第91話 幼き女神が引き出す涙
同じ日の深夜──。
1週間前、相棒から『ファウナちゃんと一緒に寝なさい』と煽りかはたまた諦めなのか。
そんな言葉を得て以来、年の差と同性という壁を押しのけ、レヴァーラはファウナとの夜を共に明かしている。
「──ファウナよ。その、何だ。昼間は済まなかったと思っている」
同じ寝所に身体を埋めてる愛しきファウナ。洗いたての髪を撫でる踊り子様の顔が妙に痛々しげだ。
「ンっ──どうしたの急に?」
「だからお前の大切な姉に大層な不審──いや違うな。これまでもオルテイスタは、我の事が嫌いであったな」
その何ともらしくない寂しさを混ぜ込んだ声を聴きつけたファウナが白いネグリジェ姿の身体をゆっくり起こす。
因みにレヴァーラの寝巻姿に一応触れると黒いレース編みのネグリジェである。下着を付けてないのが透けて見える位、妖艶なる魅力に溢れている。
それにしても戦闘服と言い、黒のドレスと言い、やたら黒を好むものだ。流石に普段編んだ黒髪だけは、就寝時の緩さにかまけて解き放っていた。
「ファウナ?」
草臥れた感の在る愛しのレヴァーラを、不意にファウナが背後から優しく包み込む。
洗いたての躰がフワリと香りを広げ、レヴァーラの鼻腔を擽る。加えて肌の触れ合う場所全てから、優しみが流れ込むのを感じ取るのだ。
「──レヴァーラ。……貴女ずっと独りだったよね。寂しかったんだよね?」
まだ森の女神に成りきれていない少女の温かみが、独り思い悩んでいた踊り子様の心を溶かしてゆく。
──よ、止せ。そんなものどう受け取れば良いのか、我にはまるで判らない。
レヴァーラに取ってのファウナ。それは既に絶対なる女神。抗えない優しみに翠眼が淀みの無い純粋を湛え始め、遂に溢れる物へと転化を遂げる。
「──涙!? こんな要らぬ機能が私に備わっていた?」
視界を遮るものを押し流す役割がある涙。たった今両目から流れ出るものはそれとは異質。涙を拭えずひたすら佇む──。
このあどけない女神が柔らかく拘束する腕を動かす気になれない。初めてファウナと裸で触れ合った際、我慢しきれず湧き出た少年の意識。これが大人女性の殻を破り、姉を求めて這い出て来た。
──孤独だった? 寂しかった? 残酷なくらい突き刺さるその優しさ。
みっともなく嗚咽と鼻汁すら漏らす。これまで積み重ねてきた賽の河原の如く危うい心の揺れを止め得る事がまるで敵わない。
──や、止めろ。お前が僕の何を知っていると言うのだ。こ、こら。頭を撫で回すな、子供扱いするんじゃない!
少女に抱かれ駄々をこねる大人の女性。誰も見てないとはいえ不思議な光景……が、微笑ましくもある。
そうだ──こんな少女に私の孤独なぞ判る訳がない。友、恋人、両親……彼等はすべからず赤の他人だ。
「判りあう? そんなもの弱い奴の幻想なんだ!」
顔も姿もファウナのネグリジェさえも涙でぐしゃぐしゃにして、素直に為れない自分を吐き出す。どうしてこんな細腕に抵抗する気が失せるのか。
「判ってる、良く判ってるつもりよ。所詮弱者同士重なりを求めたいだけ。──それでも」
「──っ?」
ファウナがほんの少しだけ、その細腕に力を込める。
「それでもこうしてる間だけ、人は強くなれた気がする。もし私がそんなものを君に与えられるのならば、それはとっても幸せなのよ」
もうマーダでもレヴァーラでもどちらでも良くなった。遂に小さく頷き、心地良さにその身を預けた。
◇◇
話を昼間の星の屑会議に戻す──。
エルドラの星屑、パルメラの星の屑。そして偽物の天斬を形作った屑。これは総てレヴァーラ・ガン・イルッゾの実験に端を発していた。
「──もう辛抱ならん! とどのつまりレヴァーラッ! お前がナノマシンを人間達に埋め込んだ実験こそ、元凶って訳じゃねぇかッ!」
オルティスタが新調した短刀を抜き、事の発端者へ向けた。「これ以上付き合い切れんッ! 俺の大事なファウナとラディを巻き込むんじゃねぇ!」と吐き捨てる。
最重要課題である世界中に散らばる生きた屑共を如何にして滅ぼすのか? そこまで話が至っていない。しかし妹分二人の命こそ最重要。寄って聴く耳持たぬのオルティスタなのだ。
これに少しも揺るがない踊り子様。鋭い視線を真っ向から受けて立つ。例え炎舞で襲って来ようともその目つきだけで受け流せそうな座りが存在する。
「──以前そこの軍人上がりにも似た様なことを我は言った。そんなもの初めから判り切った上で我に下ったのではないのか滾る剣の女よ」
レヴァーラの実験が星の屑に転じ、今や世界そのものすら破壊の限りを尽くす。その刻を虎視眈々と狙っている。しかもなんの異能も持ち得なかった連合国軍がその最前列だ。
これはレヴァーラが決して望んだ結果ではなく、それに言い訳にもならないが想像し得なかった。
確かにオルティスタの指摘は真に的を得ている。けれどレヴァーラ側に立ち返れば、その責任を擦られても納得出来るものではない。
「我は全世界を滅ぼしてまで力を得たいとは思わん。確かにやり方こそ誤った。しかし此処で匙を投げるとはいよいよ無責任だと思わんのか?」
肘を円卓の上に付き、頭を挙げ見下す目と化す。結った黒髪がフワリと舞った。
「ひ、開き直ってんじゃねぇッ! そんなの屁理屈だろうがぁッ!」
遂にただの喰って掛かるが剣で振り掛かるに転じようとした矢先、レヴァーラと同じ色合いの女がダガー2刀を以って立ちはだかる。
「アノニモお前、邪魔する気か!」
「邪魔も何もレヴァーラは私の首領ね。短剣使い同士、今度こそ命の取り合いの続きも悪くない」
短剣の魅力を文字通り、身体に叩き込んだ師匠面したNo9がダガーを交差させ、さも練習ではない本気を見せる。
「ま、待ってオルティスタ。少し落ち着いてよ」
「そ、そうですよ。気持ちは痛い位判りますけど、この場で喧嘩した処で何も生みはしません」
慌てて長女肌を窘めようとするファウナとラディアンヌ。これが深夜のレヴァーラによる深き陳謝へと繋がる道筋。
オルティスタのやり場ない怒りを実の処、重く受け止めていたレヴァーラの裏腹。このやり取りさえ忘れる辺り、未だファウナは少女なのだ。
「──オルティスタ。俺達は力を持った大人として、その責任を果たす義務が在る。それを投げ出すのは逃げだ」
デラロサがオルティスタの肩にゴツい手を無遠慮に置く。その顔にはただ同胞の仇を取りたいだけの子供じみたものでないのが滲み出ていた。
「──フンッ」
納刀し腕組み憮然と席に戻るオルティスタである。思わずホッと胸撫で下ろすラディだが『私の代わりに飛び出してありがとう』これが本音の処なのだ。
「それで詰まる処、そのふざけた星の屑を散らすアテは存在するのか?」
黙りこくったオルティスタに代わり、要所をファウナ達に投げ込んでゆくアル・ガ・デラロサ。怒りに震え叫びたい逸る魂を抑える意味では彼の方こそ負けてやしない。
「済まん、話を聞いてくれるお前達に嘘は言うまい。完璧──と告げるには程遠いが策は在るのだ」
此処で解説者であるファウナを差し置いてレヴァーラ・ガン・イルッゾが敢えて仰々しく口を開いた。唇元のホクロの黒が彼女の胸中を示している様だ。
しつこいがたった今しがた占い師の発言に寄ってほぼ確定した内容である。それでなくても不確定要素が大き過ぎる。
「アレが我の意志を成す知性体プログラムと同じである。ならば此方からとて操れるのが道理というもの。──そうだなファウナ」
概念こそ首領である自分が皆に伝えるべき。だが詳細確認は主担当へと振る。少々理不尽な理屈だがそれが上に立つ者の役目というものだ。
「──はい、その認識で間違っていない。何しろ頭のお堅い連中にすら出来た試しなのよ。私達の方が寧ろ専門家、負ける気は全くないわ」
期待値通りの自信を以ってこの場に居る皆の目を周回させるファウナ・デル・フォレスタがこの場を〆括った。
─ 第8部『思いがけない新たなる火種』 完 ─