第75話 Tower & Bridge
イギリス──ヨーロッパの西端で在りながら嘗ては大英帝国と呼ばれ、この国の言語は世界の言語として未だこの世を牛耳っている。
その国土の殆どがなだらかなる丘陵地。首都ロンドンは22世紀の今日に於いても世界に名立たる都市の一つだ。
ファウナ一行を載せたクルーザーは、フランスから北上し、イギリス南部に位置するそのロンドンを目指し航行している。
ヴァロウズのNo5、アビニシャンはロンドンに潜伏している。その余りに良い加減な情報だけが頼り。同じ1000万都市を恐怖のどん底に叩き落としたNo3天斬程に暴れ回っている訳ではないのだ。
SNSによる『#Jack appeared again』そんな頼りない情報だけをアテに探すより他はない。
しかしそんな事が些事と化す事態が起きた。
イギリス最大を誇る空軍基地『ブライズ・ノートン』にNo1、エルドラ・フィス・スケイルが星の屑による洗礼を浴びせたのだ。
カァッ!!
昼間なのに空が不自然に瞬いた。ロンドンに向かう船上にてファウナ達もその瞬間を見ていた。ブライズ・ノートンはロンドンから約80kmしか離れていない。
輝きの随分後から襲って来る轟音と衝撃波が船体を大きく揺らす。これだけ立派なクルーザーが笹船の如く頼りなくなった。けれどどうにかいなしてくれた。
エルドラはまたしても軍事基地だけを潰す神業をいとも容易くやってのけた。それにしてもファウナ達がイギリスを目指すこのタイミングでの殲滅行為。これは意図したものなのだろうか。
『──ファウナよ! お前達、無事なのか!?』
ファウナの腕時計型携帯端末の通知が鳴り響く。心配を交えた声の主は無論、レヴァーラ・ガン・イルッゾである。
「レヴァーラ! 勿論無事よ。まだ私達上陸すら出来ていないし。それにしてもエルドラの光、何て言うかもう凄かったわ!」
知力頼りのファウナが語彙力を失う返答。端末の向こうで心配するレヴァーラを他所に興奮冷めやらぬといった感じで弾んでいた。
この魔法少女はただ目前の光景にはしゃいでいる訳ではない。シチリアの崖を構築した塵を含めてこれで2回目。特に今回は直に本物を観たのだ。
『ふぅ……お前という奴は。まあ良かろう──No5は殺れそうか?』
「殺る──それはまだ判らないけど、どうにか止めてみせるよ。だから……心配しないで。うんっ、じゃあね」
殺すという言葉に少し眉を顰めてから明るい声で応えるファウナ。
他と比べ抑圧のあるレヴァーラの声を、本当はずっと聴いていたい。耳元から心地良いのだ。だけども間もなく戦場、敢えて短い通話で終えた。
「しっかしやっぱ彼奴やば過ぎんだろ?」
「……ですね。正直No5とは理不尽さの格が違い過ぎます。何処からともなく無差別に殺られるとか酷いですよ」
シャワーで濡れた身体をロクに拭きもせず、バスタオル1枚切りで文句を言うオルティスタ。この場に女しか居ないにしても緩いが過ぎる。
これから相手する予定の敵より、不意に見せつけられた恐怖に対し、お手上げといった意味ではラディアンヌとて同じ気分だ。
「コラッ! そのヤバいのと他のヤバいのが協定組んだら、もうどうしようないから足元から崩そうって頑張ってる処じゃない!」
三女が姉貴分二人にきついお灸を据える。「ヘイヘイ……」とさも面倒くさげにいきなりその場で着替えだすオルティスタを拝んでしまったリイナが真っ赤な顔して自分の目を隠した。
「──ま、まあ……これも折角の機会と割り切り、被害状況を先に見てからロンドンに向かいましょうか?」
「そうね、じゃあお願いしますリイナさん」
碧い大きな瞳を掌で隠してる癖して、その隙間から覗くモノはちゃっかり見ているリイナの提案。──お、おっきい……。リイナの率直な感想。リイナに一目置いたファウナが嫌味のない敬語で応じた。
イギリスの南端を東へグルリ。テムズ川河口から遂にイギリス入りを果たした一行。嘗て海抜0m地帯だらけであった所は、今や海面上昇によりただの雄大なる河の下と化している。
ブライズ・ノートン空軍基地跡はテムズ川をさらに西、早い話が一度ロンドンを通り過ぎる無駄が生じることになる。しかしそれでもファウナは地獄の痕跡をこの目でしかと見届けたかった。
世界に名立たる大都会を敢えてスルーしてゆく一行。この美しい都会にファウナは何の感慨も浮かばないらしい。フランスの小さな港町の方が彼女には余程魅力的だった様だ。
船を降り、少し陸路を北上すると在り得ない光景が一行の目に飛び込んで来た。
「──こ、これは酷い。酷過ぎます」
「やはり映像で見るのとはまるで違うな」
あの輝きが落ちる前、此処は本当に基地で在ったのか?
いやそれ以前に最早何で在ったのかすら判別出来やしない。基地の建物も地面のアスファルトも元々ただの岩であったものさえも、総て平等にただの石ころと化していたのだ。
「ファウナ様……」
「あ、やっぱり気付かれましたか? これって余りにも不自然が過ぎますよね」
同じ驚愕であってもリイナとファウナには違う光景に映っていた。
「大気圏外からありとあらゆる塵を落とす。ですがその割には……」
「そう、圧力に潰された痕跡がまるでないの。これはどう考えたって在り得ない」
不自然に気付いたリイナの言葉を引き継いだファウナの顔がほくそ笑む。
「そ、それに何より摩擦熱に耐え抜き此処まで降り注いだ塵らしき物が何処にも見当たらないのです!」
「──えっ?」
「何……だと!?」
リイナが長い銀髪を揺らしつつ、本当に在り得ないことを言い放つ。これにはただただ気を奪われていたラディアンヌとオルティスタすら流石に気付く。
──そうなのだ。これではただの広大な更地である。そしてこの更地を呼んだ火薬の残り香が何処にもないのだ。
「フフッ……星を墜とせし者。貴方の子供騙し、私には見えてきたわよ」
いよいよ楽しくなってきたファウナである。もし仮にだ。エルドラが自分達を脅す目的で、この行為をしたのであればだ。エルドラとは自ら馬脚を現す子供じみた男だと思った。
「──ファッ!? ファウナ様、こ、これはもしや……!」
ラディアンヌが自分の携帯端末に届いたSNSの通知に震え声を挙げる。ファウナとオルティスタが同時に素早く自分の端末を覗いた。
『#Jack appeared again』
盲目と聞いてる白目が撮影者の方を緩んだ顔で見つめていた。まるで此方が見えるかの如く。それもテムズ川の畔そのもの。迷い様がない場所にて、待ち人と化していた。
「『Tower & Bridge』……塔、タロットで正位置なら『破壊と破滅』。逆位置で『必要とされる破壊』だったかしら」
ファウナ、思わず武者震い。──やっぱりこっちの方が余程怖いわと思いつつ独り強がる。
まさにこの境界を超える魔術師の正位置が問われる。逆位置では決して向こう岸には渡れぬと知った。