広がっている。




