第59話 連合"国"軍の爪弾き
──黒海。
世界最大を誇るロシア。21世紀初頭何処にも属さないを貫いたウクライナ。アジア圏に西欧が混じるトルコなど、数えていたらキリがない様々な国々と接してきた海。
混沌という言葉が余りに当て嵌まり過ぎてかえって面白味を失い兼ねぬこの黒い海の北方に浮かぶ怪しげな島。文字通り浮いている人工の浮島なのだ。
それを勝手知ったる空挺機から、さも忌々し気な顔でアル・ガ・デラロサが睨んでいる。
連合軍第一特殊空挺部隊の大尉を勤めていたのは少し昔の話。今の彼はフォルテザの緑の踊り子、レヴァーラ・ガン・イルッゾに与するただの一個人。
軍という組織を動かす歯車で在るのを捨てた男だ。それにも拘わらず、人型兵器『グレイアード』毎、空挺機に乗り込み落下作戦を遂行しようという渦中に存在している。
しかもシチリアへ落下した時と同様、マリアンダ・アルケスタとその白い乗機『エル・ガレスタ』すら共に居る。なおこの名前、デラロサが勝手に名付けた。
「──全く、今回俺はただ荷物を受け取りに来ただけだ。それが何故今さら強襲作戦なんぞに従事している?」
「人はそう簡単に変われない──そんな処じゃないですか?」
如何にも面白くなさげ顔をしている傍らで珍しく機嫌良さげなマリーが応じる。マリアンダに取っては、空挺部隊所属のこのいい加減な男の方が余程しっくりくるのであろう。
連合を抜け、当時敵と目されていたレヴァーラ達の指揮下に入った。人は周囲の環境が変われば自ずと引き摺られるもの。さりとて今年32歳、彼の類稀なる経験値が転機を許さなかった。
◇◇
「──えっ、う、嘘だろ?」
「客にこんな嘘つく商売人が居る訳ねえだろ。此処はすっかり奴等の監視下に成っちまった。もう弾薬はおろかコーラ1本アンタ等に売れやしないよ」
ウクライナの南端、黒海に接する菱形上の先端に在る入り組んだ港町。
此処にアル・ガ・デラロサがアテににしている水からミサイルまでお気に召すまま何でもござれな売人がひっそりと商いをしている。
こんな誰が、何処に目を付けても不思議でない場所。それが返って居心地良かった。灯台下暗しとは良く言ったものだ。
何処の国に属しているのか? ありとあらゆる八つ当たりを受けたこんな国の端で戦争屋が商売してるだなんて普通の者は思いも寄らぬ。
だが少し争いをかじった輩は寧ろ在って当然と納得するのだ。この『ア・ラバ商会』を誰よりも贔屓にしていたデラロサである。
これ迄何を注文しても笑顔と共に例外知らずで売ってくれたこの熟女。中々どうして良い女だが、何しろコブ付きな独身の上、デラロサとは一回り歳が離れている。
されどこういう女は実に強か。下手な男より余程頼りになる存在。そんな彼女に門前払いを受けたのだ。これは異常事態であると知れた。
けれどやはり一筋縄で折れてはいない。『もう2度と来んなッ!』と凄んで投げつけた空き缶の中、コソリと文を忍ばせていた。
両者取り合えず喧嘩別れをした体でその場を離れる。デラロサは『塵捨てんのは感心しねぇな……』などと嘯きつつ、シレッと拾うが直ぐに開くヘマなどしない。
一旦その場は立ち去ると決めた。乞食の様なボロ着を纏い、誰も居ない砂浜で堂々火起こしするデラロサである。誰かに見られている前提とした堂々たる立ち振る舞い。
下手に天幕を張ったりしない。今夜の布団は浜に打ち捨てられた段ボールの切れ端。『俺様は世捨て人よ』と言わんばかりの行動である。流石数多の修羅場を潜った戦士だ。
──ただ大きな問題点を1人巻き込んでいる。
この買い出しには大変珍しい連れが存在するのだ。連れは必ずしも女性とは限らない。だが32歳の男が街中で『俺の連れに手を出すな』と凛々しく告げても釣り合う存在。
金髪でエメラルドグリーンの瞳を持つ色気を隠し切れないその女──正体は何とオルティスタである。尤も色気を放つ姿形はしていない。実に草臥れた部屋着の様なその格好。
それにも増して兎に角微塵も覇気が感じられない。実父焔聖との争いの末、そのまま魂すら打ち捨てて来た感が未だ拭えずにいる。
寄って世捨て人を模しているデラロサとも、どうにか釣り合ってしまっていた。此処に至り、ようやくアルが空き缶に詰められた塵を取り出し、火に投じるフリをしながらチラリと読み解く。
「──海上に浮いてるコンクリの小島。アレは連合国軍になり損ねた奴等の掃き溜めだ。あの馬鹿共に家の娘共は例外なく連れて往かれた」
小声で読み終わると二度目はないと焚火に投じた。──連合国軍のなり損ねという文章に不快感を表すアル。
連合国軍──言葉通り国の垣根を超えた軍隊。なれどそれを良しとしない輩も当然存在した。彼等は世界の秩序を守るのでなく、己が土地の安堵を望んだ言わば土着の兵だ。
これまで国を守る代価を糧に生きてた戦争屋達に取って、総てをフラットにする連合国軍とは片腹痛い存在なのだ。正義だけで飯は食えない。彼等の言い分とてあながち間違いではない。
しかしだからと言ってその銃口を民間人へ向けるのは八つ当たりも甚だしい。
「──馬鹿な兵士の慰みものに連れて往かれる。戦場なら取るに足らない出来事だろうに」
お前生きていたのか? 見知らぬ者ならそんな驚きすら在り得るオルティスタの独り言。感情の無い人形が喋ったかの様な違和感。
「──ハァァァ…」
デラロサが思わず溜息を吐く。この場にシケモクなんて在りはしないが、その吐いた息で動いた煙が煙草の様にオルティスタに降り注いだ。それでも嫌な顔一つしないのだ。
暫く続く沈黙。木の爆ぜる音、打ち寄せる波音。他には何も在り得ない。陽を反射して蒼く輝く海も今は暗黒を漂わすのみ。
「──何で…何故俺を此処へ連れて来た?」
オルティスタが閉ざされた声帯から搾り出す様な声を出した。顔は俯いたまま灰色の浜をじっと見ている。
──何だよ、まだやっぱ生きてんじゃねぇか……この姉ちゃん。
声を聞いたアルが顔には見せない笑みを覚える。文句が言える、自分の主張が出来る分、この女はまだ生きている。これまで息をしているだけの健常者を嫌という程見ているのだ。
「──別にぃ、理由なんかねえよ。荷物持ちが欲しかっただけさ、マリーの奴は何やら忙しそうだったし、お前は随分暇してたからな」
「違いない」
アル・ガ・デラロサも不器用な男である。素直な笑顔で『お前と話がしたかった』などと言えない処がある。余計な憎まれ口がそのまま伝達され、緑の瞳が暗さを帯びる。
さりとてオルティスタも実は狡い女を演じている節があるのだ。落ち込んでる美人の同類を放って置けない。そんな不器用な気遣いにそこはかとなく気付いていた。