第3話 目覚める女神
どうにかファウナを敵の攻撃から守ったオルティスタ。弱い者から最初に挫く、何とも非道な悪党のやり口だと軽蔑の眼差しを送る。
「ファウナ! 死にたくなければ俺と共に壁際へ身を寄せるんだっ!」
流石のオルティスタもファウナを担いだままでは戦えなどしない。半ば強引にファウナを壁際へ押し付ける。そして自らも同じ影の中に立つ。
これならファウナを討つ前に自分を相手取るしかない。無論、勝負に絶対はないが。
「確かに少し舐め過ぎていた。ならば強き者から先に頂くね」
トプンッ。
水溜まりに石ころでも落ちたような音と共に暗殺者が沈み消えゆく。相手の妙な口調がやけに怒りを助長した。
──問題ない、敵の得物は此方より短い刃物だ。向こうから仕掛けるには、足元の影から出現するより他は無い筈。落ち着けオルティスタ。
自分は最善の策を取っている。冷静である事を自らに確認するオルティスタ。だが影は足元だけに出来るとは限らない。
「ウグッ!? 上からだとぉ!」
「……甘いね」
アノニモの独特なイントネーションが指摘する。右肩を深々とダガーに斬り裂かれるオルティスタ。
月明りが薄っすらと天井に創りし影から黒ずくめの女は現れた。そのまま重力に身を任せ、落ちながらオルティスタを斬ったのだ。
アノニモの刃に御館様夫婦と自身の血が色濃く混ざる。これでは利き腕が使えない。三日月刀を左手に持ち替える。手当などしているゆとりは皆無だ。
斬った相手は、足元の影に再び沈む。迂闊だったと瞬時に思い知らされたオルティスタ。
この出血量、気を抜いたら最後。恐らく倒れてしまうだろう。既に勝ち筋が見えない。
──ファウナだけでも絶対に守り抜くっ!
さらに自分の背中をファウナへ寄せるオルティスタ。敗色濃厚……此処は身を呈してでもこの女だけは死なせやしない。
「お、オルティスタ? い、嫌だ……」
両親の次は寝食を共にした親友さえも消されるのか? 躰の震えが止まらないファウナ。次第に哀しみや恐怖よりも、怒りの心が勝り始める。
「アァァァッ!!」
「──これで終わたね」
今度は或る意味堂々とオルティスタ当人の影から姿を現したアノニモである。
先程の落ちる攻撃に負けない位の勢いで飛び出すと、三日月刀を握るオルティスタの手の甲に狙いを定めた。
得物の長さよりも取り回しの優位を活かしたアノニモの勝利である。カランッと悲しい音を立て三日月刀が床に落ちた。
──な、何も出来なかった!
その上、この暗殺者は敢えて自分にトドメを刺していない。恐らく自分の主人が先に殺られるのを黙って見ているが良い。そういう魂胆であるに違いない。
自分が死する哀しみより圧倒的に勝る屈辱感。温かいモノが頬を伝うのを止められない。自分の涙腺なぞ、とうに機能を失っていると思っていた。
事此処に至れば出来る抵抗はただ一つ。自分の作る血溜まりで足元の影を大いに穢してくれよう。
もし敵が次も態々影から出てくる臆病者なら血みどろと化し、僅かな隙を生み出すかも知れない。
背の高いオルティスタから溢れ出る雪辱の涙が伝い、ファウナの頬すら濡らし始めた。
「……赦せない、許しはしない。コレは私の物、先にくたばるとかふざけるな」
「──ふぁ……ウナ?」
一方ファウナの涙はとうに枯れていた。オルティスタの悔しさが涙と共にファウナの魂へ滲んだかの様な怒りの震え声。
怒りに我を忘れた。判らなくもないが『私の物』とか『くたばる』なんて言葉を、育ちの良いファウナが吐くとは信じ難いオルティスタである。
「アンタ、そんなに隠れんぼが大好きならコレをくれてやる! 『森の刃』!」
館の中だというのに不意に嵐が吹き荒れる。加えて無数の木の葉が渦巻き、影という影全てに刃物の如く突き刺さった。
「ウグッ!?」
これは堪らず影から飛び出した暗殺者のアノニモである。刺さり具合こそ浅そうだが、全身の至る所へ刃ではなく葉が刺さっていた。
敵に初めて焦りと怪我を同時に負わせた瞬間である。それも成し遂げたのは、護衛のオルティスタでなくファウナの方だ。
これにはやられた方も、やれなかった方も驚きを隠せない。
──森の刃! 確かファウナが書いてるマドウショとやらにそんな文字があった気がする!
オルティスタの驚愕には、そんな意味合いも混じっていた。
そしてアノニモの方は今さらながら後悔している。やはり先に殺るべきは小娘だった。間違いなく此奴が殺しの依頼を受けた標的であったのだと知る。
◇◇
一方館の外を一任され、何故か射撃音のしない銃器使いを相手に戦っている武闘家のラディアンヌ。
御丁寧にも声で居場所を知らせてくれた相手の元へ拳を浴びせようとした瞬間だった。
「ウッ!? こ、これは一体何ぃ!?」
「嗚呼、こうもまあ……アッサリと」
何もなかった筈であった。けれど首元へ糸の様なものが触れたのを感じたラディアンヌ。それも蜘蛛の糸の様にアッサリ千切れるものではない。
もし勢いそのままに飛び込んでいたなら、自分の首が転がっていたことだろう。
然もだ。
敵の予想地点とは全く異なる斜線軸から光線が、自分へ向かって放たれたではないか。
急ぎラディアンヌは体勢を転換し、その光線を左掌で受けるという苦肉の守備をやってのけた。
「ほうら、やっぱり簡単な仕事だねぇ……。奴さんは向こうから来てくれる上、勝手に自滅してくれんだよ」
「痛ッ! アアアッ!!」
掌底で銃撃を受ける。本来なら攻撃に使う技を防御に転用した処で、割に合う道理がない。それでも身体に直撃を受けるよりはマシと判断したまでの事。
焼け爛れ、使い物にならなくなった左腕を押さえつつ、尋常ならざる痛みに顔を顰めるラディアンヌである。
一方敵が余裕の面で物陰から姿を現す。
ポニーテールの青い髪。身体は子供の様に小さいが大人であるのか煙草を吹かしている。両肩こそ剥き出しだが防弾と思しきベストは森に溶け込む緑色。至る所に武器を所持している様だ。
右腕に入った入れ墨は、恐らく何処かの軍隊を示すものであろう。戦場からそのままやって来た、そんな出で立ちであった。
「その出血量じゃァもう駄目だろうけど、このジレリノさんが張った二段構えの罠にハマって生きているたァ大したもんだ。いや、正直驚いてるよ」
痛み苦しむラディアンヌの目前で相手を讃えるジレリノと名乗った傭兵。
「見えねえかも知れねえが、お前さんの首に掛かったのは黒いピアノ線。それで首を切るか、駄目でも線の先……ホレッ、光線銃の引き金に繋がってるって寸法よ」
名前はおろか、魔法の種すら明かすジレリノ。まだラディアンヌの腕をやったに過ぎないのだが負ける気など皆無。既に勝者の余裕を魅せつけた。
戦場という全方位から不条理に命を奪われる仕事に比べたら、彼女が幾度も繰り返す程『こんな簡単な仕事』に帰結するのだ。