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音楽のプレゼント3

 「いや、驚いたよ。姪っ子から誕生日会に招待されたんだけど、そこで自分の同級生から音楽のプレゼントがある、それがちょっと変わっててピアノと三味線と尺八の三重奏がと言うじゃないか。これは面白そうだと思っていたんだけど―――」「そうそう、おにいさんね、本家の何とか流の次期家元なのよ、すごいでしょ」「次期家元って、勝手に決めないでくれよ」「でも三味線とかお箏とか、とっても上手じゃない。お弟子の女の人たちからも人気があるし」「生まれてこの方ずっと邦楽の音に囲まれてきたんだから、自然とね。まあそれはともかく、今日のこの音楽のプレゼントだよ。まさか君が三味線をやっていたなんて、学校ではそんなことおくびにも出さなかったんだから。いつからやっているんだい?」

 それまで蒼ざめていたお姉ちゃんの顔は、今度はうっすらと赤くなった。「それが、実は兄が大学生になって、邦楽部に入るって、それで自分も興味を持っちゃって、いえ、元々興味はあったんだけど、だから……」しどろもどろだ。すると突然お兄ちゃんが、「ごめんごめん、俺の方からこいつに頼んだんだわ。おっと、私その兄です。ほんで邦楽部に入ったはええけど、当時部員の数が、特に三弦パートの人数が少なくてな、上級生の皆さんクラブ存続の危機だと青い顔しとる、それで無理言ってこいつに。けどがまあこいつ思いのほか筋が良くてな、今じゃあクラブでも重宝しとるんだわ」お兄ちゃんは瞬時に今の状況を理解したに違いない。僕は以前から知っていたから直ぐに分かったんだけど。それにしても、僕の時にはあんなに鈍感だったくせに、お姉ちゃんのこととなるとこんなに敏感になるなんて、ちょっと納得いかないね。

 「ああ、そうだったんですか、そんなことが―――でもいいことだよ、それ。君みたいな人が邦楽に興味を持ってくれてたなんて嬉しいね。叔母さんなんて、洋楽の方が断然いいんだって譲らないんだから」「そりゃそうよ。なにしろメジャーでしょう、話題性でも経済面でも洋楽の方が。うちの旦那も三味線始めたんだけど、何故だか知ってる?あんたのせいよ。あんたがお弟子さんたちにちやほやされてるのを見て、もしかしたら自分も、なんて思っちゃったのね。馬鹿よねえ、勘違い男って」「叔母さん、失礼ですよ。邦楽始めるというのはそんな動機からばっかりだ、とでも言っているように聞こえます」「あらあら、そんなこと言ってないわ、誤解よ、誤解。ただいろんな面で洋楽の方がメジャーだって言ってるだけ。でもあなたたち、この子くらいになると別よ。将来継ぐことになる流派ね、お弟子さんの数から経済面から、これ全然別格なの」ちょっと微妙な話になってしまった。まさにそういう理由で入部したお兄ちゃんは流石に口をはさめない。お姉ちゃんも多分、もっと真面目ではあるにしろ、純粋性にはちと欠ける。

 「だからそんなこと何も決まっていないんですから、困ります。僕は彼女と話したいんだから、本当に叔母さんと喋っていると調子が狂ってしまう」「あんたから話を振ってきたんじゃないのよ、それに―――」「はいはい、叔母さんじゃないんですからね、そう、君が邦楽をやってくれているっていうことが僕は本当に嬉しいんだ。君が江戸時代の文化や明治から昭和のことが好きだということは聞いていたけど、音楽関係については全く知らなかったからね。僕がやってることなんて年寄り趣味の類いくらいに思われてるんだろうなと諦めてたんだ。でも実は興味を持っていてくれたんだね、ありがとう。だから今日は君の演奏が楽しみだ。君のお兄さんの大学のクラブはすごくレベルが高いらしいね。噂は聞いている。そんなところで“重宝”されてるなんてすごいじゃないか。これは期待できる。きっと素晴らしい演奏が聴けるだろうね」ほんのり赤らんでいたお姉ちゃんの顔がみるみる白くなっていった。いや、白い、じゃない。去年お兄ちゃんが言っていたような、“幽霊みたい”に蒼ざめていくんだ。

 「ちょっと、おにいさん」あのこが声を上げた。「そんなにプレッシャーかけるなんて、何考えてるのよ!可哀想じゃない。おねえさん、こんなに緊張しちゃってる」「えっ?プレッシャーって、僕はそんなつもりは……」「そんなつもりがなくて言ってるんなら、人の心とか道理ってものがわからないのよ、この朴念仁!」「おいおい、何でまたそんな言葉を知っているんだい。弱ったなあ、ねえ、君、僕は別段、その……」するとそれまで黙っていたお兄ちゃんが口を開いた。「ああ、こいつは確かに緊張しとる。理由はな、お恥ずかしいことだけどが、クラブから借りてきた太棹のせいなんだわ。これ、いつごろからあるのか、もちろん普段は使わんしせいぜい暇な奴が時々遊んどるようなもんで、手入れもされんと棚の奥にほっぽっとかれた代物でな、プロみたいな人間に聞かしていいようなちゃんとした音が出るのか、保証出来んのだわ。まあ、他にないもんだで仕方なく持ってきたんだけどな―――すまんけどちょっと事前に見てもらってええかね。将来の家元に見てもらって、必要なとこ調整してもらえたら有難いで、頼むわ。ほいじゃあ持ってくる。お前も手伝えよ」お兄ちゃんはそう言って、お姉ちゃんを連れて部屋から出て行った。

 その間色男さんはあのこからたっぷりと叱責を受けていた。内容的には、今日の演奏は自分の誕生日のお祝いという気楽なものであったにも関わらず、次期家元と目されるような人間が楽しみだ期待できるなんて言ったら実技試験のようになってしまう、そんな言わずもがなの言葉を口走り相手に過度なプレッシャーをかけるとは実に怪しからん、というようなものだった。でも何となくだけど、あのこもお姉ちゃんの気持ちが分かっているんじゃないだろうか。だから色男さんをあんな風に痛烈にたしなめているんだろう。色男さんは可哀想に、防戦一方だ。とは言えこれは自業自得、十分反省してもらわなければならない。大体あの色男さん、お姉ちゃんの気持ち、全然分かってないよね。聞くところによると三味線の昔の曲って、演奏だけじゃなく同時に唄もうたうらしい。お兄ちゃんが言っていた。そしてその歌詞は主に人の情念や色恋だ、とこれもお兄ちゃんが言っていた。それなら、そんな唄を沢山練習しているんなら、当然人の心にも敏感になるはずだ。ところがあの色男さん、全然分かっていないんだから。それは今のこの二人のやり取りからもよく分かる。あのこはあれこれ工夫しつつ言外の意味を伝えようとしている、ところが色男さんには字面通りの意味しか見えていない。わざとそうしているんじゃない。明らかに大真面目なんだ。スペイン風は顔だけか、大した唐変木だ。いい加減、頭にくるよ。

 とは言うものの、実際のところどうなんだろう。色男さん、実は本当に大真面目な人なのかも知れない。人望はありそうだし腕も確かなようだし、だとすれば日頃から相当努力をしているはずだ。でなきゃ次期家元なんて言われない。今この時期脂の乗り切っている(はずの)現家元がいるのにこんな風に言われるということこそが、あの人の真面目さや努力を物語っている。それに何よりも―――あのお姉ちゃんが惚れた男だ、立派な男に違いない。この僕が惚れたあのこがとってもいい子であるのと同じ様に―――

 「遅くなってまった、悪いのん」扉が開いてお兄ちゃんたちが戻って来た。確かにちょっと時間がかかったようだ。後ろからついて来たお姉ちゃん、随分顔色が良くなっている。ただ目が少し赤い。「これなんだけどな」お兄ちゃんは三味線の本体を色男さんに差し出す。助かった、というような表情で色男さんはそれを受け取った。「ふーん、確かに古いものですけど‥‥‥」そして胴の革張りの面を指で叩いてみて「太棹は専門じゃないけど、悪くはなさそうですね、糸の方も」また絃を軽く弾く。「大丈夫そうだ。まあ、手入れの方は確かにそれなりに、ですが」顔を上げてにっと笑った。「決してガラクタではありませんよ」「ほうか、そりゃ良かった。ただ手入れがちゃんとされておらん、というだけらしいわ。後で三絃パートのたぁけどもに言っとかなかん。ほんだでお前も安心してやりゃぁええ」「うん」お姉ちゃんは素直に頷いた。そして色男さんに向き直り正面から見据えると、「ありがとう」、それから妖艶と言っていいような笑みを浮かべた。色男さんはもとよりあのこまでがあっけにとられているようだった。これは―――どうしたってお兄ちゃんの仕業だ。お兄ちゃんが魔法使いだということは十分知っていたんだけど、こんなすごい魔法まで持っていたとは、恐るべし。

 「さあさあ、その三味線の検分が終わったんならそろそろ始めましょうかねえ」おばさんがパーティーの料理をすでにずらりとテーブルに並べてくれていた。いつもは椅子を使っているみたいだけど、今日はプレゼントの演奏があるから椅子は仕舞われてテーブルは高さを低くして絨毯の上に置かれてある。その周りに皆それぞれ勝手に座り込んだ。それからお祝いの乾杯のためのジュース類が配られ、おばさんはお兄ちゃんに「もう飲めるんでしょ、ビールにする?」なんて聞かれてた。けれど、「ありがと、ねえさん。けどがこの後演奏が控えとるで、遠慮しときますわ。烏龍茶で」「ええっ、本当に!案外真面目なのね」「何もそこまで驚かんでもええですがね。普通ですわ、普通。次期家元に聞いてみやぁせ」色男さんは笑っているばかりで何も言わなかった。

 飲み物が皆に行き渡ると、色男さんが音頭を取ってあのこの名を呼び、そのまま「お誕生日おめでとう、乾杯!」と叫んだ。直後皆で「乾杯!」と唱和しコップを掲げると、今度は我先にとあのこの持つコップにカチリカチリとやって、終わった者から飲んで行く。そうして飲み終えた者から拍手を始める。だから最後に飲むことになったあのこは拍手に包まれながら飲み干すことになった。

 こうして会食が始まった。お喋りな人が多いらしくなかなか騒がしい。お姉ちゃんはあのこの隣で、一緒にけらけらと笑いながら喋っている。それに時折何やら互いにこそこそと耳打ちしながら、そして色男さんとか僕の方をちらちら見ながら、顔を見合わせてくすくす笑っている。一体どんなことを話しているのやら。色男さんはあのこの友達に囲まれて楽しそうだ。あのこの友達なんだから皆女の子で、だからまあ色男さんのところに集まる気持ちも分かるよね。色男さんの方もあのこからさんざん叱られた後だから、心底ほっとしているような風で女の子たちと話をしている。お兄ちゃんの方は、どうやらおばさんから気に入られたようだ。おばさんのお喋りに付き合っている。年上の女の人も好きなお兄ちゃんは、それでも上過ぎるけど、おそらく本当に嫌な顔もせずおばさんとお喋りをしている。そんな感じで楽しく会食会は進んで行った。

 ところで、会食なんだから皆食事しながら話をしているんだけど、その中でもお姉ちゃんとあのこの食欲はなかなかのものだった。どちらかというとお姉ちゃんの食べっぷりにあのこが引きずられているようにも見える。「おねえさん、よく食べるんですねえ。いつもですか?」「そうよ、いつもこんな感じ」「それでそんなにスマートなんて、世の中不公平よ」「あたしは瘦せの大食いだから」これは本当のことだ。でも今日はもっと控えるかと思ってた。「でもそろそろペースダウンして、余力を取っておかなきゃ」「そうなんですか。流石にもうお腹いっぱい?」「食事の後はケーキがあるじゃない。あなたがロウソクを吹き消すんだから」「ケーキなら、あたしは平気ですよ。お腹いっぱいでも入っちゃう」「へえ、大した別腹ね。でもあたしにはそれがないのよ」そうして二人してキャハハと笑った。色男さんとお兄ちゃんはこの二人の会話が耳に入っているのかどうか、周りの人たちとお喋りをしながら口元には実に穏やかな笑みを浮かべていた。

 会食が終わるといよいよケーキの登場だ。しかも二つもある。この家で準備した方にはすでに色とりどりの小さなロウソクが十二本、まだ火はついていない。僕らが持って来た方にも一応十二本のロウソクを付けてもらっていた。それで折角だからと、こちらにもロウソクを立てることにした。あのこは「これじゃあなんだかあたし、二十四になるみたい」なんて言ってたけど。

 カーテンを下ろし暗くしてロウソクに火がともされた。これからハッピーバースデイを皆で歌って、あのこが火を吹いて消すという段になった。ところがここでお兄ちゃんが「お前、伴奏したったらええがね」なんて言う。一人じゃあ絶対無理なんて言ってた僕も何故か、いいよと言って立ち上がりピアノに向かった。皆がわあっと囃し立てたけど、僕は平気だった。何しろ今日の目標が変わったんだから。そう、プレゼントの演奏でお姉ちゃんの三味線の音を色男さんの心に響かせることに変わったんだから。僕は引き立て役だ。(お兄ちゃんは始めっから引き立て役だ)緊張する必要なんてどこにもないんだから。僕はそのままピアノの椅子に腰掛けた。そしていきなり前奏としてハッピーバースデイ、ディア〇〇、ハッピーバースデイ、トゥーユーのところを弾いた。これくらいなら空で弾ける。そして直ぐにハッピーバースデイ、トゥーユーのところに入ってやったら、お兄ちゃんが指揮者みたいにぴったりのタイミングで指示を出し、それで皆一斉に歌い出してくれた。見事に息が合っている、完璧な連携だ。

 歌が終わって拍手の中、あのこが一気に二十四本のロウソクの火を吹き消した。なかなかの肺活量だ。それからやんやの喝采の中手早くケーキが切り分けられ、皆に配られた。二つ分だから一切れあたりが大きい。あのこやお姉ちゃんは待ってましたとばかりにかぶりついていたし、普段あまりお菓子を食べないお兄ちゃんも美味しそうに食べていた。色男さんは周りの女の子たちから少し頂戴とねだられていたけれど“だーめ”と言いながらアカンベェをして見せ彼女らをキーキー言わせていた。案外茶目っ気がある。

 そしてとうとうプレゼントの時間になった。招待を受けた子たちはそれぞれ思い思いのプレゼントを渡していく。手作りのクッキーや洒落たポーチ、猫のキャラクターのぬいぐるみ、中にはかなり高級そうなブラシなんてものまであった。確かにあのこの豊かな髪のことを考えると、櫛でスース―と梳くよりもシャッシャっとブラシをかける方がいいかも知れない。そして最後のプレゼント、勿論僕たちの出番だ。

 

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