第21話 自由を駆ける者
シチリアの海を見渡せる絶好の景色の中、踊り子レヴァーラが、自称森の女神ファウナ・デル・フォレスタの唇を奪った。
余りの驚きで目を白黒させたファウナだが、何せ幼少期より憧憬していた相手から最高のアプローチだ。受け入れる──それ以外の選択肢などあろう訳がない。
ただしつこいが彼女に取って初めての相手だ。良くキスの味、何て話題に上がるが、そんなものを意識する余裕すらない。
ただただなされるがまま、暫くジッとする以外に無い。しかし白昼堂々、まさかこれ以上前進されては始末に困る。
潮騒、海鳥の声、ようやく少しづつではあるが、自分の五感をファウナが取り戻してゆく。唇以外に頬を撫でるものが正直擽ったい。
相手の黒い髪の毛と唇の直ぐ脇に在るホクロが悪さをしていたのだ。そして加えて意外な事に気がついた。
仕掛けた側のレヴァーラの方が、小刻みに震えているではないか。身体を支えているからではない。何故なら完全に自分へ預けているからだ。
──やっぱりこの女、何だかとても可愛い。
恐らく倍くらい歳の離れた相手にそんな優越を感じた。心の中で笑いながら少しだけ悪戯返しを試みる。
ただダラリッとしていた両腕を動かし愛おしみを以って、レヴァーラの黒い頭を右手で撫でつつ、左手は細く絞られた腰へ回した。
お互いの鼓動を交換し合う二人。ドキドキと居心地の良さが同居するのを感じ取る。
──そんな幸せへ浸る二人に雑音が海の方から押し迫って来た。
これにレヴァーラの方はまるで気にする様子が起きない。自分がどうにか知らせなきゃ……高揚感が使命感へと入れ替わったファウナが、主様の背中を幾度も平手で叩いてゆく。
「──何だ? どうしたというのだファウナよ」
「な、何か此方へ向かって来る音が聞こえませんか?」
レヴァーラは『何だ?』と言う割に自分の身体を起こそうとしない。仕方がないので無礼を承知でファウナの方から半ば無理矢理抑え込まれた背中を上げた。
加えて海の沖へ向かって淀みのない指を差す。確かに何やら白い巨躯が、未だ被害を晒しているメッシーナ大橋の残骸を縫う様に白波を立てて、時折跳ねていた。
「い、海豚でしょうか……」
「いや、あの大きさなら海豚ではない」
初めて動物園を訪れた少年少女の様な発言を否定しなければならないのが実に腹立たしいレヴァーラ。先程まで愉悦に浸っていた自身の唇を撫でつつ応じる。
「も、申し訳ございません。何しろ私、海には疎くて……。で、では鯱辺りでしょうか」
「フゥ……ファウナ・デル・フォレスタとの邪魔をしおってあの自由人め!」
肩を怒らせながらレヴァーラが立ち上がる。明らかに可笑しなことを口走った。海豚でも鯱でもなく『自由人』──アレは同じ哺乳類でも我々と同じ生物だと言い切った。
「──人? アレが……で、ございますか?」
「ファウナよ、アレがヴァロウズの6番目だ。奴は我が元を卒業などしておらぬ。ただ無断欠席し続けてるに過ぎん」
ファウナはこれまでに伺った話を思い返す。
ヴァロウズというレヴァーラきっての最強兵士達。その内のNo1からNo5までは離反したと確かに聞いた。
だが言われてみればこの話には歯抜けが在った。No7のフィルニアから下は、卒業せずに先生の元に居る。
ヴァロウズは全部で10人──両の指さえあれば学業を受けていない園児ですら判ることだ。
──早い話、独り欠けているのである。
迫り来る巨体の全容が理解出来る程に近づいて来た。ファウナの視覚の先に居る者……確かに生き物ではないと知れた。
そう──確かに海の生物ではなさそうである。何故なら全体的にゴツゴツした金属の様な物で創られていると感じたからだ。
蠢く度に生物のしなやかさとは非なる稼働音が、まるで悪びれた様子もなく響いてくるのだ。まるでこの間やり合った連合の化物の様に。
──あれが人の成した身体だというの!?
俄かには信じ難い形状だと意識がするのが普通の反応であろう。
「アレがヴァロウズNo6、『チェーン・マニシング』だ。自由を知らないただの機械を否定し、増してや周りに諂う人すら認めぬ」
「──チェーン・マニシング」
17年間の人生を魔法という力へ変換すべく、これまで様々な学問に手を出して来たファウナだからこそ、受け入れがたい存在。
その名を繰り返し呟くのがやっとの行為だ。
「奴はこう望んだ『私は何者にも縛られない生きた身体になりたい』。それ具現化したのがアレだ。アレはどんな物にも者にも化ける。お前にも直ぐに嫌でも判る」
ヴァロウズの能力者は皆、自身の望んだ能力をただの一つだけ与えられる。それが自由で在りたいと強烈に念じた結実なのだ。
──これは反則と言われても仕方のない解釈なのだ。
やがてそのチェーンらしき人物が波間から完全にその姿を露出した。海上──海に浮いているのではなく、さらにその上を獣の如く大いに駆ける。
「お、狼? 白い狼」
語彙力の塊であるかの様なファウナが、見たままを言うしか芸のない存在に落ちゆく。確かに白い狼の姿を模した四本足の機械が海を駆けているのだ。
もしこの場を連合国軍所属のマリアンダ・アルケスタ少尉が見ていたら『御覧なさい、今どき2足歩行なんて無駄に拘るのは愚か者よ』と嘯くかも知れない。
ただ睨みを効かすだけのレヴァーラと、未だ得体の知れない生物との邂逅に戸惑うだけのファウナの二人。
その背中の方から、地面を踏みしめ駆ける轟音が2つ近づいて来る。土煙すら上げるド派手っぷりだ。
「ラディ、オルティ?」
二人の背中をそのまま追い抜いてしまうじゃないかと思われた者の正体、ファウナの言葉通り、武術家ラディアンヌと炎舞冴えわたるオルティスタであった。
「悪いが話は粗方聞かせて貰ったぞファウナ」
「要はあの聴かん坊を殺らずに大人しく調教すれば宜しいのですね」
ラディアンヌとオルティスタが二ッと笑顔を見せてから、海を駆ける狼へ視線を移す。
「此処は俺達ファウナのお姉ちゃん組に任せてくれ」
「レヴァーラ様へ手土産一つ渡せていないのです。どうか私達二人にやらせて下さいませ」
一体何処から湧いて出て来る自信なのか? まるで要領を得ないファウナである。
「で、でも……」
「あっ、ただ悪ィ。さっきのヴァレデ何とかって奴だけ頼む。効力が切れちまった」
「フフッ……私達もあれ位空を駆けられる様になりました。なのでご安心を」
ラディアンヌが親指でチェーンとかいう自由奔放を指す。あの狼の四足歩行並みに我々も動けると、さも得意げに言ってのけた。
「──わ、判ったわ」
全身に付着した埃を払いつつファウナが立ち上がり、例の魔導書のページを迷わず開く。何故こうも自分が汚れていたのか、問いたださせなくて正直ホッとした。
「──『重力解放』
森の女神からの恵みが二人の女勇士へ降り注いだ。