第1話 緑の瞳と髪を抱く森の女神
シチリア島で嘗てエンナと呼称された地域の森の懐、フォレスタ家の屋敷は密かに息づいていた。
この島にありがちな白い建築物ではなく、茶色の煉瓦に蔦が這うのをそのままにしている質素なるものだ。
自分達は自然を間借りしてる身の上──故に、家も森の樹々へ鳥の巣が如く溶け込む佇まい、フォレスタ家の家柄を反映していた。
13年前、謎の超巨大噴火によって隣接するこの地域の森も、こっぴどく焼かれた。
金色の髪揺らした男と剣で踊った二人の炎痕。未だ深い爪痕が至る各所に点在していた。
家柄が示す通り、フォレスタ家は代々この森の守り手として存在してきた。依って荒れ果てた森へ植樹し、復興活動に尽力していた。
コンコンッ。
「──ファウナ様、入りますよ」
中低音の効いた女性の声がファウナと名乗る、独り娘の部屋の扉を親しみ込めて叩く。柔らかな笑み浮かべて入って来たのはラディアンヌと云うファウナの御付きだ。
ボブカットの金髪透かした豊かな緑湛えた瞳。女性にしては背丈が高い。服装も特徴的、まるで東洋の武闘家好む胴着の様。
白を基調にした緑色の肩と袖口、腹絞める帯も緑だ。西洋に似つかわしくない装いだが、森の民であるフォレスタ家に仕える者としてなら似合いの姿形。
御令嬢ファウナの自部屋──この家が贅沢を好まぬのは外見通り承知の上、それにしても、女の子の部屋とは思えぬほど可愛げというものが見当たらない。
床の板の間は剝き出しのまま。ラグすら敷いてない殺風景。部屋の真ん中に来客向け、木製のテーブルと椅子。ファウナ当人が勉学に使う机とて飾り付けが寂し気なのだ。
この部屋で一番悪目立ちしているのが天井まで届いた本棚。飾り棚も皆無、一度本を抜いたら崩れるのではないか案ずるほど分厚い背表紙が肩を寄せ合っていた。
加えて入居出来なかった本達が床へ平積みなる無造作。これだけの本が在る所為か、慣れない者が訪れると、カビ臭に思わず顔を顰めるのだ。
御付きのラディアンヌが手慣れた様子で入室するも、部屋主のファウナは素知らぬ顔で、窓際に置いた椅子に行儀良く腰掛けていた。
絵師がファウナをモデルにした絵画をキャンバスに描いてる中途であった。
「ふぅ……ファウナ様。まぁたマドウショとやらに自分を書き残しているのですか?」
呆れたラディアンヌが溜息を一つ零した日常。ラディアンヌ、マドウショと云う言葉の意味を解読出来ぬ鬱なる顔。
「ラディアンヌ……いつか貴女にも、この本の価値を判る日が必ず訪れるわ」
毎度のやり取り、ファウナが顔色ひとつ変えず、まるで絵の方が語り掛けた仕草みせる。
ガチャッ。
次にノックはおろか、挨拶不要を態度に示した身勝手なる来客が現れた。
「オルティスタ、貴女って人はもぅっ……」
これに立腹したのは部屋主でなく、ラディアンヌの方であった。両腰に手を当て、膨れた面をオルティスタに押し付ける。
「同じ女が部屋に入るだけで何が悪い? 第一ファウナに万が一の事態が有れば、そんな悠長な言ってられん」
ラディアンヌの呆れ顔を悠々大きな果実押し付け、ヅカヅカと部屋に押し入るオルティスタ。おまけにファウナと主様を呼び捨てにした横柄。
オルティスタ、彼女もラディアンヌと同じファウナの身辺警護が役割の女剣士だ。背の高いラディアンヌを越えた高見の華。控え目だがヒールさえ履いている。
ラディアンヌより数年先、この家に仕えている云わば姉貴分。見た目さえも似通っているので、まるで本物の姉妹の様。
少し灰色混じる金髪を肩で散らした好い女。彼女も色彩豊かな森思わす緑色の瞳。然も羽織っている衣装も東洋の風、ラディアンヌの胴着よりも緑の面積が多い。
腰に二刀を差している辺りがラディアンヌとの多大な差。先の尖った長めの丸刀がメイン。
それの半分の長さといった感じの三日月刀を、同じ様な形に沿った鞘へ納刀している。つがいの刃が際立たせる流麗な輪郭なぞる体現。
姉上達のやり取り意に介さずなファウナ、乙女の風格漂わす。
スッと伸びた背中、穢れ忘れた長き金髪の川、流れる景色。
シチリアの蒼き海を彷彿させる瞳が実に艶やか。本の虫にしとくには勿体ない美貌を兼ね備えていた。
そんな彼女だが、この姉貴肌二人の間に割って入れば、憐れ小柄の部類に入るのだ。身長も立ち姿さえも抜群過ぎた御姉様方。
戦うには少々邪魔ではなかろうか? 余分な邪推したくなる程、両者共に大層御立派なものを揺らして、揺らしていらっしゃる。
今日も今日とて警備と称し、ファウナの部屋で入り浸る二人の御付き。
ラディアンヌ24歳、オルティスタ25歳。ファウナは未だ17歳だ。けれどもこの三者三様、主従関係と歳の差を超えた間柄で仲良くしていた。
「ファウナ様……私いつもこの絵を見て思うのです。何故髪色も瞳ですらも緑なのですか?」
──そうなのだ。
ラディアンヌの疑問は尤もである。
自分の書く本の挿絵にすべく、ファウナは自分の絵をしばしば絵師に描かせるのだが、決まって髪と瞳の色だけ、現実と剥離させるのだ。
ラディアンヌにしてみれば、もう自分の部屋に飾って愛でたきほど、ファウナという娘は大層可愛いらしい。
特にその吸い込まれそうな蒼き瞳と、叶うものなら永遠に撫でたい長き金髪。何故それを絵に於いて捨て置くのか理解に苦しむ。
「それはとても質問よラディアンヌ。私はね、やがてこの魔導書と共に森を守護する女神になるの」
何度も語るがファウナは絵のモデルになっている真っ最中、だから身体を動かすつもりはない。されど声音が動いた様に大きく弾んだ。
教師が生徒へ論ずるかの如く『我、女神の化身也』堂々と言ってのける天然匂わす。
「は、はぁ……」
「森と云ったら緑色でしょ? 森の女神様なのに髪の毛は金髪で、青色の瞳じゃ全然格好つかないじゃない!?」
理由を聴いてもやはり解せないラディアンヌの呆け。本来の見た目こそ女神に値すると感じてる彼女、納得出来る道理がない。
陽が沈み往く最中──森の闇は早めに訪れるもの。近隣の住居が少ないことも重なり夜に至ると、この家は暗闇の中へと沈む。
「──鳥達が…暴れてる?」
聴覚なのか、或いは五感全てが鋭いのか。護衛の二人よりも直ぐに気が付くファウナの震え。
「なんだなんだぁ、また見知らぬ客か?」
オルティスタが面倒そうな顔をしつつ刀の柄へ手を伸ばす。ファウナが16に成った辺りから招かねざる客が途端に増えた。
貴族の御令嬢でかつ大層な美少女、野良犬の如き鼻の利く馬鹿共が、湧き出して来るのも止むを得ない。
されど悪い虫なぞ、この二人の護衛に掛かれば、あっと云う間に蜘蛛の子散らす。同じ者は二度と訪れやしない。
「違う、人らしいけど刺す様な感覚が痛い」
普段物事に動じないファウナが両腕を組み、曇った顔色で俯き加減。珍しき怯え声。
ファウナ突然の変遷──。
ラディアンヌとオルティスタも只事ではないと緊張の度合いを顕著に増す。姉妹遊びは陽の陰りと共に暗闇へ沈み逝く様を肌で感じた。




