第65話 知り得てしまった闇深い本質(サガ)
深夜2時、静まり返った大浴場。
自分の裸を見られるのを拒むべく、こんな夜更けを敢えて狙い、湯船に若い身体を浮かべていたファウナ。ファウナと同様の理由で少し後から浴室に入ったレヴァーラ。
何れも他の者達と鉢合わせになることを思えば正直ホッとしている。けれども互いの愛が深い故の気恥ずかしさとて当然在るのだ。
レヴァーラが取り合えずシャワーで身体を洗い始める。間仕切りはないので、ファウナは出来得る限りシャワーの流れを見ない様、その蒼い目を背けている。
「──わ、私入ってると落ち着かないよね? さ、先上がろっかな?」
ファウナの声がいつもに増して上擦っている。近頃互いの呼び捨てにもだいぶ慣れたとはいえ、これは余りに勝手が異なる。正直ファウナもつい今しがた湯船に浸かったばかりだ。
……とはいえこの後ゆるりと二人だけの濃密な時間を裸同士で過ごす? それは17の少女の内に有る羞恥の枠を遥かに越える。
「……ま、待っていてはくれまいか? べ、別に何もしやしない」
シャワーの水飛沫音に紛れながらも、どうにか自身の希望を伝えたレヴァーラ。実にたどたどしい台詞。
普段の高飛車とはかけ離れた感じが、かえってファウナの緊張を誘発する。
「は? ──は、は……い」
息切れしてるのではないかと思える程、弱々しいファウナの返答。それきり黙り込み俯き加減で波打つ湯だけに注力し続ける。
湯船の波が自分の脈拍と呼応してるのではないか? 彼女らしくもない愚考が去来する。
キュッ。
シャワーを止めた音。
身体を洗い終えたレヴァーラが此方へ向かって来る。濡れた足裏で床の大理石を踏む度、音が当然大きくなる。幾ら大浴場と言えど、近寄るのにそれ程時間は掛からない。
──や、ヤバいかも……心臓止まりそ。
実際には普段よりやかましく動き、大量の血液を循環している。
しかしこれ以上の負荷を掛けると本当に止まるのでは? そんな在り得ない心配をしている。敬愛する踊り子の前でファウナはただの少女と化す。
直ぐにファウナの真後ろまで近づいたレヴァーラ。「入るぞ」と要らんマウントを取りつつ、トプンと静かに白い足先から入れて往く。
ファウナとレヴァーラ。
以前リディーナが自分とレヴァーラだけのホットラインを勝手に切られる時間が増したという痴話話をした。
その空白の時間──最年少の魔法少女と現人神と化した、倍以上歳の離れてると思しき二人の距離は果たして縮まったのか?
実の処そうでもない。ただ二人きりで他愛ない会話を楽しんでただけである。
寄って互いが一糸纏わずの超接近。これ程刺激的なのは、あの酷く長かったキス以来の出来事なのだ。
「──済まぬファウナよ。独りの処を邪魔しているな」
謝る割に早速愛すべき少女の方へ視界を向けるレヴァーラである。その目がほくそ笑んでいる。そして無造作に晒す大きな胸が新たな波打ち際を拵えた。
「そそそそんなの、き、気にしないでぇ……」
ファウナは未だそっぽを向いたまま裸体像の如く硬直するだけ。
「フフッ……どもりが酷過ぎやしないか? ──しまった、お前に背中を流して貰えば良かった。自分でやるにはどうにも上手くゆかぬからな」
緩み切った顔でパチンと両手を叩き、さも良き事を思い付いたといった仕草だ。
「は、はぁっ!? せ、背中を流すぅ……」
目が据わったラディアンヌと『洗ったげるわ』を有言実行したディーネ。この2人に為された一部始終を思い出したファウナ。
この場合、立場こそ逆だが敬愛なるレヴァーラの背中を──妄想だけでクラクラしてきた。
「フフッ……やはりファウナは愛い奴だな。──冗談はさておき、オルティスタの復帰祝いが遅れた。浮島の際、本当に世話になった」
「そ、そんなの……いよいよ気にしないで良い……よ」
ファウナの肩に自分の首を乗せ耳元で語るレヴァーラ。
話題にはやらしさがまるで無いのに、この密着度合い。気が変になりそうだ。先程洗ったばかりの肌から変な汗を掻きやしないかと狼狽えてしまう。
「いいや気になるのだ。ファウナ・デル・フォレスタの魔導書。オルティスタの炎舞。ラディアンヌの呼吸術……」
レヴァーラはいたって真面目な話を続ける。大人女性の余裕を見せつけて……いるかと思いきや実の処そうでもない。
この成熟した大人女性の身体。されど経験値ほぼゼロという男子が内に潜んでいる。女の魅了を当て付ける処か、扱い自体を知り得ない。
「──加えてマリアンダ・アルケスタとレグラズ・アルブレンの覚醒……。アレもお前達と同じ自然体が成し得る事か?」
前半の質問なら一応の解答が有るファウナであるが、後半に関しては首を横に振るしかないのだ。けれども前半側は誠意を以って応じるべきだと思っている。
「私の目、相手の奥底を勝手に見抜いてしまう。──だから私達の事も少しは話さないと不公平よね」
ファウナは少し長い話になると決めつけ、両脚だけ湯に浸かると腰を湯船の端に下ろした。その穢れを知らない膝の上。レヴァーラがその身を預ける。
ファウナの足元で力を抜いているレヴァーラという女は虚構の存在。
彼女を支配しているのは嘗てサイガン・ロットレンという初老の男が完成させた人工知能に自由意志を与えた者が掌握している。
初期のマーダは22世紀の技術ならばさも当たり前の存在であるアンドロイドへ、その人工意識を載せた存在。
マーダの意識を形創る最高技術の人工知能──。創り手である老人は人工知性とこれを呼称し、ナノマシンに組み込んだ上でマーダ自身の知性と定義づけた。
そして初期のマーダは数多くの人間達に非人道的な実験を重ね続けた。『これは人類の進化の過程だ』と半ば本気、半ば嘯きながらだ。
自分の意志の象徴であるナノマシン。これらそれぞれが自由意志を持っている。それを生きた人間の内へと流し込んだ。
──多数の意志が既に自己を秘めた人間の中を這いずり回ると何が起きるか?
本来、1人の器に2つ以上の意志は同居出来ない。それは当然の帰結と言える。
今こうしてファウナとレヴァーラが独りに溶け合うのではないか? それ程近い間柄ですら侵略出来ぬ壁がすべからず存在するものだ。
マーダの実験とはこの壁を壊した狂気の先に君臨する。
大概の実験は失敗と化した。人とナノマシン達による器の取り合い。何れも大いに傷つき凄まじい副作用で廃人と化すのだ。
されど稀に共存し合い新たな道を模索する結果が生まれた。
俺は…私は…ああなりたい──その強き想いを秘めた連中の結実こそ成功例の10人なのだ。
さらにもう一人、大変稀有な存在が誕生した。これが当時のマーダに取って『救いの手』と言って然るべき存在。今のレヴァーラ・ガン・イルッゾその人である。
マーダはサイガンの弟子に扮したリディーナと団結し、レヴァーラの躰に自分の意志を植え付ける事に成功した。以来リディーナは保護者面してるのである。
ファウナ・デル・フォレスタは、その蒼き瞳の内にこれ程迄の情報を内包しつつ、愛故に受け入れている。『人として御世辞にも褒められたやり方じゃない』これがあの言葉の真意だ。
他人に知られてならぬ秘中の秘というべき話。これを自分の意志と無関係とはいえ、知り得てしまったファウナ・デル・フォレスタ。
だから彼女の方からも自分の身の上話をする義務が生じていると思い込んでいる。『このままでは不公平』とはそうした意味だ。