第107話 Heaven&Inferno
カーテンから零れる日差しがやけに暑苦しい。
「──もう昼間か。またも自堕落したものだ」
深夜3時頃、己が女神に改めて忠誠を誓ったレヴァーラ・ガン・イルッゾがうだる暑さにようやく目覚めた。
あれ程2人の女神の狭間に揺さぶられ、中々寝つけなかった。
己が信ずる女神の寵愛を独占出来た途端、泥の様に眠りに落ちた次第。何とも現金な自分に苦笑いしつつ、自身と相反する存在と思える太陽を思わず睨む。
「おはよう、お寝坊な踊り子様」
ファウナがトレイに珈琲を載せて微笑みを寄せている。この少女も自分とは対極の存在でやはり眩し過ぎる。
「珈琲、ファウナがこれを?」
「えへへ……。ね、我ながら怪しいよねぇ。私フォレスタ家じゃずっと姫扱いだったから家事何てロクに出来ないのよ」
レヴァーラがまるで芳醇たる高級ワインでも見る思いで、少女がただの軽い気持ちで淹れたものを覗き込む。
そんな相手の気持ちが透けて見えたらしくファウナがはにかむ。まともな飲み物が出来たか怪しいものだと認めているのだ。
「──うむ」
「ご、ごめんなさい。やっぱだいぶ苦いねコレ」
二人揃ってベッドの端に腰掛け、ほぼ同時に真っ黒い怪しいものを啜ってみる。そして何とも言い難い表情へ転ずる。ファウナが文字通りの苦笑を見せた。
「フフッ……。そうだな──が」
一旦、ほろ苦いものをテーブルへ戻したレヴァーラがファウナに甘えるが如く抱き締め、さらに恥じらう暇さえも与えぬうちに軽いキスを返礼として寄越した。
「女神が我を覚醒させるべく、手づから淹れてくれた代物。これに匹敵する糧などこの世に存在しない」
起き抜けからの熱い抱擁を解かぬままの体制で瞬きすらせず、中々痛々しい台詞をファウナへ目から注ぐ。
「な、何だか変よレヴァ? 昨日から私のことずっと女神……呼…び」
起きて早々おふざけが過ぎるといった体で流すつもりだったファウナ。まるで今の珈琲に酒が混入してたのではと疑惑を抱きたくなるほど、目がとろけて苦い接吻の二杯目を自らせがんだ。
「──ンッ、ンン」
やっぱり苦い味のするキス。これではまるで珈琲を口移ししてるかの様だ。
「ん、はぁ……。もぅ、目覚めの一杯ってソッチじゃないでしょ」
「赦せ……」
絆されとはいえ、途中から求めた自業自得。
それにしたってレヴァーラの甘えっぷりに呆れ返るファウナであるが『赦せ……』の一言。大方許しを請う態度でないのに願いを聞かずにはいられなかった。
「──と、兎に角早く着替えて皆の前に行きましょう」
相変わらず離してくれない。今しがた起きたばかりの相手よりも、目がだらしなく充血してると恥じるファウナ。目だけ合わせぬささやかなる抵抗で、どうにか起きた大人女性を促した。
◇◇
チラッ。
世間は丁度昼時。けれどもこの二人は遅めのブランチを求め、食堂へと重い脚を運んだ。ファウナがさも恥ずかしそうに中を覗き込む。当然ながら賑やかである。
「──何してんだお前等?」
「ひゃぁっ!?」
食堂へ続く勝手口の前で足踏みしてたレヴァ&ファウナの背後に白けた男の疑問符が飛んだ。ファウナが慌てふためき飛び上がる。
「デラロサ──お前達寝てないのか?」
レヴァーラが薄汚れたツナギ姿の二人を見渡す。色気処か普段よりも疲労が滲み出ているデラロサ夫妻だ。アルがリディーナへ整備手伝いを買って出たことを説明した。
「──それは二人にも随分苦労を掛けたな。此処は店ではないから奢りにならぬが、せめて食事位はゆるりと取ってくれ」
レヴァーラからの大変稀有な慣れない謝礼。アル&マリーがさも驚いた顔を見合わす。
「な、何だあ? レヴァーラ様は『それは大義で在った!』とバッサリやってくんねぇと何だかどうにもむず痒いぜぇ?」
アル・ガ・デラロサが自分の全身を引っ掻く仕草を大袈裟に見せる。冗談めいてる行動だが本気でそう感じていた。
「まま、兎も角食堂へ入りましょうか」
まあまあといった体でマリアンダが落ち着いた女性の態度で皆を促す。結婚して幾ばくも無いというのにすっかり大人の態度を纏い始めていた。
ガタッ!
「──ファウナ!」
「何? ファウナだと?」
ファウナの存在に気付いた誰からともなく次々と声が上がり始める。食事時でごった返してた場所がさらにざわめく。
「ファウナ様ぁぁぁっ!」
「ファウナちゃぁぁん!」
ファウナ・デル・フォレスタファンクラブ会員No1をそれぞれ自称するラディアンヌとヴァロウズNo8の2人がまるで恋焦がれた待ち人を見つけた様に駆け寄る。
女神の取り合いが始まるかと思いきや、もう構うことなく2人同時で抱き締めた。ファウナ、またしても涙が零れそうになり顔を歪める。
昨日の今日、希望と絶望がほぼ同時に訪れたのだ。こんな無条件の歓待を受けるとは思いも寄らなかった。
寧ろファウナが気にしていたのは、またしても公認の間柄の二人で妖しい朝寝坊したことで大いに冷やかしを受ける方だった。その無駄がやはり天然の成せる人の輪を構築してるのに気付いていない。
他にも自分の食事を放り出してまで寄せて来るので人だかりが出来てしまった。これでは食事を受け取りに往けない。
「おぃっ、手前等! 気持ちは良く判るが、せめて食事を先に選ばせてやれっ!」
流石歳上の出来る男を演じられるアル・ガ・デラロサ。人垣を掻き分け注文カウンターへと二人の女傑を護るボディーガードと化した。
お陰でどうにか食事を受け取り、お気に入りな窓際のカウンター席まで運ぶことが出来た。
「レヴァーラ、今回ばかりは御疲れ様と言ってやろう」
早速日中から酒を吞んでいるオルティスタが大変珍しくレヴァーラ様を労う。今回のエルドラ戦もファウナに頼るものが大きかったのは確かだ。
それでもこの危険な航海の船頭を請け負い舵を切ったのは、紛う事なきレヴァーラである。そういう意味合いを含めた『御疲れ様』だ。
加えて自分が使ったグラスにワインを注ぎ「ホレッ」と半ば強引に祝杯へと誘うのだ。『俺の奢りだ』全然違うのだがそうした気分回しであるらしい。
レヴァーラもこの歓待を迷わず受け入れる。互いに思う処は多々在る。けれどそれを気にしては前が拓けないことを知っている。船頭とはそうしたものだ。
「皆の者、このレヴァーラ・ガン・イルッゾの言葉に僅かの傾倒を申し出たい!」
レヴァーラがグラスを掲げ、己が名前を声高に告げる。あっという間に喧騒が静まり返った。
「此度のエルドラ・フィス・スケイル討伐、誠に苦労を掛けた! この場に居る誰しもが手を尽くしてくれた結実である! このレヴァーラ感謝の念が尽きぬ! これは世辞抜きの本心である!」
沸き起こる歓声の渦、渦、渦──。
やはりどれだけリディーナが下準備に奔走し、ファウナの魔導を借りたとしてもこの歓声を引き出せるのは彼女独りだ。
「遺憾ながら残党は未だ強力と言わざるを得ない。特に連合国軍率いる輩は脅威である。──だがッ! 我に従ってくれる者達を必ずや勝利へ導くと改めて宣言する!」
あちらこちらからレヴァーラの名を歓喜を交えて連呼し始める。この場所に居る者だけに留まらず指示なしに誰が拡散している映像を視聴している者も大勢居るのだ。
「もう少しだけ、我に全てを預けてくれッ! そして真なる勝利の美酒を共に分かち合おうぞッ!!」
何の準備もせずに肉声のみで人を血沸き躍らせるのが先導者に求めらし資質なのだ。神が天才である必要は皆無。優れた者の矛先を満たせればそれで良いのだ。
『──レヴァーラ。取り込み中の処、申し訳ないのだけれど、すこぶる悪い知らせよ』
歓声沸き立つ最中、リディーナからの直通回線が突如開いた。これはリディーナ自身に非はないものの、まるで空気を読めない時合だ。
しかし周囲は既にレヴァーラ要らずで大いに盛り上がりを見せている。故に気取られずにどうにか物陰へと抜け出す。実に嫌なものを感じた。特に寵愛の女神に知られては不味い気がした。
チラリッと流し目でファウナの方を見やる。運の良い事にディーネとラディアンヌに捕まっていた。
ボリュームを極力下げ、耳に当てて相棒の報告を聴く。
『──サウジとエジプトの国境線付近、2人目の女神がエル・ガレスタ、1個小隊を率いて現れたの。然も1人目同然の姿で……』
カシャンッ!
無線の向こう側で震えているリディーナの声。ワイングラスを落とさずにはいられないレヴァーラ。2人目の不要な女神が台頭する地獄を感じた。




