第174話 陽洸の白転
──レヴァーラ・ガン・イルッゾ。
独りの哀しき女性の意識が完全に消え失せた。
始めて他人を心より愛し、愛される喜びを教えてくれた我が愛しの実娘ファウナと、最後の最期で結ばれた奇跡。
幼少期から涙忘れた踊り子時代、続いてマーダに拾われた後。実験動物として人工知性体を埋め込まれ、そのまま死に逝く定めと受け入れてた不感。世界中の何もかもが灰色に見えた。
そんな彼女の実験が不幸にも成功した。然もその能力、マーダに取って喉から手が出る程欲しいもの。だからリディーナの力を借りたマーダが、己の意識を彼女へ植え付けた。
悲哀なる踊り子が得られた能力。
これがマーダ、その後の歩みを決定付けてゆくのである。
「──レヴァ?」
溺愛しているレヴァーラの意識が消えたのを感じたファウナ。全ての砂金が掌から零れ落ちる寂しき感覚。
何せ二人の意識は僅かな時間であるが、完璧に一つに成れた。ファウナは、自分の中に存在した最も大切なものが欠けたと思い肩を落とす。
その喪失感たるや異性間の繋がりが赦された間柄の離別より酷く儚く切ない。
ファウナ、涙腺が枯渇している。己の身が削がれた様な感覚。だけど目前に拡がる自分の身体と、下に居るレヴァーラの抜け殻な風景だけは、何一つとして変わっていない。
それ処かレヴァーラの身体から発せられる温もりすら消えてないのだ。酷く戸惑うファウナ、今の想いをどう表現するのが正解なのか。賢しい彼女らしくなく、正答を他へ虚しく求め無駄に視線を泳がす。
育ての両親を亡くした際、ファウナは声を上げて泣き腫らした。その刻──激昂と共に魔法を産み落とした。
次は実の母親なのだが生きてはいる。器と持ち主がせめぎ合いをしてた頃。どちら付かずな気配が確かに存在した。
寄ってマーダの中にも一滴なレヴァが染みているのを心密かに期待している。高飛車なのに慈愛溢れる声で『ファウナ』と呼んでくれやしまいか。
レヴァーラ……だった者の翠眼が再び開く。矮小な期待を胸にファウナが顔を覗き込む。
少女の虚ろなる夢。一気に土足で踏みにじられる。
「……ファウナ。貴様何とも破廉恥なる女だ。よもや女同士で性行為の極みに到達するとは……欲情も此処まで届くと、もはや笑いも起きぬわ」
「──あ、貴方本当にマーダなの?」
レヴァーラ・ガン・イルッゾという器に注ぐ魂のスープ。声音だけがこれ迄とまるで変わらない。されど明らかな別人の台詞。スープの中身、一滴残らずマーダへ変わり果てた。
つい今しがたまでせめぎ合ってたマーダの本性が顔を覗かす。何とも傲慢たる口調。嘗て風呂場で丸裸のファウナを欲した初心な少年。あの頃の形は欠片も見えない。絶望より驚愕が勝るファウナの顔。
「ンンッ? レヴァーラという死にぞこないが消えた今、我の他に一体誰が居ると言うのだ!?」
ファウナを見下す聞くに堪えない口調ばかりが紡ぎ出される。煌めく蜘蛛の糸の繋がりを「消えろッ!」の一言と、腕の一振りで残らず斬り裂くマーダ。
「──ファウナぁぁっ!! 一体何がどうなってやがるっ!」
「ファウナ! 完全に陽が陰ったわっ! 急いであのド変態を如何にかしないとっ!」
地上から長女肌のオルティスタの悲痛な叫びが届く。声量こそ普段と同等、けれどあからさまな動揺が混じる。
ラディアンヌとて同様。ファウナの指示抜きでディスラド相手に飛び掛かれば、かえって足を引っ張り兼ねない。
姉ゼファンナが残り僅かな魔力を行使し、重力解放で黒い機体の操縦席付近まで飛び、妹への声掛け。此方も切羽詰まっているのは同じ事。
目前の黒い女は細胞の隅々までマーダへ堕ちた。加えて操縦席越しの外では、妖しき金髪碧眼の男が再覚醒を狙っている。
ファウナ・デル・フォレスタ、愛する者を失い哀惜の想いにふける時間すら貰えない理不尽。さりとて自分は森の女神、この命を己の我儘だけで動かせる立場に非ず。
後髪惹かれる思いで人型を成してない黒い機体を後にする。重力解放で自身の金色の操縦席に戻りゆく。
そこへ姉ゼファンナも滑り込む。自分の機体毎、重力解放とホバリングで空へ急上昇する。
「フハハハッ! 遂に…遂にこの時がッ!」
ズガーンッ!
ディスラド御用達な美女達の魂がまたしても地面を吹き飛ばし、気狂いが勢い任せで宙へ爆ぜる。黒い、握る黒い刃に映るのは男が背を向けた漆黒の太陽とそれらを取り巻くコロナのみ。
黒×黒……これでは暗転出来るものなど皆無にみえる。気狂いの金髪が途轍もない神の一手を叩き込むのだ。
「──『雷神』!」
「──『陽洸の白転』!」
ファウナ機が超電子銃を構え、苦し紛れの雷神で気狂いを狙い撃つも、準備不足な狼狽え弾など掠りもしない。
雷撃の一閃より遥か上征くディスラドの姿をより際立たせるだけに終わる虚しさ。何より気狂い野郎の術式はこれにて完成をみた模様。
「ぐっ!?」
「ま、眩しい? これが人の放つ輝きだと言うの!?」
既に反重力装置を失った筈のディスラドなのだが、満ちゆく太陽を背にしつつ理由不明で浮いている。
然も皆既日食で寸刻だけ輝きを喪失している太陽の代わりが如く、ディスラドが光り輝く。それはレヴァーラの閃光の輝きなど比較にならない。
一度漆黒に至り、続いて満ちてゆく陽の光。太陽を舞台により輝くディスラド。髪色、肌色、雰囲気その総てが変化し始める。
金髪は白髪へ、アンダーウェアこそ黒だが純白のジャケットとマントを羽織る。
左手に握る剣は柄の辺りがやたら大きい両手持ちの剣。その形状たるや収める鞘など一切不要。抜いたが最後を形で示す。
何より悪目立ちしているのは背中に生えた白き翼。天より降臨した御使い? なれど相も変わらずな薄ら笑いは、天界を自ら見限った堕天使の様にも見える。
兎も角全く以って別人な存在が太陽と共に現界したのだ。
パチンッ!
『皆ッ! 急いで自分の機体に戻りなさいッ! あの光に触れては絶対に駄目ッ!!』
慌ただしくファウナが無線と言うよりEL97式改の拡声器で味方に注意を強く浴びせる。そして出来得る限り仲間達を巻き込まないであろう地面を探す。
それに一番適していると直感したのは地面でなかった。ファウナの顔に暗雲立ち込める。
「クッ! 止む負えないわ……」
舌打ちの様に呟くとスッと手を挙げ、さらに腕時計型端末から、とある強力呪文を引き出すのだ。
「ごめんッ!! ──『紅の爆炎』!!」
操縦者の動きに呼応して機体も優雅に機械の手を掲げる。その先に在る物、それは気狂いの象徴と忌むべきエドル神殿。
これまで相殺ばかり繰り返してきた紅い炸裂弾が超巨大な神殿を途方もない威力で吹き飛ばす。爆発音を形容出来る言語が見当たらない程。
ファウナが態々謝った相手は無論、世帯主のディスラドではない。神殿内には恐らく未だ大量の美女達が飼われている。彼女達を巻き込む故、謝罪したのだ。