第52話 愛娘の胸元に想う天へ誘う階段
──樺太。
北方領土の北に位置する島。嘗て日いずる国の領土であり、日本人の血統を残すも、ロシア領へ返還された歪なる大地。
この地を居としたウィルタ族。──シャーマニズム、巫術や祈祷師を尊ぶ文化を築いた彼等。
さらに21世紀以降、本国であるロシアが数多の戦乱を呼び、その上地球規模での環境問題に対処するので手一杯と化す。そんな最中、このどっちつかずの樺太を置き去りにするのを良しとした。
冬季こそ深い雪にとざれるが豊かな森と地下資源を抱き、決して先進国の様な溢れ過ぎる豊かこそ無きにせよ、それなりの自活は出来た。
それが故に世間の目が届かぬ場所と為り得る中で、特別な能力を持つ者達が現れたとしても、歴史の教科書には載らぬ些末さで片付けられた。
炎舞。
それは元々この寒さを耐え凌ぐ為に生まれた営みに使った能力。己の分子の回転速度を瞬時ながら極限まで引き上げ自然の熱を取り込む術。
やがてそれを剣へと流し、祈祷師が神へ奉納する舞に転嫁したのだ。
寄ってアノニモが、オルティスタとその師匠、『焔聖』との争いで感じたものは概ね正しい。オルティスタの父であり、ウィルタ族の血を色濃く受け継ぐ彼の剣。それは人殺しの道具ではなかった。
幼きオルティスタは、母より20歳以上、歳の離れた父が繰り出す小さな火の燕を大いに喜び、いつか自分も……と勝手に夢見た。
しかし焔聖、自ら勧めてそれを教えはしなかった。哀しきかな剣とは所詮、殺しの道具。愛しき我が愛娘が、そちらの道を歩むのを望む親などいやしない。増してや戦国の世でもない時世に於いて。
だがこの娘は卓越した才能を秘めていた。父が振るう舞を見様見真似で勝手に吸収してしまったのである。
奇しくも己が娘の才能を開花させてしまった焔聖。オルティスタ12歳の折、渡したのが矛先だけ尖った今の歪な剣なのだ。
それはあくまで殺しに手を染めて欲しくないと願いを込めた結末だった。
◇◇
「「──『火焔』!」」
想い出の紅い燕を相手へ向けて同時に描き繰り出す両者。ゆるりと舞うその後ろを互いにつけつつ間合いを詰めて往く。両者の燕が交差した時、2人が真剣を交える合図となろう。
「──『輪燃』!」
「ほぅ……あくまでそちらの剣で応えるのじゃな?」
オルティスタがまたも油を染み込ませた三日月刀に点火して対峙する。けれどさっきの狼狽えた剣ではなかろう。愛娘の落ち着いた顔を見てすぐさま理解した。
「これが俺の覚悟の形だっ!」
三日月刀なら炎舞でなくとも相手を斬れる。しかし焔聖の得物、日本刀の間合いには到底及ばない。寄って此方が相手の間合いに飛び込むが必然。
左手中段の構えのまま、脚だけ踏み込み自分の間合いとしたオルティスタ。焔聖は剣の根元で斬り結びを余儀なくされた。
「成程、洋刀にしては中々の剣だ。これで一体何人送った?」
「そんなもの、一々数えていられるものかっ! 貴方は病に伏した母を見殺しにしたっ! だから俺はこうするより仕方なかったっ!」
焔聖、剣その物ではなく、愛弟子の技を称えたいのが本音。なれど父親というものは我が子の成長を素直に表現するのが苦手だ。抜かれる自分を認めたくない小賢しき意地が邪魔をする。
このたった一太刀だけでこの娘は当時を回想出来る程、その時の出来事を疎ましく思う。
14の頃、まだ30代半ばの母が不治の病に侵されたことを知る。ウィルタ族、医師と言えば祈祷師を指す。夫である焔聖は郷に従い、祈祷と神頼みのみに頼るだけであった。
この時代錯誤のやり方に激怒したのが少女であったオルティスタである。正直言って、仮に最新医療に頼れるツテが当時あったとしても、母の命が救えたか怪しいものだ。
しかも悪い事は得てして続くものだ。
この父親にはもっと若き日に成した正妻が日本に居る事をこのタイミングで知ってしまった。これだけ理由が揃えば焔聖に対する嫌悪が憎悪に格上げされても止む無きというもの。
こうして焔聖と親の縁も師弟の契りも切り、独りの剣士オルティスタが生誕した。剣に頼る者が稼ぐには戦場へ立たねばならぬ。
それから約4年もの間、世界中の戦地を傭兵として巡り、金の為なら昨日の正義が悪へと姿を変える程に戦いにその身を費やす。当然すべからず母への仕送りと変えた。
しかしその甲斐実らず、母逝去の報を父とは違う者から届いた文で知った。その傍らに焔聖の姿がなかったことも。
「………」
剣よりも刺さる娘の糾弾。何も返せる言葉を知らぬ焔聖である。本当は彼とて言い分の一つや二つ、絶対あるに違いない。けれどこの愛娘の言葉全てが正義と為り得る。
何を言った処で流れる水に物を訊ねる程、無駄口と化すことを知っているのだ。──第一、そんな終わった事は今となってはどうでも良い。
娘の本気の剣技に本気で応える。下手に言葉を交わすより、余程誠実なやり方だと身勝手にも思い込んでいた。
「──『白焔』ぇぇっ!!」
「クッ!? け、剣が……と、溶けるっ!?」
焔聖がこの戦いで初めて吐いた本気の声。喉を絞って出された嗄れ声が痛々しい。
牙炎の黄色を悠々超える白き炎と揺れる刃。オルティスタの輪燃の紅き炎を白い炎で打ち消してゆく。
──炎舞・白焔。未だオルティスタが到達出来ない炎の有り様だ。尤もそれを繰り出している焔聖とて尋常ならざる顰め面だ。
炎舞の中でも特に術者の負担が大きいこの技。使えば己の寿命を縮めるという言い伝えがある。
「か、勝てない!? わ、私じゃこの人には勝てないって言うの? 母さんッ!」
「ずあぁぁぁぁぁぁっ!!」
か弱い女の様な台詞で絶望するオルティスタ。果たして焔聖は本気で娘を殺めようというのか?
しかし圧してる筈の焔聖の顔に見てる傍から皺の深みが増してゆき、68歳とは思えぬ姿へ老化が一挙に進んだ。
そんな絶望の最中、音も殺意も抱かない数発の銃弾が焔聖の喉元を貫いたのである。
──ば、馬鹿な? 音がしないのは知っておった。だが殺意すら感じなかったとはどういう理屈か?
「と、父…さ……ん?」
驚愕と共に力を失い後ろへ倒れ往く焔聖の背中。変わり果てた父の姿を追う一方で、この仕掛けを瞬時に見破り、銃撃の元へ怒りの流し目を送るオルティスタ。
「──嗚呼、楽な仕事だ。だが、楽しくは……ない」
オルティスタの目端に映るは、実に白けた顔をしたNo10の蒼い髪と吹かした煙草。その手に銃は握っていない。けれども指が不自然な動きをしていた。
『悪く思わんでくれ。俺はこの戦場にいるお前さん達とあの小生意気な魔法使いが張った蜘蛛の糸で結ばれている。ピンと張ればこんな感じで糸電話にもなる』
「──成程、いやお陰で命拾いした。お前は常に俯瞰で俺達を監視し、いざとなったら糸の結界で強制的に決着をつける。ファウナとあの踊り子様が考えそうな魂胆だ」
実の父親と命の奪い合いをしていたと思えぬ程、切り替えが早いオルティスタの発言。「こっちはもう良い……」と捨て台詞を吐く。スッとジレリノの気配が失せた。
「父さんッ!!」
再び切り替え、ただの娘へ還ると憐れな父をその腕に抱く。『もう良い』というのは『もう邪魔をしないでくれ』という隠語みたいなものであった。
「──み、見せてもろうたお前の剣を……ゴボッ!」
「もう良い喋るなぁっ!」
喉を撃たれた焔聖である。その声、蚊が鳴く程に小さい。末期の言葉で吐血する。その酷い見た目、80? いやとうに100すら越えたか? オルティスタの大きな胸に抱かれ微かに震えていた。
──嗚呼……良い。実に良いものだ。もう25か? 成長した娘に抱かれて死ぬるというのは。
これ程までに朽ち果てようとも、やはり焔聖は愚かな男だ。最期の最後で己が娘に女を重ねた。
──これはこれは……賽の河原を渡る以前に天へと昇った心地良さ……だ。
愛娘に抱かれ焔聖は人生の幕を閉じた。その顔は緩く、幸せに満ち足りていた。