第38話 推し量れない力の形
パルメラ・ジオ・アリスタの襲撃と同じ日の深夜。
銀と中途半端に染めた迷彩色の短髪を揺らしながら、アル・ガ・デラロサがレヴァーラの自室でたった独り向かい合っている。
普段ならレヴァーラの隣には秘書の様にリディーナが寄り添うのだが、今だけは退室を命じられ此処には居ない。
アル・ガ・デラロサが『2人だけで話がしたい』と嘆願したのだ。
「──で、2人だけで話とは何だ? まさかあの愛犬を差し置いて夜這いに来た訳ではあるまい?」
如何にも高級そうな椅子に身体を沈ませ、とんでもない冗談を先制したレヴァーラである。ファウナやマリアンダに聞かれでもしたら冗談で済まされなくなる。
ダンッ!
「そいつは面白ぇ提案だな。いや確かに俺様、大人の女性と遊ぶのは大好きだ。──だが今夜は違う。アンタにだって俺の気分、判ってんだろぉ?」
デラロサが机を平手で強かに叩きレヴァーラに詰め寄る。その顔こそ笑っちゃいるが、内心どうしようもない憤怒を押し込んでいる。頭皮の汗腺から湯気が立ち込めそうだ。
「さぁて……判らぬなぁ」
ずっと笑いの面を被っているレヴァーラである。本来無表情とは白けた真顔を指す言葉だが、常に相手を小馬鹿にした笑い面の彼女なので、この表情こそ無表情にすら映る。
「しらばっくれんなッ! あの星屑野郎と後ろに並ぶナンバーズ共! 全て力を注いだ張本人のお前さんが何涼しい顔してやがんだって話だよッ!」
その冷笑へ触れんばかりに詰め寄るデラロサ。此方は部屋に入るなり、怒りの面を被り続けているる。
「──貴様等飼い犬共は、それを知った上で我が軍門に下ったのではなかったのか?」
「それはそうだ。だがあれだけ元身内連中の動きを知りながら、何もする気がないのは虫が好かんと言っているッ!」
これはレヴァーラの発言に一理有りだろう。
No2を始めとしたエルドラ以外の殺戮は、今に始まったことではない。「まあ待て、襟を正せ」と告げ、詰め寄った顔を白い手で押し返した。
「判る。とても良く判るぞアル・ガ・デラロサ。──だが貴様とて軍人の端くれなら理解し得よう。我々シチリアの強き飛車角と呼べる駒を、次の一手を考えずに動かす訳にゆかん」
日本好きのアルの食いつきが良さそうな例えを使いこなすレヴァーラ。交渉人としての力量を発揮している。
「……嗚呼、判るとも。一手違えば後戻り出来ないからな」
微妙な線で話を逸らされたデラロサだが、相槌代わりのおざなりな台詞を返す。流されたフリをした。
「下位Noの1人だけでも一騎当千の我々だ。上のNo共に押された国が憐れと力を貸そうものなら、相手国が滅ぶやも知れん」
これを聴いたデラロサの顔が世界を守護する軍人としての矜恃を秘めた面構えに帰る。
「それよッ! 大体アンタの犬達だけでも国処か、下手すりゃ世界を転覆出来るよな? しかも元を辿れば離反した連中ですらアンタの手足となる予定だったんだろ?」
実はこれこそデラロサが回りくどい言い方までして引き出したかった本音だ。
仮に10人がすべからく踊り子様の前で踊らされる存在であったとするなら世界大戦すら児戯と思える。
「──アンタ一体、何企んでやがるッ!?」
またも詰め寄るデラロサ。逆立てた髪がレヴァーラの柔肌に刺さりそうだ。
──成程、それが貴様の真なる腹の蟲だな。
本来ならいよいよ声高に笑い飛ばしたいレヴァーラだが、それではいよいよ話が拗れてしまう。敢えて大人の余裕を気取るのだ。
32歳のデラロサより上である余裕を見せるべく真面目ぶった顔をして、相手の視線を真っ向から受け止めた。
「まあ待て。何も我とて世界を灰燼に帰するつもりなどない」
「失礼した。では改めて聞かせて頂こう」
比喩ではなく本当に自分の襟を正すデラロサ。誠実には誠実で応える。規律正しき軍人のクソ真面目ぶりが顔を出した。
「我とて人類の進化を心より望んでいる。これはパルメラが言った通りだ。進化させたい人間社会を堕落させることなど望んではおらん」
これはレヴァーラの本音に相違ない。但し進化に不要な人間共を守ってやるとは、おくびにも言ってない。それ位のこと、デラロサとて判った上で押し黙ったまま話に傾聴する。
「我に逆らい野良犬と化した輩を止めるのは力のみとは限らん。──色々在るが例えば餌」
「え、餌ァッ?」
机の上に肘をつき、白い脚を組み直しつつ告げた一言。先程から『軍の犬』やら『野良犬』等、やたら周囲を犬呼ばわりする相手だ。
幼稚にもデラロサは言葉通り、餌箱を奪われた飼い犬を連想してしまった。
「簡単な理屈だろ? どんな屈強な戦士も、明晰な策士も飯を食わねば生きてはゆけん。我は力以外にそうした駒を探している」
「何やら話がまどろっこしいなぁ………。適当言って俺を誤魔化そうとしてねえか?」
デラロサが思わず頭を引っ掻く。この男、頭脳だけでも極めて優秀な人材。
故に頭の良い者と語り合うのが非常に好きだ。しかし例え話とはいえ、今さら兵糧攻めを引き合い出され辟易している。
「強く押せる力ばかりが全てではない。将棋とて捨て駒が戦局を左右する事はあるだろうフフッ……」
両腕の肘をつき、組んだ手の甲の上に顎を乗せ、レヴァーラが顔を突き出す。
カチャッ、ギィィ………。
「だ、誰だ!?」
不意に開け放たれた部屋の扉。
動揺したデラロサが扉の方へ振り返る。けれども突然の来訪者に気が動転したのは、この部屋の主の方が寧ろ強かった。
ずっと余裕面で座っていたのにその者を見た途端、椅子を蹴って立ち上がり駆け寄ったのだ。
「──ふぁ、ファウナ!? こんな時間に一体どうした?」
「──も。申し訳ございませんレヴァーラさ…ま。何やら妙な胸騒ぎがして眠れず、お、お邪魔して……し、しまいました」
寝巻姿の肩を揺さぶり、気は確かといった体のレヴァーラ。デラロサから見ればレヴァーラの慌てぶりこそ穏やかとは思えない。
──そう………来訪者はファウナであった。
突然訪れた自分が一番の混乱の元であるのは確かだ。けれどまるで夜中に起き出した子供に慌てる母親みたいなレヴァーラの行動。
その薄い生地から少々透けて見える自分の肌表面。思わず鼓動が高鳴り、毛細血管の流れが沸き立つのを止められずファウナが俯く。
──妙な胸騒ぎだと!? この娘、部屋越しに我の意識を感じ取ったとでも言うのか!?
直に話を聞いていたデラロサよりも、自分がこれから語ろうする想いを寝惚け眼の少女が目ざとく見つけた?
──いや、それ処の話ではない。レヴァーラ当人に理由が判らぬとも、そう確信した。
レヴァーラ当人ですら思考を巡らそうとしている矢先、他人であるファウナが模範解答を抱いて夢遊病者の様にフラリッと姿を現したと。
No持ち達の比類なき能力。
現代科学の粋を結集し、惜しみなく開発費を投じた軍の兵器。
それらを策を弄して転覆しようと企てる人の知恵の実。
──これら全てを超越する存在が、此処に立っている少女ではあるまいか?
慄然……せずにいられぬレヴァーラであった。