第135話 自分の為に流した涙
暗転を扱えるディスラド。そして不死鳥の召喚を望むパルメラ・ジオ・アリスタ。二人が重なり合う刻、レヴァーラ・ガン・イルッゾの求む何が起こる。
レヴァーラが頑なに閉ざしている口を、恋人達の触れ合いのうちに聞き出そうとしたファウナ・デル・フォレスタの迂闊。
ガバッ!
蒼き瞳を見張るファウナが膝元から起き上がり、愛しきレヴァの首元に抱き縋る。結った黒髪へ金色の髪が意志を持つかの如く絡んでゆく。
レヴァの発言に全く以って得心のゆかぬファウナ。顔を上げてレヴァの翠眼を覗き見る彼女の目から熱いものが溢れ出るのを抑えきれない。
ファウナはレヴァーラの言う『戯言』の内、ディスラドとパルメラの身に起こり得るであろう予測。これには同意しているのだ。
納得往かないのは、その結実を収穫せしめようというレヴァーラの思惑にある。
何が戯言なものか。始めから──やはり13年前のあの時既に決めていた企みだと知り、絶望に瀕する。
「わ、私はぁッ! い、今のレヴァを愛しているのよォッ! しっ、知らないとは言わせないわッ!」
レヴァーラの白い首を幾度も強く振りながら嗚咽混じりのファウナの訴え。レヴァーラは下を向こうとしない、無表情である。
ファウナは自分の涙を全く拭わずレヴァの身体にただ垂れ流す。次はその手を震えながら取る。
「わ、私は貴女の為ならどうなっても構いやしないッ! この手、この脚、目、頭脳……いいえ私の魂ぃ! そうよッ! ファウナ・デル・フォレスタが貴女に総てを捧げますッ!!」
ブチブチブチィッ!
ファウナが上半身の膨らみを覆い隠すブラウスのボタンを引き千切って神へと無防備に晒す。
そこに手を突っ込み、中に在る滴るものを取り出してくれと告げている行動なのだ。
涙止まらぬまま、強く首振り、辺りに散らし尽くすファウナが何とも痛々しい。それでもレヴァの顔色が揺らぐ気配がまるで感じられない。
双子の姉、ゼファンナから『貴女は騙されてる』と叩かれた時、『騙される方が悪い』と悪びれず確かに告げた。
ゼファンナが実は命を賭して自分へ告げたかった言葉。ようやく意味を理解した。されどそれはどうでも良い些事に過ぎぬ。
「──ならん。ファウナ、お前では器が足りぬという意味ではない。我はマーダという意識だけの存在。本物を超え征く為、こればかりは成さねばならぬ。踊り子のままではいられんのだ」
冷徹なまま首を振り、少女が御身を供物と為す申し出を断る黒い女神。
「そ、そんな……い、嫌ッ! 絶対に嫌ァァァッ!!」
今度はMeteonellaの固い床をその柔い拳を振り上げガツガツ殴る。指の骨が折れ、突き出すのではないかと思える程に。
「そうか──では我の元を去り、いっそ姉の元へ走るか?」
キッ!
「で、出来る訳ないじゃない今さらッ!!」
ファウナ、大いに激怒し、何でも見透かす目ではないただの吊り上がった蒼い目でレヴァーラを睨みつける。瞬き一つせず、そのままスクッと立ち上がった。
「さ、最期の最後まで全部見届けさせて貰うわッ! それが森を守護する私の役目よッ!」
そこまで言ってのけると踵を返してファウナはその場を去ろうとする。「──左様か」憤慨する小さな背中に釘を刺した。
──良い……これで良いのだ自分。あの愛しき女神をこれ以上、我の狭間に付き合わせては決してならぬ。
何もなくなった自身の掌を眺めるレヴァーラ。気が付けば雨がその手を濡らす。元の木阿弥で片付けるには、神々しい思い出が多過ぎる。
「知っている、私は独りだ。この先もずっと……」
マーダとしての存在ならこれが落着かも知れない。しかしレヴァーラとして掛けねばならぬ声があるのを彼女は喪失していた。
◇◇
「──おぃっ、ファウナ。そんな所で何黄昏てんだ?」
絶望へ堕ちたファウナにアル・ガ・デラロサが声を掛ける。シチリアを浮かべる海の如き美麗なる蒼き瞳が輝きを失いつつある。
アレだけ啖呵切った割に移動したのが隣の部屋。金色のEL97式改の操縦席内で何もせずにボーッと味気ない天井を見つめていた。
「私今まで何してたんだろ……」
「何ぃ?」
ボソッとファウナはそのままの姿勢で呟く。これはいよいよヤバいと感じたデラロサ。無遠慮にも女子部屋へお邪魔する。
浮島での雄々しき戦。帰投後の大人な対応。とても同じ存在とは思えない、ただの引きこもりがそこに居た。
ただでさえ狭い操縦席、デラロサが無礼承知で正面きってファウナの両肩を鷲掴みにする。余りにも覇気が感じられない。
「な、何だぁおぃ。まさかレヴァーラ様と喧嘩でもしちまったってかぁ?」
我ながら嫌な探りだと感ずる声掛け。人形の様なファウナの首がプィッと横を向く望んでいない最たる返事。
──な、何だよ、当たっちまった……参っちまったな此奴は。
適当に流してる銀の短髪をボリボリ引っ掻き、デラロサが暫く途方に暮れる。
男デラロサ間もなく33歳。不出来な部下の尻は叩けど、女同士の痴話喧嘩に口を挟める度胸は持ち合わせがない自覚が在る。
「い、一体何があったぁ? 何を言われたぁ?」
取り合えず人形の肩を強く揺すってみたものの、まるで応答が要領得ない。──デラロサ、辛い。
──此奴は余程重症だぜ……。
兎に角一方的に恋愛相手から見限れたに違いない。その程度の空気なら読める処が大人である。そして手の施しようがない心の傷。
ふと堕ちたオルティスタとの浮島前でのやり取りを思い返す。何でよりにもよってまた俺様なんだ? ついそんな愚痴を吐きたくなるのも止むを得ない。
「ファウナ……。森の女神さんよぉ、お前さんの誰にも負けねぇ強みって何だと思う?」
「────はあ…」
視線だけだが此方を見た。心の傷……いやそれだけでない全ての負傷に言える事。
詰まる処、受けた傷から立ち直るのには、自分自身が頼みの綱。他人はそこへ、ほんの僅かな助言を垂らす以外に出来ない。
「フフッ……知りてぇか? 如何にも欲しそうな面しやがって。ファウナ・デル・フォレスタ、手前の強さは魔法なんかじゃ決してねえ」
さらに口付け交わす瞬間ほどファウナとの距離を詰め、柔肌の顎をクィッと上げる。ニヤつき勿体ぶる狡い大人の男を演じ切ろうと、これでも彼なりに躍起なのだ。
「な、なに? な、なんなのよ、もぅっ!」
遂にファウナの涙雨が枯れた。まるで魅了の術に掛かった様な少女の好奇心を引き当てた。
「良いか……たった一度しか言わねえ。ファウナ……お前の強さは、その負けん気と馬鹿みてえな一途な思い込みだよ」
毛程も洩らさず相手に何かを伝えたい時。虚勢を張り上げるのは愚の骨頂。『聞き漏らすなよ』そんな視線を真正面から向け、口の動きと目で伝えるのだ。
「な、何それ……全っ然褒められた気、しないんですけど」
何か自分を持ち上げてくれる気の利いた言葉の1つも恵んでくれる。ファウナの身勝手なる解釈。
頬を膨らませ、気分最悪な感情を隠せないファウナ。
もうまんまとデラロサのちょろい誘いに乗せられている。死人の如き顔つきに生気が還っただけでデラロサの目的のうち、道半ば達せられた。
「ア"ッ? 誰が褒めるって言ったっ!?」
さらにデラロサが煽りという感情の泉を注ぎ、枯れかけのファウナに潤いを与えてゆく。
森を守護する女神と言うが、女神とて所詮は人間。
透き通る岩清水の様な水でなくとも構いやしない。例え泥水でも与えてやり、受け付ける根へ『生きろ』と伝令をそれとなく授けるのだ。
格好の良い、気の利いた台詞など心此処に在らずな者に幾ら告げても暖簾に腕押し。
「──ファウナ……レヴァーラのこと好きか?」
突如ぶち込む大砲。泣きっ面で赤の混じったファウナの瞳。昇り往く朝焼けが如く、またも赤みが差す。
もう今日だけでどれだけ流したか判らぬ涙。肩を震わし清流へと流すのだ。
「……す、す。好きだよ。せ、世界中のだ、誰よりも……」
知らず知らずにうち、堰き止めてたものだ。止めようがない、止める気すらない。
ポンッ。
「ファウナ・デル・フォレスタ、ならばその意志を思う存分貫くしかねぇんだよ。誰の為でもない……お前自身が生きる為だ」
デラロサの手が優しくファウナの肩へ置かれる。この手はこれまで人の生き血を吸い、その分同じ戦場を駆ける仲間へ注いだ手。
泣き顔のファウナがようやく顔を上げた。
「わ、私の……為」
「そうだ、お前の中に生えちまった根っ子。ソイツはもう決して切り離せねえ、他の誰を愛してもな」
ファウナ、目が覚める想い。
女性は強い──が強過ぎるが故、自己犠牲の虜と化し、他人へ自分の人生を転嫁しようとする事が在る。母性が成すこと。それ自体決して悪くはない。
「例え相手が此方を向かなくともファウナという人間は生き抜くべく其れに縋る──良いじゃねえか。人間って奴は泥喰らっても、生きたが勝ちだ……なっ?」
ファウナは泣いた、ただひたすら泣いた。子供の様に。それでも自分の為に流した涙。これまでとは異なる生に対する感情が生まれる瞬間だった。