第146話 母娘の移ろい
互いに実の母娘で在る事実にようやく気付け、肉親の愛情求め、抱き締め合うファウナとレヴァーラの二人。
散々涙で相手を濡らし暫くの間、収拾がつかなかった程である。
少し落ち着いた処で、涙と汗でそのまま眠りに落ちる訳にはいかぬ程、びしょ濡れで在るのに気付いた。タオルを引っ張り出し、互いの背中を拭き合う母娘。
「──何時、勘づいた?」
愛しきファウナの背中を拭きながらレヴァが尋ねる。
ファウナが青い眼を細め「うーん……」と首を傾げて唸り始めた。
「強いて挙げるならやっぱりディスラドの話を聞いた後かな……何で貴女が口を滑らせたのか考え込んだの。でも私も頭に血が昇っていたから直ぐには答えが出なかったわ」
やはりファウナとてレヴァーラと同様、何故別れ話になりそうな構想を敢えて語ったのか不思議に感じてたという次第。
「昼間ね。私、オルティスタ達と三人揃って三毛猫亭でお茶していたの。その時ラディが『何でファウナ様を今さら嫌いになったのか理解出来ません』って凄い剣幕でさ……」
「ほぅ……」
次は攻守交替。ファウナがレヴァの背中を拭きつつ語りを続ける。
「──でね、そもそも母さんに出会った初見の頃からこれまでを私なりに思い返してみたの。やたら懐かしく感じた貴女の匂い。嗅いだことないのになんだろ? ってね」
女性とは好きになった者の匂いをやたらと好む生き物である。処が嫌いになった途端、手のひら返しで臭いに転じる。
何とも身勝手な話だ。但しファウナの場合、これに『懐かしい』という枕詞が付いて回った。これはただの好きとは違うという事。
「そしたら全部話の辻褄が合う答えが浮かんだわ。レヴァーラ・ガン・イルッゾに育ての親を殺害されてなお、この女性が欲しいって何故思い込んだのか」
ファウナ・デル・フォレスタ自身、同じフォレスタ家の両親を実質レヴァーラに寄って殺害された。
ファウナはフォレスタ家の先代が勝手に抱いた期待。これがとても腹立たしかった。
確かに森を護る女神に成るべく魔道と神道の研究こそ欠かさなかった。けれどこれは自分の為。御爺様の想いを具現化しようとしたつもりはない。
ただそれにしたって、こうもフォレスタ家を憎み、剰え親の仇に乗り換えるという異常なる行い。仇が実は本物の親と意識でなく血で感じた。これは心移り変わるのも止むを得なかったかも知れない。
「わ、私とて……この意味の判らぬ想いの正体を考え直したのだ。我の意識はあくまでマーダ……で、あるなら森の女神の能力を最後の最期まで使い倒せば済むだけの話……」
レヴァーラとしてではなく、絶対神に成り代わりたいマーダであるなら最後まで嘘を貫いた筈。
「されどこの身体本来の主、レヴァーラがそれを赦さなかった。我が愛しの娘の存在に気付いた母だ。これ以上、酷い覇道に可愛い娘を巻き込むなど言語道断」
レヴァーラが自分の胸に手をあてマーダでない自分に説いた。自分よりも遥かに力が在り、求心力まで存在するファウナである。
それでも──いやだからこそ、この素晴らしい実娘を自身の野望に付き合わせ、失うことなど容認出来る訳がなかった。
袂を分かつのは、自分の身を切り裂く以上に辛いと感じたのもまた事実。だから今さらな、女々しい涙を流さずにはいられなかった。
これは躰の持ち主で在るレヴァーラと、今の支配者であるマーダに寄るせめぎ合いの結実。
無論、こうして母娘の情が芽生えた現時点でも『これで良いのか?』という罪の意識に苛まれている。──寧ろ、辛いし後ろめたい。
背中に居たファウナ、親であるレヴァーラを背中から優しく包む。躰を拭き合う為、互いの寝間着を脱いだ両者。ほぼ全裸で母を抱く18の娘という中々稀有な状態。
「ごめんね母さん。これは私の我儘だと判ってるつもり。突き放してくれた母さんが多分正しいわ。だけど私──全力で貴女の事を止めてみたいの」
合わせ鏡に映り込む背後の娘からの純真なる真っ直ぐな蒼き瞳。鏡の国へ吸い込まれそうになる母親。
レヴァーラが結いを解いた黒髪と、ファウナがアビニシャンとやり合う為に切った金髪。髪の毛同士も絡み合う、まるで意志を持つかの如くだ。
ファウナはレヴァーラの味方をするとは粉微塵も言ってない。逆に邪魔をすると堂々宣言している。レヴァーラも母として、娘の最大限を受け止める覚悟を決めた。
──仇、主従、友、恋人、そして親子として再び敵同士に還り咲く──
何と移り変わりの激しき二人の縁。然もそれを笑顔で受け容れる不可思議なる寛容。人の移ろいとは何と危うく、そして尊きものか。
こうして涙雨に濡れた身体を拭き合った両者。けれど寝間着はびしょ濡れのまま。
バスローブを寝間着代わりに同じベッドへ潜る。こうして共の夜を迎えるのはとても久しい。18歳の娘がおよそ32歳の親に甘える。
一見何とも可笑しな話。しかしこれが初めてな親子の川の字。そう考え直せば普通の愛情表現と言えるのではあるまいか。
幼子の如くレヴァに寄り添う無垢なる娘。つい今しがたまで哀情の塊であった寝床が愛情へ傾く幸せを感ずるレヴァーラ。
──但し幸福が溢れ返って湧水の様。やはり暫く眠れそうにない結末。
「──まだ例の日まで時間があるわね。次はどうするつもり?」
ファウナも同じくまだ寝るには早いらしい。母に甘えるのには僅かばかり行き過ぎな恋人繋ぎ。
「そうだな、いっそ墜とすか──軍の成れ果てを。その方がお前もあの芸術馬鹿と、神に取り憑かれた私を相手取るのに集中出来るであろう?」
親子の会話にしては随分危うい内容が、シーツの中に籠る二人から漏れている。もし誰かが外から観覧などしてようものなら、さぞ妖しい類と猜疑心を抱くであろう。
レヴァーラが言う『軍の成れ果て』これは元ヴァロウズNo3の類稀なる剣士、天斬。加えて圧倒的No1に君臨していた星を墜とせし者。エルドラ・フィス・スケイル。
この両者の意識だけを摘み取り、EL97式改に繋いだ骸。そして何より、こんな人道を踏み外した行為の巣窟。
来たる約束の日を迎える前にこの余剰な種火を消してしまえという悪巧みに他ない。やはり初々しき母娘のする会話ではない。
軍を潰す──。
瞬間ファウナの脳裏に姉ゼファンナの図々しさが浮かんで消え逝く。あの軍部は言わば姉の揺りかご。少し疚しさを覚える。
「母さん……貴女はゼファンナ姉さんの事、どう……感じているの?」
ファウナ、我がことながら愉快である筈のない質問を投げ掛けたと思う。言った傍から自責の念に駆られ、独り俯く。
これは血縁の姉に寄せた同情の気分などという優しさではない。
同じ顔、同じ能力、同じ身体を持つ自身と似通った存在を、大好きな母がどう感じると聴いているのだ。
それを傾聴したレヴァ──思わず緩む。この感情、母親のソレでなく黒い女神のやらしさで受け止めた。
「それは判らぬ……判らない話だ。なあ、ファウナ・デル・フォレスタ」
態々フォレスタ姓で煽るマーダの意識。
母親として遠慮がちにしていた悪さが一挙顔を覗かせ、ファウナの柔い頬を伝いて唇で遊ぶ。
「悪い娘だ。自分と実姉、どちらが良いか? そういう話をこの場で持ち出すのは良くない……自分でそう思っているのであろう?」
──あざとい……が可愛らしい。
そう感じ心地良いと想う狡い大人なレヴァーラの半身なのだ。




