第103話 森の女神を独占する女武術家の愉悦
私が本物のファウナ・デル・フォレスタ──。
とんでもない事を言い出す軍が寄越した新たなる敵。しかしファウナに取って双子の姉であるのは虚言ではない模様。
当初はNo3の偽物と同じく連合国軍が人工知性体の欠片を集めクローン体に流し込んだ存在かに思われた。
しかしそれでは余りに説明が付かない。
ファウナ姉は容姿と性格、何れもファウナ当人と同じか或いはそれ以上のものを確実に秘めていた。これがもしただの偽物ならば逆に恐怖だ。
「──あらラディアンヌ御姉様。私の可愛さ、お気に召さなかった御様子ね」
「ファウナ様は私のことを海より深い愛情を込めて『ラディ』と気軽に呼んで下さいます! まあ仮に貴女から同じ名で呼ばれたら虫唾が走るでしょうッ!」
声音こそファウナ当人と完全一致するファウナ姉──。
しかしだからこそラディに取って気色が悪い。何しろ彼女、呼吸一つでファウナ様と同調出来る程、敬愛している。同じ声色でも流石に気配までは姉と妹で全く異なる。
寄ってラディアンヌにはファウナ姉の誘惑がまるで用を成さない。但しその明らかに違う気配に実の処、疑念も抱く。私の拳が届かないかも知れない?
このラディアンヌが本物のファウナ様に拳を上げる。そんな異常事態が在り得ない為、想像の範疇外だがもし仮に手を上げたとするなら、魔法を繰り出す前なら仕留められる自信が在る。
他人へ真に仕えるとはそういう確固たる覚悟と、相反する忠義を必要とする。ラディはそう確信しているし、代々要人警護を担ってきたマゼダリッサ家の家訓だ。
万が一、己が主人の過ちと遭遇した際、この命尽き果てるまで止めなければならない。それが真の忠義というものだ。
レヴァーラ・ガン・イルッゾとその配下であるヴァロウズと呼ばれし危険因子。
この輩に無邪気なファウナが付き従うと言い出した際、いつの日か決して訪れて欲しくない現実が迫り来るやも知れない。それでも付き従うのがラディアンヌ覚悟の形だ。
一方、今自分の目の前で冷笑を浮かべる女は仮想ファウナ様──いやそれ以上かも知れない相手。見た目ファウナ様に手を出すのは正直負い目を感じずにはいられない。
然しだ──。
ファウナ様でない者と拳を交えつつあるこの異常時に、不謹慎にも心躍る気分を感じている。思い切りをぶつけて何ら問題にならない幸福。
「──手出し無用」
呟きの様な声量。それでもラディアンヌの有無を言わせぬ台詞を確かに聞いたレヴァーラとオルティスタ。
これには当然驚いたが、そう思える矢先すら与えぬ間を以って無礼な輩と距離を詰め征く。
──速いッ!
このラディの瞬発力には流石にファウナ姉ですら驚嘆を禁じ得ない。
けれどたかが人間の動き。左手で此方の肩を狙いすましていることぐらい予見出来る。その為の間合い詰め。剣術の後の先同様、後出しが圧倒的優位なのだ。
──と見せかけて貴女は逆の手を出すんでしょ!
何とファウナ姉はそこまで読み切っていた。彼女は軍の疑似訓練でレヴァーラ一派の動きを熟知している。対偽物の天斬戦から得られたデータは嘘を付かない。
「ぐぅッ!?」
ファウナ姉の予見がまさかの裏切り。彼女に届いたのは手ではなく、密着時有効な膝蹴りでさえもなく、大胆にも膝から下を頂点へ伸ばしてからの踵落としだ。
しかも例の首元を護る硬質の襟を避け、左肩の付け根へ落とされたのだ。途轍もない苦痛と驚きを伴う一撃を被ったファウナ姉の顔が苦痛に歪む。
──い、幾ら何でも速過ぎるわ!?
左手の手刀、右手の手刀。先ずこれら全てが囮技。加えて右膝を上げてからの踵落とし。動きの余剰が大き過ぎる。
例え武術家と言えど人間の動きを予想出来るファウナ姉に取ってこれは異常事態だ。
混乱をきたしているファウナ姉を素知らぬ顔で、次は右肘を突き出すラディ。これもファウナ姉の予見に在る動き。そのまま肘を伸ばし手刀と成すか、やはり見せ技として逆を繰り出す。
「はぅッ!?」
これは素直に受けるか後ろへ逃げるべきであった。
混乱し過ぎた処へ見た目通りの右肘を下腹部へ叩き込まれファウナ姉の躰がくの字に曲がる。屈辱にも美麗なる唇から逆流した胃液さえも吐き出した。
──な、何故? ど、どうしてこうも上へ征かれるのッ!?
無様にも腹を押さえながら後方へと一旦距離を置くファウナ姉の痛々しさ。そして意外なる展開に驚く周囲。何時でも動ける様、軽いステップを踏みながらラディ緑の唇が僅かに緩む。
人ならざる動きを見せた筈の女武術家だが、肩で息をする処か大きな胸でさえ上下するのを確認出来ない。
──判ったわッ! これまでにない動きだけど、もうこれ以外に在り得ないッ!
この僅かな間がファウナ姉に考察するゆとりを与えた。呼吸術を得意とするマゼダリッサ家の娘が胸を上下させていない。
一方『手出し無用』を言い渡されたオルティスタとレヴァーラが完全に言葉を失っていた。
まだ知り合って数ヶ月のレヴァーラならいざ知らず、長年に渡り付き合いのある長女ですら妹のこんな異常を見た覚えがない。
「──な、何をのんびりしているの? 次は、次こそラディ……貴女の攻撃を受け止めて御覧に見せるわ」
苦悶の表情で在りつつも人差し指をスッと上げてファウナ姉が宣言した。彼女にも意地がある。
「そう来なくては困ります。私の思う仮想ファウナ・デル・フォレスタならば受け切れる攻撃ですから」
ラディアンヌがとんでもないことをサクリと告げる。──この神速を非力な魔法少女が受け切れる!?
これには渦中のファウナ妹を含む、誰もが驚き顔を上げた。
しかしファウナ当人だけが冷静な顔に立ち返り、この争いの行く末を見届けるべく真剣な眼差しを次女へ捧げる。
──嗚呼……これは何たる幸せでしょう。
肺呼吸こそ止めているが心の高鳴りがもぅたまらないラディアンヌ。戦闘時に何と破廉恥な昂ぶり。心処か魂が躍動する。
先ずは目前のファウナに良く似た敵の美少女。何とも現金だが見た目の美しさだけならファウナ様すら越える逸材。そして何を置き去りにしてもやはりファウナ様の視線である。
これまで数え切れない御奉仕を捧げて来たが、自分だけに恋焦がれる乙女の様な熱い視線を送るファウナ様などお目に掛かったことがないラディ。
──二人のファウナ様をこのラディアンヌが今だけでも独占している! これは何たる至福か!
一触即発の状況下に置いてこんな阿呆余地すら在るのがラディアンヌの凄味なのだ。但し誤解無き様に語っておこう。ラディアンヌの名誉の為にも。
『私の思う仮想ファウナ・デル・フォレスタならば受け切れる攻撃です』
これはハッタリではないラディアンヌの本音である。それが故の森の女神の姿で在り、それを模したファウナ姉とて出来て当然に帰結するのだ。




