第6話 X(未知)なる存在
ファウナ・デル・フォレスタの生家とは、まるで異なる現代的な建造物。いずれフォルテザと呼称される街に建っている白いビル。
吹き抜けの廊下より負け犬を、忌々しい顔で上から眺める人間が独り。
「──我がヴァロウズの末席を2人も送って、まさかこの様とは」
心の底から驚いている。ただの小娘とその護衛で在れば、敗北の要素など見当たらなかった。
確かにあの娘には素養が在りそうであった。だからこそ暗殺者と罠使いという肝煎りの2人を寄越したというのにこの有様である。
「ファウナ・デル・フォレスタ、目覚めたのであればこれからの付き合い方を考えねばならぬ」
苛立ちで思わず爪を噛まずにはいられなかった。よもや自身の研究結果よりも、自分で自然に力をこじ開けた者に敗れるとは。
「あら、良いではありませぬか。寧ろマーダ様のお眼鏡に適った者が現れたのだと思えば」
透明な強化プラスチック越しの集中治療室から甘ったるい女の声が響いて来る。
シルクの様に長く清らかな銀髪と、白衣と司祭服の中間の様な出で立ち。顔を見ずともその口調だけで此方を煽っていると感じ取れる。
その蒼き両眼と口元、間違いなく笑っていると確信出来た。
「その呼び方は止めよ……今の我はレヴァーラというただの踊り子。そうであろう、リディーナよ」
──そう、今の我を創りし老人が与えた偽りの躰はもう捨てた。
今の我は、名をレヴァーラという。長い黒髪を束ね、緑色の目を持っている。自分だろうが他人だろうが性別には全く頓着しないが、女の身体だ。
「リディーナ、貴様が我に与えてくれたこの身体。強いて言えば、口元の不完全のみが気掛かりだ」
これまでの仮初の身体から本物の人間へ、そこで緩んでいるリディーナがやってくれた仕事には感謝している。
だが見た目なんてものは気にしないという態度で在りつつも、余計な造形だけは気掛かりである。
「あらあら、私は良きチャームポイントだと思いますが。生き物とは不完全だからこそ、進化の歩みを止めないのですよ」
「──フンッ、判らぬ。ままならぬモノを寧ろ愛でろと言うのはな」
負傷者の様子から顔を背けず、まるで親か姉貴分の物言いで、受け答えするリディーナである。
如何にも面白くないといった態度で鼻を鳴らすレヴァーラ。確かに口元のホクロが彼女の美しさを際立たせている様に見えなくもない。
リディーナは、嘗てマーダと呼ばれた存在を造った初老の男に付き従うフリをしつつ、その技術力を盗んだ。
そしてさらに発展させ、マーダの意識を他人へ移す科学的な手伝いをした言わば新しき生みの親と言えなくもない存在なのだ。
以後もレヴァーラを献身的に支え、今日に至る。寄ってリディーナには面を上げにくいのだ。
「それはそうと……」
口元のホクロに変な褒められ方を貰ったレヴァーラがふと思い返す。此処からアノニモとジレリノの様な成功例が10人誕生した。
その大方を占めている連中についての話だ。
「この実験の成功者の殆どが、女というのは一体どうした事だ?」
「さあて……私もただの愚鈍なる女。それは神のみぞ知ると言うのが最も外れなき返答ですが。──そうですね、強いて言えば」
──そうなのだ。暗殺者、そして罠使いとて語るまでもなく女である。
他の成功例達も多くを占めるのが女という性別の括りだ。この身体の元の持ち主も然り。
そして己が精鋭を退けた金髪の美少女とて、間違いなく同じことだ。
もっとも13年前、この島で一番巨大な火山を吹き飛ばして離反したあの大馬鹿の様な例外とて存在する。
「女の方が遺伝子……染色体、未知の数が多い優秀たる存在。男なんてどれだけ偉ぶった処で子供すら孕めないのですよ?」
自身の下腹を擦りながら語るリディーナ。流石に子供を産んだ経験値こそないが、女にそれを語られた男共は、立つ瀬をすべからず失うものだ。
「Xか……。まあ確かにどうとでも化ける存在だな。確かに言い当て妙かも知れぬ」
綺麗な顎を触りながらレヴァーラが考えにふける。未だに平均寿命が高いのも女である。
女の方が、あの地獄にも耐え得る身体を持っているのかも知れない。無論、憶測の域を出ないが。
「処でこの出来損ない共、いかが致しましょう。せっかく力が目覚めた貴重な存在。いっそ取り込んでしまわれますか?」
──取り込む。此処で言うそれは、具体的に語れば乗っ取るが正解である。
要は今の身体を捨て、この暗殺者か罠使いを我が物と成すか? それこそがこの冷たい科学者の提案である。
「──いや、確かに貴重な成功例だ。だが影を操るだけと、音を消すのみ。そんな矮小なる能力なぞ要らぬ」
敬愛しているレヴァーラの発言に「まあ……確かにフフッ」と口元へ手を充て、上品に笑い返した。
「もし今後、我に反旗を翻すのであれば、無慈悲に消してくれる」
そう言い残すと後はどうでも良いとばかりにその場から立ち去るレヴァーラであった。カツカツッとヒールが固い廊下を蹴る音を残して……。
◇◇
「──あ、うん? わ、私寝てた?」
ファウナは洞窟の天井より染み出した氷水の如く冷たいものを額に浴びて、その目を覚ました。
慌てて身体を起こしてしまい「痛たた……」と身体を擦る羽目に陥る。
寝ているのが洞窟であれば、自然、背にしているのも同じ洞窟の固い岩肌なのだ。
「おぅ、起きたかファウナ」
「こ、此処は──」
笑顔で自分の目覚めを受け入れてくれた二刀使いのオルティスタである。ファウナがその清き蒼い瞳をキョロキョロさせる。
人間が5人も入れば満席状態になりそうな小さな洞窟であった。レヴァーラ等が居た場所との落差が激し過ぎる。
洞窟の一番奥に1つしかなかったのであろう簡易ベッドが置かれており、武闘家のラディアンヌが寝息を立てていた。
オルティスタは、疲労困憊の身体を圧して見張り役をやっているといった処か。足りない血を補うべく、幾つも簡易食を口へ運んだらしい。
周囲に缶詰を空けた物が数多く転がっていた。
「──ふぁ、ファウナ様?」
「あ、ゴメンッ、ラディアンヌ。起こしちゃった」
如何にも眠そうな緑色の目を擦るラディアンヌ。此方とて生き残れたのが不思議な重傷を負ったばかりだ。起きつつも未だ意識朦朧としているのが窺える。
主人であるファウナ様を差し置いて、自分がベッドで寝ている事実に戸惑っていた。
そんなラディアンヌを見たファウナとオルティスタが思わず笑顔になる。簡易ベッドなんかよりも癒しを与えてくれた。
ひとしきり笑った後、普段の礼儀を忘れるオルティスタが、珍しく膝を揃え、ファウナに向かい深々と頭を下げる。
「お、オルティスタ?」
「ファウナ、そして魔導書と言ったか。今回本当にこの命を拾って貰った。この御恩、生涯を尽くして返させて頂く」
こんな畏まったオルティスタを見た事がないファウナ。今度は彼女が戸惑う番である。
「──そ、そうだっ! い、いや、そうです……。私とて全く同じ想い、これまで以上に御奉公させて頂きます!」
頭がボーッとしていたラディアンヌであったが、同胞の態度に気分を改め、此方も慌てて立ち上がり、頭が地面に届くのではないかと心配になる程、深々と御辞儀した。
「や、止めて二人共……こ、困るよ本当に…」
顔を真っ赤に染めて小さくなるファウナ。声すら小さくなって萎んだ。
これにはラディアンヌも、オルティスタさえも「やっぱり可愛い」と、口を揃えて笑うのであった。