第71話 オレンジ色の出港
──元々、何故フォレスタ邸はレヴァーラ達から襲われたのか?
そんな闇だらけの話題であった筈のフォレスタ3姉妹の話。気が付けばヤケ食いとヤケ酒による共演と化していた。
まあ、仲睦まじき上でのお戯れといった処か。ア・ラバ商会の気遣いにより、どうにか予定通りの出航を迎えたファウナ達である。
「──うっわぁぁぁ、なんて美しい夕陽かしら!」
蒼い、何処までも青い筈のビスケー湾上が圧倒的陽光の暖かみに染め上げられる。クルーザーが海を切り裂き立てた白波ですら、オレンジ色の花々と為りて揺れながら散り往く。
背後の去りゆく港町に視線を移すと、少し気の早い灯り達が輝く宝石へ街並みを変え始めている。
クルーザーが海に築いた道の跡。海鳥達が夕まづめで盛んになる魚を馳走になろうと優雅に翼を広げていた。
ファウナは窓に囲まれた息苦しい船内なんかに居られやしない。べと付く潮風なんてお構い無し。海風にセミロングの金髪を晒し、満面の笑みで盛んに燥ぐ。
17年間で最も美しい光景を拝んだ気分に酔いしれている。
これまで地上からしか見られなかった海上。渓流に流されるが如く陸地は小さく成ってゆき、やがてクルーザーが小さな孤島と化す。
海上と同じ高さから観る感動と海の孤島の掛け合わせ。これは小型挺ならではの醍醐味なのだ。
一方、この素晴らしき世界を敬愛なるファウナを連れ添いつつ謳歌出来る権利を得た筈のラディアンヌが夕陽と同じく落胆に沈んでいる。
フィナンシェを初めとするフランス菓子を悪ノリして食べ過ぎた。慣れない船酔いがさらに追打ちを掛ける。当然船内に身を隠しソファの上の人となった。
その点、浴びる程酒を呑んだオルティスタは、海風の当たらぬ窓際、優美なる物腰でビールを飲み直していた。
やがて世界は闇に包まれる。簡易食の割に鮮やかな色彩がテーブルに並んでゆく。
「──え?」
船内の屋根。正確には内張りだけ、ゆっくりと開いてゆく。星々の瞬きと月明かりが夕げを照らす。
足りない分の光量は揺れるランプの炎で補う。世辞にも明るいとは言い難い。
けれどもこれだけで人は存分暮らしてゆけるのだ。質素が故の贅沢さ。大気汚染が進んでいても優しみを与えてくれる此処から見える星々の煌めき。
ザッパーーンッ!
その不意打ちにクルーザーは揺れ、ラディアンヌの顔が増々青ざめてしまう。クルーザーの直上を真横に跳ねたのは、白い鯱と化したチェーン・マニシングだ。驚きの演出らしい。
これには気遣いの達人を仰せつかったア・ラバ商会の女が少し嫌な顔をする。夕食時の語らい位、喧騒が邪魔せぬよう船を停止し、碇すら降ろしたのだ。
「うわぁ……素敵。こんなの語彙力無くしちゃうよ」
白い満月と跳ねるシャチが折り重なる。その光景を潤んだ瞳で見つめるファウナ。此処に来てからずっと彼女の興奮が冷め止まない。
「──そうだっ!」
これから食事だと言うのにファウナは、あの古ぼけた魔導書を広げ、しかも態々持参したインクの小瓶の蓋を開け放つ。前時代的な付けペンにインクを浸す。
それを見たア・ラバ商会の女性が、さも珍しそうにじっと見つめる。
恐らく初めてお目に掛かったのであろう。22世紀にインクで且つ自筆、それだけ稀有と言えるのだ。
「に、日記でも書かれるのでございますか?」
失礼と知りつつもボロボロの魔導書を覗き込まずにはいられない。だけども解読不能の文字らしきものを描いているのが目に止まった。
「せっかく食事を用意してくれたのに悪いな。此奴は今、魔法を書いている最中なんだ」
「ま、魔法!? ですか……これが」
ポンッと肩を叩き謝罪と労いを兼ねた言葉をオルティスタが掛けた。この森の女神候補生は人生初の経験に掻き立てられ、新たな魔法を思いついたらしい。
海を見て森を創造するという行為が、やはり天然のファウナ・デル・フォレスタなのだ。インスピレーションを搔き立てられ夢中になる作詞家の如く、軽やかにペンを走らせる。
「──どれどれ……月の護り手?」
書き終えて満足気なファウナに気付き、先生の様にノートを覗き込むオルティスタ。こんな美女教師が居れば、さぞや男子生徒の注目を搔っ攫うことであろう。
「それ……読めるのですか?」
「嗚呼、それとなくだな。ニュアンスって奴だよ」
ファウナの字が読めることに驚く女性と、『月』と『護り手』がまるで繋がらず首を捻るオルティスタである。守りに特化した術であるのは疑う余地がなさそうだ。
後は暖めただけの料理を堪能する2人。これもア・ラバ商会の気回しが窺えるフレンチがメインだ。
イタリアンと比較すると、乳製品や旨味を重視した上品さが特徴的だ。
酒のツマミを欲するオルティスタ先生には、ちょいと物足りないかも知れない。これは合わせている酒と飲み手側の問題である。正直ピッツァが欲しいと思っている。
一方ファウナは、気品溢れる料理の虜と化している。
何処かのお姫様気取りで上品に振舞い、食器の合わさる音を出さぬよう気を配る。特に海産物豊富なブイヤベースが気に入ったらしい。
哀愁漂うのは、未だ食あたり気味なラディアンヌだ。ファウナ姫との晩餐ですら涙の御預けだなんて無念が過ぎるが身体が動かなかった。
◇◇
思い掛けなく豪勢な晩餐が終わった後、真っ先に潮風を落としたファウナ。金髪から真水が滴るのを丁寧に拭き取る。
──異国情緒と潮風の対決。
良いムードに一時的な軍配が上がったものの、やはりファウナは自分の美を気にする年頃の少女であった。いつもの白いネグリジェ姿でカウンターの椅子に腰を下ろした。
「確かに素晴らしいお風呂だったわ。全面硝子張りだから、まるで露天風呂の様に星空と潮騒を楽しみながら入れたよ」
──総硝子張り。早い話が全て丸見え。周囲が黒だけの海だからこそ普段と真逆な解放感に浸れたのであろう。
そんなファウナをまるで待ち受けていたかの様にヌッと現れる大きな影。乗船者の中で最長の176cm、加えてスリーサイズも圧倒的なオルティスタである。
乗船前から酒を水の如く流し込み続けてる彼女なのだが実に平然としたものだ。彼女に取ってアルコールとは燃料か、はたまた添加剤なのかと錯覚する程だ。
「──ファウナ、舞い上がってる処をスマンが少し夕方の続きがしたい。構わないか?」
酔って目が座ってる訳ではないオルティスタ。通常運転な吊り目でファウナを見ている。別に圧を掛けている訳ではない。
生地の薄い緑のキャミソール一枚きり。下はデニム生地のホットパンツ。後は何も着ていないまま長い脚を艶めかしく組んでいる。見る者によってはファウナのネグリジェより刺激的だろう。
「勿論良いよ。但し私に判ることだけよ、あくまでも」
「無論だ……俺自身これは正解が出ると思ってない。お前の意見が聴きたいんだ」
逆三角形のカクテルグラスをスーッと滑らせるオルティスタ。発泡しているシードルらしい。アルコール度数3%程。姐さんに取ってはジュースも同然。
これをあくまで未成年のファウナに強いるは大人の相手と認めた証。不器用な愛情表現と取れなくもない。
「あの蒼い男の狂戦士だ。アレは俺やお前と同じ自然体によるものか? 或いは造られた意識との融合による覚醒なのか?」
慣れぬ酒に直ぐ反応し頬を赤らめるファウナ。白を基調としたネグリジェから所々透けた瑞々しい肌も合わさり、未成年最上級の色気を魅せる。ソファーベッドで寝落ちしているラディアンヌがまたも憐れだ。
しかしファウナ、酔いすら置き去りにする鋭い答えを返すのだ。さも自信なさげだった割にだ。
「それは勿論後者よオルティスタ。何しろ『閃光』が切欠なのだから……」