第30話 Walküre(ワルキューレ)
レヴァーラが語るヴァロウズNo4の魔導士、パルメラ・ジオ・アリスタは危険な存在だという話。
普段の悠然とした感じが形を潜め、真剣な面持ちでファウナ・デル・フォレスタに警鐘を鳴らした。
それに対してファウナは『貴女様にお仕えする以上、勝手には逝かない』と凛々しく応えるのであった。
「色々と話を変えて済まない。フィルニアとディーネには、具体的に何を意識させているのだ?」
「──それは……」
レヴァーラは『話を変えて……』と前置きしたが元々の話題はそちらである。これにファウナは自信なさげに『思い違いを伝えただけ……』と説明を端折たのだ。
能力の探求をしているレヴァーラにしてみれば、詳細な話を聴きたいのはもっともだと言える。
それに対しファウナはスーッとモニターを指す。『それは御覧になれば判ることです』という訳らしい。
ラディアンヌとオルティスタから散々な目にあい、力を失い茶髪で黄色い目をした幼子に変わっていたチェーン・マニシングだが、最早完全にその力を取り戻したらしい。
悠々自適にNo7とNo8を追い掛け回す。チェーン当人にしてみれば、こんなものはただの御遊戯に過ぎない。
一方、追い回されているフィルニアとディーネに取っては冗談で済まされない。少し気を抜いたらその白狼の爪で裂かれるか、はたまた踏み潰されてもおかしくないのだ。
──ファウナちゃん……水は空気中に幾らでも在ります。水蒸気を好きに出来れば態々敵前へ出向くまでもないですよね? 君は確かにそう言った!
逃げ惑いながら必死に考えを巡らすディーネ。いつになく真剣な表情である。
──でもさ、私ってば相手の水分を自在に操るって想像なんだよね………。
そしてフィルニアもこんな思考を反芻していた。
──風の源は大気! 故に私が操るべきは風のみならず、空も空気も雲すら全て! 言いたいことは良く判るのだファウナよ。
此方も白狼と化したチェーンの動きから逃れつつ、ファウナに言われたことを幾度も飲み込もうと頭脳の中で研鑽を惜しまない。
──しかし余りに掴み処が無さ過ぎるのだ! 第一私は国元の心地良き谷の風を、自由気ままにしてみたい……。そんな安易な望みで風を創造出来たに過ぎん!
要はそういう事なのだ。
2人共、自身が望んだ力を既に獲得している。なれども他人から『それでは勿体ない』と指摘を受けた。
だが自分が希望した力に到達したと勘違いした人間の思考を飛躍させるのは容易ではない。
私はこれで満足と思ったが最後、人間の伸びしろは失われるばかりか、下降の一途を辿るものだ。
常に上を目指さなくして人の成長など有り得はしない……。
──想像し続けろディーネ! 白狼と私の間に存在する水の欠片を! フィルニアが見えるという風の精霊の様に!
チェーンとどうにか一呼吸分の距離を置いたディーネが、右掌を目一杯広げて腕を伸ばす。いっそ覚悟を決めて両目さえ閉じた。
見える筈のない水の精霊達の戯れを懸命に見たいと瞬きの夢に敢えて溺れる。
ディーネは元々日本に於ける水泳界の未来を期待された人材であった。哀しきかな、怪我でその夢を絶たれたが、それ故に水が一番大好きなのだ。
「ムッ?」
チェーンの鼻面の先に不自然な水煙がフワッと上がる。しかしただそれだけで終わり、巨大な狼の鼻息一つでそれらは吹き飛ぶ。
──見えた!? そうよ、見えたの! そう思い込んでしまえば良いのよっ!
薄目を開き、それを確信した上で嗤いながら再び逃走する。
何てことは無い一歩……けれどディーネにしてみれば、藁をも掴む想いから発せられた革新的な前進であった。
一方鬼ごっこに飽きたチェーンは大口を開き、喉元から伸びて来た光線砲をただの人間2人に向かって無遠慮にも掃射を始めた。
これは余りにも行き過ぎた遊びだ。ファウナ等が折角集めた人夫達による街の復旧作業が進みつつあるというのに。
「なッ!? ビームすら撃てるのかあの狼はっ!?」
もういよいよ驚きで開いた口が塞がらないアル・ガ・デラロサである。しかも掠っただけの地面の岩や鉄骨の類が、瞬時に溶解する程の威力なのだ。
「──クッ!?」
これを避けるべく、フィルニアが得意の竜巻を幾つも巻き起こして対処する。人間の力だけでこれを散らしているだけでも異常だ。
──ディーネとて確実なる一歩を進んだのだっ! No7の自分が指を咥えておられるものかっ!
フィルニアは難しく考えるするのを敢えて止めた。チェーンに対する怒りを雷と為して落としてやる。もうそれだけに自分の想像を集中させた。
ドガガガーーーンッ!!
「グッワッ!? ひ、ひでえことをするッ!」
何と青空に黒雲が突如浮かんで、本当にチェーンへ轟音と共に落雷した。ただ『ひでえことをする』とは自分の行動を棚上げした随分な言い草だ。
──やったの!?
ディーネは安易な笑顔を相棒に向けたが、そんな単純な話ではなかった。
「ち、違う……。わ、私がやったのでは……ない」
フィルニアがさも無念そうに首を横に振る。
そのやり取りをモニター越しに観たレヴァーラが恐れ慄き腰すら抜かして後退りした。生ける不退転とも取れる彼女にしては、実に稀有な状態である。
「れ、レヴァーラ……様?」
「き、来たのだ彼女が……。今の雷こそインドラの矢。パルメラ・ジオ・アリスタは、インド神話の神々の力を具現化する魔導士……いや、神聖術士と言うべきか」
レヴァーラの慌てふためく様に、普段天然寄りなファウナですら、これは只事ではないと悟る。
インド神話で語られるインドラの矢とは、天変地異を起こす程のものと伝承がある。それと比較すれば矮小な稲妻と言えよう。
しかしファウナは直ぐ理解した。インドの神々の力を過大解釈し、己が力と為した神聖魔法であるならば、真に危うい存在であろう。
今すぐディーネ達の加勢に往かねばと凛々しい顔で、外への一歩を踏み出そうした。
「待って待ってファウナちゃん。まさかその格好で戦場に赴くつもり?」
「あ……」
リディーナに指摘され、自分の姿を顧みて顔を真っ赤に染める。リディーナの言う『その格好……』とは、寝起きそのままの白いネグリジェなのだ。
両肩も、白い太腿も──加えて大きな膨らみすらも惜しげもなく晒したその姿。戦地はおろかただの外出ですらNGである。
何しろ此処にデラロサが来るまで女所帯だった場所だ。こんな処で天然になるのも止むを得ない。
「レヴァーラ様、ホラッ、ちゃんと貴女からお渡ししないと……」
「──わ、判っている!」
リディーナが腰を抜かしたレヴァーラの背中を強めに叩いて喝を入れる。このアジトの影の支配者にはレヴァーラとて逆らえない。
立ち上がりファウナの元へ厳かを決め込むようゆったり歩み寄ると、一着の服と一振りの細い剣を差し出した。
「こ、これは……」
「お前が着ていた服は直しが未だ終わらぬ。何せそこに居る軍人共がボロキレにしてくれたからな」
レヴァーラが実に嫌味な流し目でデラロサとアルケスタに視線を送る。戦場での仕方なきこと。別に責めるつもりなど毛頭ない。
ただ取り乱していた自分の姿を少しでも上書きしようとしているだけだ。
「あ、ありがとう……ござい…ます」
少し怪訝な表情でそれらを受け取るファウナである。自分の嫁入り道具であった服装の色合いに近しい青と白を基調にした服だ。
強固な手甲と首回りを守る防具すら付いている。しかもお洒落心に溢れたもので、首と胸元には赤くて大きなルビーの装飾が施されていた。髪を結う青いリボンすらある。
これを美少女のファウナが羽織れば、さぞレヴァーラ好みの可愛い御人形が出来るであろう。
──それは良い。
「わ、私……剣は……」
そうなのだ、ファウナはそこに戸惑いを感じていた。幾ら魔法に秀でた女神候補生といえど、剣術の類はまるで皆無だ。
「我は決してそうは思わぬ。あの電磁砲の弾すら斬って捨てたお前のことだ。それとも『私は魔法使いですから』と己の上限を身勝手に決めるか?」
このレヴァーラの煽りにファウナが逆らえる道理がない。決意を胸に全てを受け継ぐ。
「あのパルメラに勝てるとしたら、こんな無粋な物かも知れぬぞ。いや勝とうなどと思うでない。生還さえすれば良いのだ」
すっかり粋を取り戻したレヴァーラの声が昂る。ファウナも不思議とそんな虚ろな想いに乗りたくなった。
「ハッ! ファウナ・デル・フォレスタ。必ずや御期待に応えてみせます!」
ファウナは物陰に隠れると、あっと言う間に戦衣装でその身を包んだ。必ず戦勝を運んでくる戦乙女の如く、猛々しい姿であった。




