第2話 楽な仕事だ
真に招かねざる客が襲来するのを悟ったファウナ。
「賊は恐らく2人──って、えっ?」
敵の数すら察知したファウナだが、その内の一人の気配が瞬時に消えた……かに思えたのだが、それはもう間近に迫っているのだと知り背筋が凍る。
「御館様ッ!」
「おのれっ! 一体何処から!」
ラディアンヌが真っ先に部屋の床を拳で貫き、下の階へと飛び降りる。オルティスタの方は、取り回しの良い三日月刀を抜いてそれに続く。
建物内での戦闘を想定しているオルティスタ。こういった事態に備え、刃渡りの短い武器も携帯していた。
ただ敵の動きが迅速……と言うより最早神速で在り過ぎた。ファウナが『鳥達が騒いでいる』と告げてから、1分と経っていない。
「あ、あ……そ、そんなことって……」
「クソッ! 意味が判らんっ! 刺した気配すら感じぬとは!」
一番先に地獄を見つけたラディアンヌが絶句する。無念の想いを秘めたオルティスタが周囲を見渡すが、賊らしい影一つ見えやしない。
下の階に居たのはファウナの両親。二人共、喉元を刃物で掻き斬られ、驚いた目を剥き出しにしたままの姿勢で絶命していた。
「え、父さん? 母さん?」
二人の護衛とは対照的にゆっくりと一階に降りて来たファウナである。これがただの喧騒でないこと位、勘づいていた。
「み、見てはいけませんファウナ様ァッ!」
この喧騒の終末をファウナにだけは見せたくない。蒼き瞳に自らの手を重ねようと試みるラディアンヌ。当たり前だが最早もう手遅れであった。
「え、嘘……噓でしょ?」
「クッ!」
それはファウナに取ってこれ以上ない地獄絵図。尊敬の念と海より深い愛情を抱いていた両親との突然の別れ。
オルティスタが目を逸らしながら悔やむ。自分の力不足と、この家の警戒心の低さを合わせて。御館様の思考は正直古過ぎると感じていた。
今どき護衛に武術家1人と剣士1人。もっと現代の設備も揃え、警備を厚くすべきと幾度も説いた。その数覚えきれない程。
しかし決まって御館様は『オルティスタとラディアンヌ、君らさえ居れば充分』と緩んだ笑顔で相手にすらされなかった。
勿論その期待値に応えられなかった悔しさの比率が、ずば抜けて大を占める。ラディアンヌとて同じ気分だ。
「ウアァァァァァッ!!」
荒れ果てた床の上に崩れ落ち、周りの目を気にせず大いに泣き叫ぶファウナである。
何気ない日常が天国であったことをようやく理解するも最早手遅れ。17歳の少女に取って、遺言すら聞けぬ死別は余りにも酷である。
「ラディアンヌ! お前は外を警戒しろ! ファウナが2人と言った! だから必ずもう1人遅れて来る! そしてコレをやった野郎は未だ中に居る筈だっ!」
──これ以上は絶対やらせん!
強い意思で手遅れの哀しみを吹き飛ばすオルティスタ。
コクンと頷き、物音1つ立てずに外へ飛び出してゆくラディアンヌ。ファウナの方は任せたと立ち去る背中が告げていた。
その刹那、キラリッと輝く物がファウナの影から出現する。危うい危うい、悲しんでる暇すら持ってゆかれる処であった。
オルティスタがその長身を活かし、瞬時にファウナを持ち上げると、自分の左肩に乗せたのだ。
御館様ご夫婦の血で塗れたダガーに対し、器用にも後ろ手に伸ばした三日月刀で斬り結ぶ。
「──やるな、これを止めるか。貴様、血の匂いがする。さては同業者ね?」
「その声、どうやらクソ野郎じゃないようだなっ! お前みたいな外道と一緒にすんな! 例え見えぬとも次の狙いが見え透いてんだよっ!」
腕っぷしの力のみで相手のダガーを弾き飛ばすオルティスタ。こんな相手に全身の捻りを加えた派手な返しは愚の骨頂。
最小の動きで受けるのが最善だと知っている。髪も服装も瞳すら黒づくめの女、その出で立ちからして暗殺者に違いなかろう。
この相手こそ知らないが、オルティスタの経験値が相手の仕方を熟知している。此方とて血に塗れた刀なのだ。見た目通りの美しさなどとうに捨てた。
だがそんな強者の彼女ですら、影から影を渡る暗殺者。そんな薄気味悪い者を相手取る事は初めての経験である。
◇◇
今からほんの数分前。この暗殺者『アノニモ』は、ファウナの言った通り、2人でフォレスタ邸に近付いていた。
アノニモ──名無しという意味。自分の名前すらどうでも良い。ただ煩わしくも周囲から呼び出すための記号として仕方なく付けたに過ぎぬ。
「──その館に居るどいつがターゲットなのか、お前聞いているのか?」
飛ぶ様に森を駆けるアノニモに、どうにかついてゆく仲間らしき女が訊ねる。
「問題ない、全部殺れば良いだけね。じゃあ先に行く」
その独特なイントネーション、アジア系の出身かも知れない。それだけ言い残し森の影に沈んで消えた。
「あっ、行っちまった……。まあただの民間人を殺せば良いだけ。しかも有能過ぎる同僚。なんて楽な仕事なんだ」
青い髪の女は思ったことを吐き出した。余りうかうかしてると自分の取り分が無くなりそうだと先を急ぐ。
◇◇
バタンッ!
玄関の重い扉を開けて表に飛び出したラディアンヌである。館の中は地獄でも、表から見る分には綺麗なものだ。
「……それにしても扉も窓も、何処も開かれた様子がない? あの殺し屋一体どうやって中に?」
あの敵が影を伝って襲ってきたのを知らぬラディアンヌ。よってその疑問は無理からぬことだ。
ダッ、ダダダダッ!
「え、何これ銃痕?」
ラディアンヌの足元、地面に不自然な穴が連続して開くのを見つけた。暗闇で判別しづらいが、どうやら銃器の類で自分の周囲を撃たれたらしい。
だが地面に穴を穿つ音しか聞こえなかった。銃声が全く轟かない? そんな事があるものなのか。一気に戦慄が背中を走るラディアンヌ。
音もなく遠方から蜂の巣にされるかも知れない恐怖。増してや自分は無手で無装備……自然、嫌な汗を掌にかく。
「なんてこった。相手は1人でその上武器無し。対する此方は撃ち放題とは。本当に本当に簡単な仕事だねぇ……」
何とあろうことか、見えぬ敵が声で自身をさらしてきたではないか。
すかさず声の方へジグザグに駆けるラディアンヌ。流石に神速とはゆかないが、素手で闘う彼女を馬鹿にし過ぎている。
これで敵がどんな飛び道具を使った処で直撃は避けられる。後は懐にさえ入ってしまえば此方の勝ち確の筈だ。
「グッ!」
それでも謎の銃器で手足を少々撃ち抜かれるのは防げない。美しく鍛え抜かれた肢体を血が染めてゆく。
けれどラディアンヌとて百戦錬磨の立派な戦士だ。眉間や心臓など致命に至らない様、慎重かつ大胆に迫ってゆく。
もう間もなく此方の手が届く。自分相手に『楽な仕事』などと嘯いた失礼な輩を赦す気なぞ在りはしないのだ。