第42話 愛など知らぬ筈の出来損ない
ファウナ・デル・フォレスタ。
我は何故こんなにもあの娘に心惹かれるのであろう……。
初めのうちは成長を知らぬ自分に取って興味の矛先が向いた。ただそれだけのことだと思った。
だがあの娘に心を見透かされ、それでもなお我に、無償を贈ってくるので、此方とて打算だけで図れなくなった。
彼女の手を握り、共に食事を取り、その躰を抱いて……気が付けば初めてすら奪っていた。
──本来なら在り得ん事だ。我は他人を無償で愛することなど決して出来ぬ。何故なら我は人の子ではない。寄って親の愛を知らんのだ。なのにどうかしてると思わざるを得ない。
もっとも愛という言葉の知識は存分に在る。なれどそれだけで他人を愛しいと想う気持ちが芽生えるものか?
──もしやこの身体が成すことなのか? ……判らない。判らない? 自身の気持ちが判らぬとは?
我の元凶を創りし爺よ。今どんな顔をして眠っているのだ? こうなるのも貴様の計算の内なのか?
──冗談ではない、総じて貴様の計算づくになると思うな。実に不愉快ではないか。
「──レヴァーラ? どうしたの大丈夫? 準備は良い?」
そのファウナから心配顔で声を掛けられた。此処はもう戦場の上。気を抜いている場合ではない。
「無論だ、何時でも征けるぞファウナ」
もう全ての準備は整っている。後は此処からイタリアの大きさに近しいと聞く地表へ飛び込むだけである。
──やけに湿り気のある空だな此処は。
土地の面積こそイタリア本国に似ているこの地。しかし異様な湿度の高さが踊り子様を不快にさせた。
◇◇
「──フィルニア、やっぱり此処に居たのね」
No8水使いのディーネが手を振る白いビルの屋上。差し当たって特別なものなど在りはしない。
「此処の風が一番落ち着く、ただそれだけの事だ」
紅い髪を風に晒してNo7、風使いのフィルニアが真顔で応じる。所詮はビル風という何の趣きもないものだが、それでも無いより幾分マシだ。
「全く……屋上が好きだなんて、友達の少ない学生みたいなもんよ」
「そう……なのか? 私には良く判らん」
黒髪と髪飾りを押さえながら6つ歳上のフィルニアを茶化す。ディーネに取っての屋上とは母校のソレを指している。一方フィルニアの母国だと、そんな背の高い学校など在りはしなかった。
「レヴァーラ、何か変わった?」
屋上のフェンスを握り、身体を仰け反りながらディーネが本題を口にした。当人の前でこそ敬称を付けるが今は不在。だからレヴァーラで良い。
「さてどうだろうな。私の知り得る彼女は、そうも簡単に心揺らぐ者ではない。大体、人という生き物の根本とはそう易々と変わらぬものだ」
フェンス越しに見える蒼き海から目を逸らさずにフィルニアが応えた。「そうね、そうかも……」と気のない返事を寄越すディーネ。
他人の想いなんて判る筈もない。それは彼女が操る水の様に虚ろなものだと知っている。此処の風は潮が入り混じっている。
それを『髪がべたつく』と言ってディーネの様に嫌がるか。それとも『世界へ繋がる海は良い』とフィルニアの様に想いを馳せるか。風一つ取っただけでも人の想いはこうも違う。
「つまり……元々持っていたものが目覚めたとでも?」
ディーネが『持ってたもの』と言いつつ自らの胸を押さえる。
「まあ、そう考察するのが妥当……と言った処かな?」
フィルニアとて実は適当なものだ。海を見ながらニヤリッと笑う。レヴァーラの心の内を知る者は当人だけだと投げているのだ。
その当人ですら悩んでいるとは露知らずなのだが。
「ようっ! 美しいお嬢ちゃん達っ! 出撃の準備は出来てるのかなっ?」
反重力装置を備え付けたアル・ガ・デラロサの愛機、グレイアードが地上へ降り立ち、機体の拡声器で2人を煽る。その勢いで埃が舞い散る。
べたつく海風に埃が足されディーネの髪質を余計に悪くした。そしてフィルニアの短い腰布が跳ね上がった。
「無粋っ!」
「だなっ……」
あからさまに頬を膨らませ怒りを露わにするディーネと、気分こそ悪くともそれ位では表に出ないフィルニアであった。
例えNoが隣の席だとは言え、風と水……いや水と油的なこの両者。こうもウマが合うのも中々面白きものだ。
「出撃の準備ィ!?」
「そんなものはとうに終わっている。旅に出る女の様に準備が必要なのは、寧ろお前達ではないのか?」
全く以って愚問なのだ。
敵の身体の中に潜む水分を操るディーネと、大気さえ在れば何処にでも風を呼べるフィルニアの2人。
しかもこの間の戦闘に於いて無い雨雲を呼び寄せたNo7と、相手の体内に生じる水分ではないものを沸騰させたNo8だ。2人の武器はそこら中に存在すると言っても過言でない。
それと比較すれば機体整備にパイロットスーツなど、準備が多岐に渡るのは間違いなくデラロサやアルケスタに違いない。
「──ま、強いて言うならタクシーの代わりが欲しい位かしら」
「委細承知ッ!!」
如何にも面倒くさそうにディーネが手櫛で髪をどうにか整えながら応じた。耳鳴りがする程、大声の日本語で返礼するデラロサ。
耳を塞いで跳び上がってしまったフィルニアとディーネ。単眼で顔とは言い難いグレイアードの頭をキッと睨んだ。
◇◇
「──No5は得体も知れず、しかも積極的に動きそうもないと私は考えます。寄って先ず倒すか鹵獲すべきは日本に居るNo3でしょう」
またしても約2週間前の話だ。
ファウナが会議室代わりとして食堂に皆を呼び出し、気軽にそんなことを言い出した。
「天斬か……。確かに組み易い相手ではある。しかし奴の剣技、言う程容易くはないぞ」
ファウナの提案に理があることを認めつつも、事は慎重を期すべしという態度を決して崩さぬレヴァーラである。
彼女は天斬の優位性が光を収束した剣だけでないことを重々理解している。剣技を極めているのに肝心の得物が自分に追い付かず絶望に瀕していた男だ。
その絶望の中からあの剣は誕生した。要は特注の科学兵器ではなく、天斬の願いが形を成したのがあの剣なのだ。
「それは充分判っているつもりよレヴァーラ。でも東国に絶望を与えているあの男を、踊り子様が先陣切って倒せば素晴らしいアピールになるわ」
会議と称し、全員を相手にする際には丁寧な口調であったファウナが、個であるレヴァーラ相手だと途端に言葉が油断を帯びる。
けれども今の発言、もうそんな事は些事なのだ。
ファウナは『ただの踊り子様が先陣を切れ』と突拍子もないことをさも当然と言い出したのだ。
これまでずっとシチリアにへばり付いてきた者に『世界を背負う覚悟を見せろ』と何気ない友達感覚で言ってのけたのだ。これには誰もがざわつき始めた。
「──ファウナよ。我に人身御供と化せ。その理屈は理解出来る。だが知っての通り、我はただの踊り子。天斬との差をどう埋めろ──!?」
──判った……この娘の企みが、まるで空から落ちて憑依されたかと思える程に。
「リディーナ、即刻我専用の戦闘服とやらを用意するのだ。もっともお前のアレの様に煩くない奴を所望する」
綺麗な翠眼を向けつつも言葉に載せた想いは気楽。何てことない雑用を依頼した体のレヴァーラなのだ。
「──えっ、い、良いけど……本当に貴女自らやる気なの?」
「我は冗談など決して言わぬ。──そうだな黒を基調に機動性重視だ。全て避ければ良いだけの事。それに──お前が私の背中を守ってくれるのだろ? フフッ……」
驚くリディーナを他所に自分が着装した姿を想像し「悪くない」と笑みを浮かべる。さらに発案者の顔を覗く。
実に頼もし気で生意気面した魔法少女が零した笑みを返して来た。