第56話 Nemesis(仮説)の戯言
──鉄と油と汗、そして血の匂いがする……。
「──うっ、うぅ……」
天斬を無事に倒し、帰路の中途である飛行機の中で目を覚ましたファウナ・デル・フォレスタ。未だ腹に負った傷が痛み、顔を顰める。
旅客機などではない、人を作戦上陸させる為の空挺機。やかましいエンジンの音がファウナを無理矢理叩き起こした。身体を預けているベッドも固い。
密閉した戦闘用の飛行機は鉄と油、そこに人の匂いも混じり、如何ともし難い臭気を放つ。そこへ血の匂いも混じれば猶更だ。まだうら若き17歳の少女に取って本来なら耐え難いものである。
けれどもこの作戦遂行を提案したのがその少女だ。寄って文句を言うつもりなどない。
「ふぁ、ファウナ様ぁぁ──御無事で何よりでございます」
主人の意識回復に安堵の涙を流すラディアンヌである。よりにもよってナイフ格闘術だけのAI兵相手に守り切れなかった不覚。自分を嫌悪する程、落ち込んでいた。
「──ファウナよ、息災何よりであった」
「──れ、レヴァーラ……ウッ!」
胸に深手を負ったレヴァーラ・ガン・イルッゾに覗きこまれた。自分の傷など忘れ、ガバッと身体を起こそうと躍起になるが、やはり痛みでどうにもならない。
加えて自分の腕に人工血液の針が刺さっているので、動きがままならない事にも気付いた。
あのレヴァーラが手酷くやられていたのを思い出すファウナ。先ずそうならない為の盾であるべきだし、仮に傷を負っても治癒するのが自分の役目。
何れも果たせなかった自分に酷く落胆し力無く頭を垂れた。4番目の神聖術士戦同様、満足のゆく結果を残せなかった。
「良いのだファウナ。寧ろお前が張り巡らせた蜘蛛の糸で我も救われたと言っても過言ではない」
「へッ! 随分とまあご都合主義な糸だったぜ。張る時はワイヤーの様に強靭。傷を縫う時には接着剤みたく勝手に塞ぐ。これを扱う俺はまさに蜘蛛の気分だった」
あくまで威厳は高く、けれどファウナの弱った心を案じるレヴァーラ。ジレリノは密閉した飛行機の中でもお構いなしの煙草を吹かしていた。
もっともっと暗い沼の中に堕ちた酷い顔をして両膝を抱えている者が独り。皆と距離を置き、飛行機の一番後部側にその身を寄せている。焔聖に実質的敗北を喫したオルティスタだ。
これ程まで目の輝きを失った彼女、長い付き合いであるラディアンヌでさえ見た事がない。ファウナの両親を守れなかった後悔よりもずっと……ずっと……酷い。
ジレリノの仕掛けで生き長らえたとはいえ、最早剣を振る気力すら完全に失ったのではないか。周りがそんな危惧をする程だ。
絢爛たる剣技を奮う者と同一と思えない憔悴し切ったオルティスタの顔。これでは天斬と等価交換で此方の剣士も持ってゆかれたかの様相だ。
バチンッ!
オルティスタの頭の直上を石礫が不意に弾く。飾り気のない飛行機の内装で跳ね返り床に落ち往く。それでもオルティスタは視線すら動かさない。
「手前いつ迄湿気た顔してやがんだァッ? これじゃ俺がまるで悪者扱いじゃねぇかッ!」
「止すねジレリノ、大人気無いよ」
今の石礫はジレリノがパチンコで撃ったものだ。自分がこの腑抜けた女の代わりに相手を殺してやった。当然、気分の良いものではない。
同じNo持ちのアノニモが割って入り嗜める。この中で最も殺人稼業に勤しんでいた自分の為すべきことじゃない自覚があった。
「──ったく、冗談じゃない。俺は此奴の命を救ったばかりか、親父の墓すら作ってやったんだ。第一あの爺もいけ好かねえ……。アレはお前に引導を渡して貰いに来ただけだ」
「……」
ドカッと背もたれと蒼い髪を揺らすジレリノ。やはり無反応のオルティスタである。耳に言葉が入っているのか疑わしい。
ファウナが寝たきりの姿勢で視線だけを自分のお目付け役に送ってみる。例え付き合いが長いとはいえ、こんな時に掛ける言葉が見つからない。
──増してや血の繋がりとの決別ともなれば、どうにもならない。
機内に設置した21インチ程のモニターが見知った声で喋り始める。
「──リディーナか、そちらもどうにか為った様だな。世辞にも首尾良くとは言えぬが……」
『それはレヴァーラ様とて同じでしょう。お互い予想通りではございませんよね?』
お互い返す刀に苦笑を禁じ得ない。まさに奇跡の結実──結果だけは上々なのだ。
『相手は人間、プログラム通りには往かなくて当然です』
──プログラム……。リディーナのエンジニアらしい何気ない一言にレヴァーラの肩が微動した。
現人神と化したレヴァーラだが実際人の子に非ず。電算機向け処理言語、ファウナをやったAI兵……。これらは彼女に取って他人などと切り離せない存在だ。
「──No2は右腕を欠損したな。アレは死なずにおられるものか?」
思わず話題を変えたレヴァーラ。衛星通信越しのリディーナも失言が在ったと気付き、話を合わせてゆく。欠損という単語が出る辺り、物扱いを敢えて強調している。
『あのディスラドさんですよ? 死ぬ処か新しい腕を生やして、より厄介な存在になることでしょうねぇ……』
モニター越しのリディーナがヤレヤレと両手を挙げて首を振る。こればかりは予想図通りに流れると決めつけていた。
「で、あるか──。そうやも知れんな。もう1人が仕掛ける様子はどうだ?」
レヴァーラが戦神の如き活躍を披露したとはいえ、何処からともなく光の速度で星屑達を落とされては成す術がない。飛行機という檻の中なら猶更だ。
『うーん……そればかりは何とも。Nemesisの気まぐれに祈るより他ないでしょうねぇ』
「判った──通信を切る」
この会話を第三者に傍受される。
そんな些末事などこのレヴァーラ、恐れてはいない。それに星屑を落とす者が本気で在れば、既にこんな飛行機木っ端微塵にされていよう。
──要は一息ついた者達の戯言に過ぎないのだ。
「──大方、4番目との逢引きに夢中といった処であろう。このレヴァーラですらアヤツに取っては下々であるのだからな」
ふぅ……と溜息をついて座席にその身を預けるレヴァーラ。やがて安らか寝息と共に夢の世界へ堕ちていった。
かくして本作戦の目的は達せられた。
しかし未だに成し得ていない方が大なり。なれどこの刻ばかりは、天運に赤子の如く感謝するのだ。