第155話 素顔の姉と妹
連合国軍の鬼才司令官、ガディン・ストーナーと、彼の指揮下に在る最高軍事機密基地の殲滅作戦。デラロサ隊の大勝利でその幕を閉じた。
但し生きた最高機密にして最大兵力と言って過言でないゼファンナ・ルゼ・フォレスタだけが、此方側の手の内で未だ生き長らえている。
もし彼女が未だに軍の息が掛かった作戦の続行者であるとするなら『軍を潰した』などと声高に笑うのは、自ら恥を晒す行為と言えよう。
ゼファンナの目的を問いただす。これは避けて通れぬ重大事なのだ。
コンコンッ。
「──んっ、誰ぇ?」
ゼファンナは下着姿でベッドに寝転がり、コミック誌を読んでる最中。不意のノックにさも面倒臭げな声で返す。
随分と草臥れた1冊。──仕方がない、読み物が数冊しかなく穴が開くほど読んでいるのだ。
「ファウナよ。入って良い?」
ノックの主は部屋の主と同じ声音のファウナである。
軍基地殲滅後、2日が経過。未だ作戦後の疲労が正直残っている。時刻は22時頃、若者に取って寝るにはまだ早い時間帯。
ガチャッ。
少しの間が在った後、ゼファンナが内側から鍵を外す。作戦帰還後、外側の鍵は解除してある。それもこのファウナの指示でだ。
「ン……何か用?」
ファウナ、姉の適当加減に思わず苦笑い。
全てに無頓着な男子生徒の部屋へ遊びに来た様な感覚。尤もそんな男友達など居ないので、此方も単なる妄想に過ぎない。
上下共に品の欠片もない下着姿で、折角の金髪もぼさぼさ。
おまけに下着の上から身体をボリボリ搔いているのだ。同じ顔、同じ目をした人間がこの酷い有り様。
鏡の中の自分でなくて正直ホッとするのだが、もし自分が同じ立場だとしたら──気温に関係なく寒気が走る思いがした。
「これ、三毛猫亭で買って来た苺タルトよ。インスタントだけど紅茶も買ってあるわ」
ファウナは、猫のシルエットが描かれた箱をゼファンナの前に差し出す。姉の碧眼が一挙に変わり「見せなさいよ」と素早くぶん取る。
妹は大層律儀に見える。
以前、姉から『言の葉』まで使って伝言された『たまには土産くらい買って来なさい』をしっかり実践したのだ。
別に構いやしないが『有難う』の一言くらい欲しいものだ。
姉ゼファンナの食を誘う趣味など知らない。実妹だろうが知ったことではない相手の日常。
しかしファウナ当人はストロベリーが好物らしい。買い出ししたのも金を払ったのも私。ならば選ぶ権利を主張しても罰当たりではない筈だ。
「うっわぁぁ何コレッ、可愛いじゃないっ!」
姉は散らかったテーブルの上に置かれた物を容赦なく払い除け、早速タルトの箱を無造作に広げた。
苺が山ほど盛られ、タルトの生地で猫耳を成している。紫色の目はブルーベリーだ。
「い、今から食べる気ぃ!?」
「当ったり前じゃないっ! 私今日何にも食べてないのよッ!」
22時の苺タルト、しかも自分独りで食べる気満々。かなり罪深き食事である。でも……姉が自分に見せる初めての屈託ない笑顔。妹も思わず釣られた。
人の部屋で勝手に電気ケトルへ水を注いでスイッチを入れる。
『今日初めての食事』と告げた憐れな姉に紅茶でも淹れてあげよう。第一このままでは自分の飲み物すら出てきやしない。
しかし紅茶を注ぐカップが棚に見当たらない……在った。恐らくアレだ。
手を入れるのも悍ましいキッチンの成れの果てに沈む、それらしき物が垣間見えた。
妹……無邪気に燥ぐ姉を、冷たい視線で思わず見やる。
もう匙は自分で投げてしまった。後は意地でカップを地獄の沼から救出。これだけでも洗ってやるより他に道はない。
コトッ、コトンッ。
「はい、これ──。水分もちゃんと取らなきゃ駄目よ」
自分の分とゼファンナの分を淹れた紅茶。
ファウナはスカートが捲れない様、気を配りながら両膝を右へ揃えて腰を床へ落とした。姉の向かい側に落ち着く。
「はぅ、ふぉうもふぁんがと」
タルトを頬張りながらといえ、ようやく聞けた姉からの感謝。
「──プッ! アハハッ!」
「ふぁ、ふぁによぉ……ふぃつえいな」
此処まで間の抜けた姉を見てると、ファウナは何だか自分が馬鹿みたいに思え、吹かずにいられなくなる。危うく飲んだ紅茶を気道に落としかけた。
供を連れずたった独り。未だ敵と思しきゼファンナの元を訪れ、様々な秘め事を今夜こそは全部吐かせると息巻いていた。
そこで釣り餌は三毛猫亭の苺タルトという次第。その効果は絶大であった事をこれから知る。まるで鯛で海老を釣るかの如く答えが水揚げされる。
女子を落とすなら甘いものが良い。そんなごく当たり前過ぎる駆け引きが通用した。姉はただの女の子だと知り、笑い泣きしたのである。
それにしても敵として相まみえていた頃の美麗さは何処へやらといった様相。
初見の時、自分が溺愛するレヴァーラに迫り『私の方がずっと良くてよ』あれ程誘惑してた女とは別人? 或いは魅了の魔法でも使ってたのか?
──あの強かなゼファンナ・ルゼ・フォレスタは、一体何だったの?
ゴクリッ。
結局苺タルトは、すべからくゼファンナの胃袋へ落ちた。最後は冷めた紅茶で半ば無理矢理流し込む。
それ程、食い意地張る位なら一切れだけでも……ファウナ、独り落ち込む。
「ふぅ……。久しぶりに美味しいもの食べた気分」
人心地ついた様子のゼファンナ。苺タルトが心開かせた感じは良いが、このまま放置してたら気持ち良く眠りの世界へ誘われそうな雰囲気。
「──姉さん、いい加減色々話して欲しいんだけど」
そうはさせじと早速ジト目で妹が食い下がる。
「……」
「……」
暫くの沈黙。同じ蒼い瞳同士が見つめ合う間。片方は鋭い視線、もう一方は僅かに怯んで顔を引きつらせる。
ボリボリッ。
「判った、判りました。はい、どうぞ」
同じ自然な金髪でも手入れを怠るとこうも違うものか。全く以って輝きのない頭を掻いて開き直る姉。
──この話が終わったら『今すぐお風呂に入りなさい』って必ず言おう。
ファウナ、姉への気遣いに我ながら驚く。
「色々在り過ぎて何処から聞いたらって感じなんだけどさ。何故貴女がフォレスタ姓を名乗ってるの?」
先ずは此処から話を切り出す。──すると芋蔓の如く、聞きたい答えが湧き出て来た。
「あぁ、それね。アンタ自分がフォレスタ家の先代に買われたのは、知ってるわよね?」
小指で耳穿りしながら応じるゼファンナ。態度こそ悪いが嫌な顔してる様子ではない。妹は小さく「うん」と頷く。
「アンタだけ買われて姉の私は売れ残り。でも瓜二つの双子じゃない? だから私達のクソ親父は、どうしても私を売る為、勝手にゼファンナ・ルゼ・フォレスタと名付けたの」
姉の答えに「え……」と顔を上げる双子の妹。その流れだと出来損無いは姉の方だ。
姉が物心ついた辺りで養育施設の者から聞いた話。
生後約1歳で会話を熟したという妹。余りに異常な様子を才能と勝手に騒ぎ、引き取りを名乗り出たシチリアの貴族。
妹が大層いい金に化けた。ならば平凡な姉も、勝手にフォレスタの血を継いでることにすれば良いだけ。いつか噂が真実に化けて飛び交い、鴨が葱を背負って現れよう。
平凡とはいえ姉なのだ。ファウナを超える存在感が欲しい。欲に眩んだ最低男は、ファウナの最上級という意味でゼファンナと名付けた。
そして本当に鴨は現れた。それも鴨処か、鴨を撃ち抜く銃を背負った存在。連合軍の犬……ゼファンナの人生がこれで決定をみた。
「──そしてファウナは森の女神だぁって世間が騒いだじゃない? ガディンは落第生の私をこう煽ったのよ『君は実の姉なのだろう? 姉なら妹を超えねば嘘だ』ってね」
そこから先は努力の巷。妹に追い着け追い超せ……ちやほやされ、ゼファンナも満更でない気分へ落ち往く。
紅茶の空いたカップを両手に、まるで良き思い出話を語る体の姉。紛れもない笑顔。軍に拾われる前が余程痛苦であったに違いない。
ファウナ・デル・フォレスタは、実に恵まれていたと思い知る。加えて世間知らずも甚だしいと自らを責めた。