第158話 末期の婚約
ファウナが姉の元を訪れる様になって1週間が経過した。
ファウナは天然だが頑固で一途。遂にゼファンナの方が根を上げ、姉妹揃いで日常の買い物やら、昼食を二人で蒼い海を見物しながら楽しむ。そこまで双子の蜜月を取り戻しつつある。
面白くないのはゼファンナへ未だ敵意剥き出しなその他大勢。母親は何言えずに上の空。
ゼファンナに同胞を散々消されたデラロサ夫妻は言わずもがな。ファウナ大好きを自称する水使いディーネ、機械生命体に変身出来るチェーン・マニシング辺りも相当苛立っている。
ファウナ親衛隊会員No1(自称)ラディアンヌ・マゼダリッサは何故か静観していた。『恐らく何か訳が在るのです』或る意味盲目なだけかも知れない。
皆既日食まであと10数日。これは数多の人とSNSが溢れかえる21世紀ですら、一部マニア以外気にも留めないイベントへのタイミング。
増してや国境が意味を成さぬ程、人減らしの進んだ現状では気にも留めない、気を掛ける余裕すら皆無。そんなものが引き金だなんてファウナの仲間達が気付く訳ない。
確かに事情さえ知れば大半の者が納得……せざるを得ないであろう。けれどもファウナ自身が母親に立てた宣誓がそれを阻む。
『レヴァーラを決して孤独にしない』
だから理由を語る気がない。尤もあと10数日で皆も嫌と言うほど思い知る羽目になるのだ。
寄ってそんな短い期間くらい、自分が悪者呼ばわりされても構わない意地っ張りなファウナである。
◇◇
エドル神殿──。
此処を仮住まいにしているNo4の神聖術士、パルメラ・ジオ・アリスタとその息子。獣人のジオ・アリスタ。
パルメラはやり方こそ違えどファウナと同じ術士である。理由こそ知らぬが『近い内に何かが起きる』褐色の肌で感じている様だ。
──ならば邪魔が入る前に夫の末期の声を聴きたい。
これは筋が通っている。深夜3時、誰もが寝静まる時間を見図り詠唱の決意を固めた。ジオはいつぞやのキマイラの如き燃ゆる獅子へと変わり、牙を剝いている。
金髪のディスラドという大層悪い虫が近づこうものなら、炎の牙で喰い殺してくれよう。鬼気迫る態度。刺し違えても構いやしない。
詠唱の唄は出来た。後は当人の覚悟だけ。
この呪文で魔力を全て失い、廃人と化しても良い。この世界軸に於いて、魔力の完全消失は死に直結する。だから初めての術は覚悟が付きまとう。
ファウナ・デル・フォレスタ……。
ゼファンナ・ルゼ・フォレスタ……。
そしてインド神話の神々を具現化出来る異形の神聖術士、パルメラ・ジオ・アリスタ。この世で今、確認出来ているたった三人の魔導士。
何れも術士の初めては命懸けなのだ。それが例え偶然の産物で在ったとしても。『上手くいった』と冷汗を掻いている。
神殿の篝火に向かい、サリーをなびかせる美麗な魔女がカッと覚悟の目を見開く。
「──ヴァーミリオン・ルーナ」
まるでその篝火を召喚の火種に仕立てかの如く、パルメラの詠唱が幕を開けた。それは紛うことなき、本物の不死鳥を呼ぶ序曲。
偽物は似て非なる悪魔の鳥。不死はおろか悪魔の悪食の糧にされゆく。美しきパルメラの唇が真実を紡ぎ出す。
「紅のウィータ……。賢者の石がその真の姿を現す」
賢者の石とは人間に不老不死を与えると言われる。不死鳥も名前通りの似たもの同士。不老の石が不死の火の鳥を造形する。
篝火が本当に反応している。不死鳥がそこに現界するのか。
「炎の翼! 鋼の爪! さあ今こそ羽ばたけ不死の孔雀ッ!」
パルメラの詠唱──。初めのうちは緩やかな調べであった。楽団で指揮者が力を奮うが如く、彼女の声にも熱が帯びる。篝火だったものが渦巻く大火を成す。
──楽章の終わりは、もはや目前。
「我がパルメラ・ジオ・アリスタの声に応えよッ! 『不死鳥』ッ!!」
パルメラの術は決した。大火がさらなる炎を呼び込み、巨大な翼を成してゆく。間違いなく火の鳥は実在した!
さりとてこのパルメラが望むのは不死鳥そのものでなく、それが転じた夫の姿だ。
「マラビータ・アニーマ! 黄泉の国の魂よ。天国の扉を開けぇッ!!」
腕輪だらけの右掌を目一杯広げ、早口での詠唱をさらに繰り広げるパルメラ。
此処からが本番。不死鳥が抱く賢者の石でエルドラを成そうとする強欲の唄が夜空を抜けて天を欲する。
炎の鳥──正に言い伝えそのものな不死鳥の形がさらなる変化を遂げる。
翼であったものが一糸纏わぬ屈強な人間の両腕を為そうとし始める。鳥の短き両脚を成す炎が地面へ立ち昇り、人の足へと生まれ変わる。
パルメラ、此処で思わず左手の拳を握る。彼女は術の完遂を確信している。
この世界線で初めての不死鳥を召喚せしめ、それに怠慢せず、今生の愛する夫、エルドラ・フィス・スケイルを錬成するのだ。
短い金髪、182cmの無駄のない彫刻の様な肉体美。そして妻が最も愛した少年の様な穢れを知らぬ翠眼。パルメラに笑顔の華が満開で咲き誇る。
「──ぼ、僕は……。そ、そうかパルメラ、君が僕を呼んでくれたのだね」
ほんの僅かの間、状況が飲み込めずその場に蹲っていたエルドラ。妻の笑顔とキマイラ姿の息子を認め、自らが仮初の命を得たことを即座に知り抜く。
まるでこうなる事を待っていたかの様な落ち着き。泣きっ面の妻が飛び掛かり、全裸のエルドラを押し倒す。
「う、ウチのエルドラ様ぁぁぁっ!!」
エルドラに泣き縋る少女の様なパルメラの甘えぶり。
仕方がない、夫に先立たれても決して挫けず強い母を演じた女の本音が泣きじゃくるのを止めない、止めようがある訳ない。
エルドラが優しく微笑み、愛しき妻の髪と頬を撫でる。二人はこの幸福が束の間であることを良く知っている。
故に、だからこそ、この瞬間を心と躰に刻み込むのだ。
「ぱ、パルメラ・ジオ・スケイル。僕の最期の言葉を君に刻もう」
これは何という事か。夫が死して、未亡人へ転じた妻に今さら刻まれたスケイル。
『結婚がゴールやなんて、レヴァーラ様は古い御人や』
そうやってレヴァーラをコケにした筈のパルメラ・ジオ・スケイルに溢れんばかりの嬉し涙が止まらなくなる。
「レヴァーラを助けてやってくれまいか。彼はこの世界に不可欠な存在なんだ。彼女を逸したら人類の未来が終わる」
「え……?」
何とも不思議かつ、奇妙な舌足らずの言い回し。泣いてばかりだったパルメラの目の色が移り変わる。
救うべきはレヴァーラ・ガン・イルッゾなのか?
はたまた、その中身であるマーダを指すのか?
その言葉を最後にパルメラのヴィシュヌは、ただの炎に還り消え失せた。